彼女の部屋で12月31日
今日は大晦日。大学の連れのほとんどは、実家で笑ってはいけないアレでも観てる頃だ。で、俺は実家には帰らずに年を越す予定。寂しくなんてない。まったくもって、これっぽっちも。むしろこれからのことを考えると、勝手に顔がにやけてしまうぐらいだ。俺は今彼女の家へと薄暗くなってきた夜道を歩いている。そう、俺は彼女の部屋で彼女と一緒に新年を迎えるんだ。彼女もまた親元から遠く離れた、大学近くのマンションに住んでいる。そして、帰郷せずにこっちで年末年始を過ごす。これで彼女の家に行かないなんて方がおかしい。えーと、この角を曲がって、青い屋根の家で曲がって、さらに三つ隣だったっけ。場所は知っていても彼女の部屋へ行くのはこれが初めてだった。
「え! どうしたの?」
ドアを開けた彼女は驚いていた。実は、今日訪ねることを教えてない。
「ちょっとびっくりさせようかと」
「うん。入って入ってー」
はにかんだ表情で出迎えてくれる。化粧っ気のない丸くて小さな顔。流れるような肩まで伸びた髪。前髪から覗かせるくりっとした瞳。よく笑う大きな口には微笑が浮かんでいた。やっぱりかわいい。「お邪魔しまーす」と玄関に上がるといっそう胸が高鳴り始める。逸る気持ちを抑えて中に入った。「外寒かった?」「そうでもないよ」気遣われながら暖房の効いたリビングへ通された。デザイナーズマンションの一室。落ち着いた白の色調の室内はシンプルで整然としていて、その中にくまのぬいぐるみがちょこんと置いてあった。本棚には専門書や有名人のエッセイ、小説以外に少女漫画やアニメのDVDも少しだけ。へー、こういうの見るんだ。なんだかかわいらしい。と、眺めているのに気づいたのか、「恥ずかしいから」とテーブルにあった雑誌で漫画のあたりを隠された。少しぐらい少女趣味でも良いと思うけど。なんて言おうものなら怒り出しそうな気がしてやめた。俺はそんな彼女が好きだった。ずっと付き合っていけると思ってる。
どうぞ、とクッションを渡されてこたつの前に座る。ふとその上にある重なった四角い箱が目を惹いた。これはもしかして、もしかすると、
「おせち?」
黒い重箱を見ながら聞いてみる。
「うん。わたしが作ったんだー」
スバラシイ。まさかおせちが作れるとは。にこにこして「開けていいよ」という彼女。
「これは……なんというか、すごいね……」
ふたを取ると、白や黄、赤など、まさに色とりどりだった。
「食べさせてあげよっか?」
ふいにそんなことを言い出した。こんな風に、彼女は見かけとは裏腹に大胆な一面を見せることがある。
「いや、いいよ」
さすがに、いや今回もたじろいでしまった。が、すでに穴の空いた白くて細長い物が口を開けろとばかりに目の前へと突き出されている。これは手遅れだ。観念してバリバリと音を立てて食べると彼女は満足げに微笑んだ。誰も見ていないが、相当恥ずかしい。さらに、はいっと彼女が差し出す。うっこれはヤバイ。今度こそヤバイ。何がヤバイのかって。ひとくちサイズのものを手づかみで食べさせようとしてるからだ。こんなもの、かなりの確率で舌と指がこんにちはしてしまうじゃないか。これはダメだ自分で、なんて思ってるうちにあっさり口の中に入っていた。こんにちはなんてしなかった。ぱきぽきと軽快な音を鳴らして食べる様子を見て「かわいい」なんて彼女が言い出す。思わずむせてしまった。こそばゆくて、それになぜか敗北感すらある。くそぅ。そっちの方がよっぽどかわいいなどと言い返してやれば、きっと顔を真っ赤にするに違いない。まぁ、そんな寒いセリフで室温を下げたくないけど。
ふと、重箱の下にあるはがきが気になった。
「これって年賀状?」
「うん、そうだよ」
「まだ出してないんだ」
もう大晦日なのに。失敗でもしたのかな、とおもむろにそのうち一枚に手を伸ばす。
「あ! それは見ちゃダメ!」
遅かった。干支のデザインがプリントされた上から、手書きで文字が書かれてある。
『あいしてる
けんたろうのこと
またこんど
しーぱらだいすまで
てをつないで
おっとせいをみに
めとろにのって
でーとしてくれると
とっても
うれしいな』
うわぁ……なんて恥ずかしい……。
「ダメっていったのに……」
年賀状でこんなのもらったら、吹き出してたと思う。出すのを思い留まってくれて本当によかった。しかし、あいうえお作文とはいえ『あいしてる』とか……。ヤバイ。なんかどきどきしてきた。もじもじして赤面してる彼女。俺はそんな彼女も好きだ。俯いて緊張した面持ちもすごくかわいい。あぁっダメだ。来て早々なんて、切り出すのが早すぎるのはわかってる。だけど、もう限界だっ!
「ところでお姉さんは?」
言ってしまった。俺はもう待ちきれなくなっていた。このコのことは好きだ。でも、お姉さんはもっと好きだ。もちろんこのコと違い、女として。俺はお姉さんの方に会いに来たんだ。
「彼氏のとこ」
「え?」
今なんて?
「近所の彼氏のとこに行ってるよ」
えええええええええええええええぇぇぇえええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇええっええええええええええええええええええええええええええええっええええ!!
「今日は帰らないって言ってたけど……」
うあぁっぁぁ嗚呼ああああああああああああぁぁぁぁあああああああっぁぁぁぁああああ!!
そんっなばかな!
「彼氏ってどんな人カナー?」
平静を装って聞く。だめだ、顔が引きつってる。穏やかに、穏やかに。
「んと、これ」
携帯を見せてくれた。画面には二人仲良く映ってる写メ。あぁ……俺、完全に負けてる。男の顔を見た瞬間そう思った。それはもう清々しいぐらいに。
おかしいとは思っていた。いつもデートのときはこのコと三人だった。クリスマスもそうだ。どこだろうと、常にこのコが間にいた。
衝動的に、目の前のおせちを引っつかんで口の中へと押しやる。
「このうまい棒うんまいよね!」
盛大にバリバリと食べた。もう何を言ってるのかさっぱりわからない。ただ、これがうまい棒なのは確かだ。
「キットカットも感動的においしいよ!」
泣いてなんかいない。ぱきぽきと軽快な音が虚しく響く。包装をひん剥いただけでお菓子を詰め合わせた、ある意味豪華なおせちだった。まだまだくさるほどある。作った、いや詰めた本人はとてもうれしそうに俺を見ていた。
「今夜は二人きりだね」
そう言って腕に頬をすり寄せてくる小学三年生。
あと9年ほど待ってみようか。
はぁ……。