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カフェオレ詐欺

作者: 泉田清

 12:00。冷蔵庫を開ける。中には缶のカフェオレがある。恐らく3か月ほど前から。栄養ドリンクを入れ、仕事にとりかかった。


 19:00。冷蔵庫を開け、栄養ドリンクを取り出し、キャップを開け飲む。普通番の社員、というかすべての社員は17:30に帰っていった。遅番である私はまだまだ帰れない。誰もいないのはけっこうだ。「で、どうする、今度飲みに行くか?」などと、電卓を叩く邪魔をされるよりはずっといい。 

 リー、リリー!どこからか入り込んだスズムシが鳴いている。意外なほどの大音量で。机の下、ドアの隙間、カーテン、冷蔵庫、戸棚、金庫、紙の束、事務室内は小さな虫が紛れ込むような所が無数にある。探すのは諦めた。ヒトの無駄話よりはいいか。電卓を叩く音と鈴の音がユニゾンした。カチャカチャカチャ!リー、リリー!

 戸締りをして事務室の明かりを消す。暗闇に沈んだ廊下を歩く。階段の壁と天井の境にかなり長い亀裂が走っていた。先日の大地震でできたものだ。聞いた話だと、そこから水漏れがして、辺りは水浸しになったそうだ。その日が非番で本当に良かった、特に遅番は酷い目に合った事だろう。


 10:00。土、日の遅番の出勤時間はいつもより早い。それでいて帰る時間はいつもと同じ。本日も長い一日になりそうだ。

 栄養ドリンクを冷蔵庫に入れる。中にはやはり缶のカフェオレがある。カフェオレを飲むようになったのは半年ほど前からである。毎日のように観ている動画配信者の手元に、その缶のカフェオレはいつもある。若い頃は缶コーヒーを毎日飲んだ。カフェオレは「コーヒー飲料」であり「コーヒー」ではない。カフェインを摂るのが目的とするなら「コーヒー飲料」なぞ中途半端なものを飲む必要性を感じなかった。

 体の衰えと件の動画配信者の動画を観始めた時期は一致する。カフェインを摂りすぎると腹を下すようになってしまった。殆ど缶コーヒーを飲まなくなっていたある日。動画配信者の手元に、缶のカフェオレがある事に気づいた。それからカフェオレを飲むようになった。美味いかどうかは分からない。私は動画配信者に洗脳されているのかもしれない。


 昼過ぎになると独りになった。5、6人の社員たちはみな公用車で出かけた。窓から覗く空は灰色。台風が近づいているという。予報ではここまで来ない。雨が降る事も無いだろう。

 冷蔵庫の隣にある、休憩コーナーのソファに座って弁当を食らう。「ここではなく二階の休憩室で食べるように」。四月に転勤してきた上司はそう言った。「事務室に臭いが充満する」、「巡回の管理者が来たとき見栄えが悪い」等の理由でだ。その通りだと思う。この事業所にきて5年経つが、甚だしいと事務室内で飯を食い始めるヤツもいた。この職場の悪しき伝統といえる。土日はその限りではない。という事で、堂々と休憩コーナーで弁当を食うのだった。


 普通番の社員たちは18:30に帰った。冷蔵庫を開けようとしたら電話が鳴った。管理者からだ。「今その地域に避難指示が出たから」、「明日出勤の人たちに連絡して」との事。つまりこうだ。何故かこの地域だけに台風の避難指示が出ている、それが解除されるまでは出勤してはならない、それを明日の日曜日出勤の社員たちに連絡しなければならなくなった。そのあと管理者に報告も。血の気が引いた。全員と連絡が取れるまで帰れないのだ。

 懸念していた通り二人ほど連絡が取れない。それもそのはず。土曜日の夜に職場から来る電話なんて、誰も出たくはない。電卓を叩きながら何度も二人に電話する。「何?なんかあった?」ようやく一人が出た。管理者からの指示を説明する。もう事務処理も終わってしまった。あと一人、まだどうしても出連絡の取れないヤツがいた。


 冷蔵庫を開ける。缶のカフェオレを取り出し、憤然として休憩コーナーのソファに座り込んだ。何てことだ!いつになったら帰れるんだ!こういう仕事は上司がやるべきではないのか!外では雨なぞ降ってない。どこのどいつだ、避難指示なんて出したのは。後で知った事だが結局朝まで雨は降らず、台風も逸れていった。誤情報に振り回されたわけだ。

 缶をマジマジと観る。消費期限まで半年ある。このカフェオレは私が入れたものかもしれない。3ケ月手つかずの理由はそれで説明がつく。仮に別人のものだとしても、ソイツは忘れてしまっているだろう。私と同じように。缶を開け、一口飲む。月曜の朝、騒ぎ出すヤツがいるかもしれない。「誰だ冷蔵庫のカフェオレ飲んだ奴は!」それが上司だとしたら?カフェオレぐらいで五月蠅いヤツだ。だんだんイライラしてきた。この非常時にヤツは何もしていないではないか。グイとカフェオレを飲み干す、甘ったるい液体が前歯に絡みつく。「オレだよ」月曜の朝に凄んでやろう。「カフェオレを飲んだのは」。


 やっと最後の一人と連絡がついた。管理者への報告も終わった。事務室の明かりを消して二階への階段を上がっていく。更衣室の隣の休憩室から明かりが漏れていた。休憩室の明かりを消す、と、自動販売機に目がいった。あの、動画配信者がいつも飲んでいる缶のカフェオレが並んでいた。なるほど。やはりあのカフェオレは私のものだったかもしれない。

 着替えて下に降り、事務室の明かりを点けた。冷蔵庫を開け新たに入れた、つい今しがた自販機で買ってきたばかりの缶のカフェオレを。これで誰も不満をいうヤツなんていなくなる。万事丸く収まるというわけだ。めでたしめでたし。

 

 台風は逸れていった。台風が直撃した地域では3名の死者が出、1名が行方不明になった。あながち大げさではなかったのか、あの避難指示は。

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