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アパートをのぼったときの話

 入ってすぐのところはエレベーターホールになってて、いつものように電気はきていなかったね。扉が半分落ちたみたいになって開いてたのを覚えてる。


 ボクは扉についてる小窓から慎重に覗きあげた。首を突っこんだ瞬間に箱が落ちてきて――なんて嫌だったからさ。


 埃にまみれたワイヤーだけが見えたよ。


 ボクはバールをリュックから引き抜いて扉をこじ開けた。金属の擦れる嫌な音がエレベーターシャフトに響いて心臓が止まるかと思った。すでに壊れかけてる建物を自分の手で壊してるような感覚さ。エレベーターシャフトみたいな長細い空白にうえの瓦礫が降ってきて潰れるんじゃないか。そんな妄想ばっかりしてた。


 別にシャフトを昇っていこうと思ったわけじゃないんだ。半分くらいはボクがボクの世界にいたころの癖っていうか、条件反射みたいなものだよ。誰だって高い建物に入ってうえに行こうと思ったらエレベーターホールに行く。それだけ。


 でももう半分は、シャフトが埋まってるかどうかを見たくて覗いたのもあると思う。


 もしシャフトが瓦礫で埋まってたら登るのはやめてた。


 外から見て傾いていて、そのうえシャフトが埋まってたりひしゃげてたりしたら、それは見た目は無事でも中身がグズグズに壊れてるってことになる。登ってる途中で倒壊したらまず死んじゃう。安全第一だよ。


 ボクは階段を探した。薄暗い廊下は相変わらず怖かったよ。この世界の建物は――この世界の日本の建物は、かな?地震が多いからだろうけど、とにかく頑丈につくられているんだろうね。ボクの履いてた靴の音がすごくよく響くんだ。


 そのときボクは安全靴を履いてた。商店街の工具店みたいなところに置いてあったブーツタイプのやつ。マーブルカラーのね。ちぎれ雲を浮べた夏の青空みたいなおしゃれな靴さ。ちょっと重いんだけど、靴底がかたくて厚くなってて、釘を踏んでも大丈夫なようにできてた。つま先のところもかたくなってて、ハンマーで叩いても大丈夫なんだ。ボクの足には少し大きかったんだけど、中敷きで調整して履いてる。だから音が響いちゃうんだけどさ。


 廊下はまだいいんだけど、階段には怯んだよ。

 そのアパートには内階段と建物の外壁をまわる外階段があって、内側は罅だらけで、外階段はグラグラしてた。


 ふうふういいながらだけど、十階くらいまではなんとか登れた。そのへんから自分でもわかるくらい床が傾いてた。それで、あとどれくらいだろうと顔をあげて息を飲んだ。


 天井が、つまり階段の下側のコンクリートが落ちて鉄筋が剥き出しになってたんだよね。


 もちろんボクひとりの体重でどうにかなるような太さの鉄筋じゃないよ。できるだけ気にしないようにして登ったんだけど、一歩ごとに揺れるんだ。


 ボクは何度も目を瞑って揺れがおさまるのを待たなくちゃいけなかった。揺れるたびにパラパラ、パラパラ、足元で――つまり階段の裏側のコンクリートが剥がれて床を打つ音が聞こえてくるんだよ。まるで、


「落ちるよ? ほら落ちるよ? 崩れちゃうよ?」 


 って、そんなふうにいわれてるみたいだった。

 緊張すると呼吸が浅くなるからね。目眩がしてきて、懐中電灯の重さに手も怠くなったよ。


 そうして、踊り場に落ちてる数字の一を見つけた。壁には二。二十一階だ。

 あと四階登れば終わりのはずだった。

 ボクが見たのは、埋まった階段だったんだ。

 何度目か数えてないけど、ボクは悪態をついた。


 正直に告白すると、ボクは長い時間をかけて斜めになった床を登ってきたのと酸欠の影響でおかしくなってたんだ。


「外階段しかないか……」


 はっきり覚えてる。ボクはがっかりしながら呟いた。

 バカみたいだ。

 もう二十階まで登ったんだから、高さは六十メートルちかくに達してる。斜めになってるから高い側に出ればもう少しあったかもしれない。地図の確認をするには充分な高さだ。


 なのに。

 ボクは崩れかけの壁に埋め込まれた、外の鉄階段の前に立っていた。


「……よし。いける」


 呟いたのはボクの自殺願望だ。きっとね。そうとしか思えない。

 もうずっと昔に思えるけど、ネットで見たことがある。


 子どもには生まれつき自殺願望が備わっているんだってさ。人間に限った話じゃなくて、動物全般に備わっている機能なんだ。好奇心が猫を殺すってことわざもあるように、子どもは自分自身を死にむかって前進させるようにできてる。


 でも、それは本当に死ぬためじゃなくて、どうしたら死んでしまうかを身をもって学ぶために、生まれつき死のうとしているんだっていう話。


 あのとき、その話を思い出していたら、ボクは登らなかったと思う。

 建物の外についてる鉄階段は、当然だけど内階段より激しく揺れたよ。たぶんだけど、ボクは――というか、ボクの躰は、疲労による呼吸の浅さや鼓動の強さを、興奮とかんちがいしたんだと思う。


 ボクはうえに登っていくのが楽しくなってた。

 ガーン! ってボルトかなにかが弾けたようなかたい金属の音がして、大きく揺れたよ。ボクの躰は手すりに寄っかかってて、ちょっと下を見ると瓦礫の山と駐車場があった。


 パン! って、甲高い音がしたんだ。金属が重さに悲鳴をあげて千切れる音さ。茶色い、細い鉄の棒みたいなのが落ちていくのが見えた。下に停めてあった潰れた車にぶつかってそこらじゅうに大きな音を響かせた。


 ボクは笑ってた。


「アハハハ!」


 って、大きな声で笑ってた。怖かったのか怖くなかったのか区別できない。思い出すとなんて無茶なことをしたんだろうって後悔ばっかりするんだ。


 一番うえまで登っていくと、鍵のついた扉で屋上へつづく階段が封鎖されてた。屋上にでるには手すりに躰を預けて扉を回り込むしかない。


 ボクは胸の銀座カリーパンの空袋を撫でて、手すりをよじ登った。

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