1-3 嚙み合わない関係 ④
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「噂、なんだけどね」
放課後。学校の校門を出てすぐのところで、リリカがポツリと呟いた。
一瞬、またかと呆れて、すぐにヒカルは思い直す。リリカと山田とでは、同じ噂でも信用度が違う。
「噴水あるじゃない? 公園の。人が消えたんだって。それも、若い女の子ばっかり」
「誰か見てたの?」
「あそこ、パーカッションやってる人達がよく居るじゃない? 見たんだって。いきなり、フッて消えちゃったって。噂だけどね」
リリカの手にスマートフォンがあるのを見て、ヒカルはSNSから流れてきた情報だろうと察した。情報が多く流れてくる分、その内容は精査しなければならない。
公園などの人が集まる場所は、アナザーにとっても絶好の餌場となる。しかし、もし本当に出没した形跡があれば、直ぐに中林が突き止めてヒカルに出撃を命じるはずだ。
ヒカルはリリカの話を聞くうちに、それは昨日のアナザーのことではないかと考えた。
「だとしたら、アオ姉が捜査してるかも」
ヒカルが答えると、リリカは安心した様子を見せた。アナザーの名こそ口にしないが、それに怯えているのは事実だ。
リリカの家は母子家庭で、母親は仕事のため頻繁に海外へ行く。そういった事情もあって、彼女が幼い頃は祖母と二人で暮らしていた。だがその祖母も亡くなり、今やリリカはすっかりヒカルの家に入り浸るようになっている。
リリカの父親は、アナザーの被害者だ。それはハッキリとリリカの口から伝えられた訳ではないが、周囲の大人たちの匂わせるような会話と彼女の脅え様とで、ヒカルは自然と察したのだった。
話題を変えるべく、何処かへ寄るかと、ヒカルは尋ねる。
リリカは道の端へ立ち止まって、ブックマークしていたホームページを確認している。リリカには既に笑顔が戻っていて、新しくできたパティスリーがどうこうと楽し気だ。
「これ、すっごく美味しいんだって」
「甘そう」
「アオ姉も好きかもよ?」
「アオ姉は、ツマミにしか興味ないよ」
「そんな訳ないじゃない。可愛いものは大好きでしょ」
「そうかなあ……」
アナザーの捜査を行うアオイは、リリカにとってヒーローのような存在だ。幼い頃から面倒を見てもらったということもあって、リリカはアオイに憧れを抱いている。
そのリリカが、アオイと同じ仕事に就く淡路のことを好きになるのは、ヒカルには当然のことのように思えた。
二人が道端でスマートフォンを眺めていると、後ろから、掛け声とともに道着姿の集団が現れた。空手部が、校外のコースを走りに行くのだ。
その一番後ろに道着姿の北上を見つけて、二人は少し気まずさを覚えた。授業中の一コマを思い出したからである。
北上は二人の前で立ち止まると、不可解な事件が多く発生していること、学生の本分は学業にあると話し、帰宅を促して去っていった。それは教師という立場で言うべきことを伝えたような、義務的に行ったようにも見えた。
二人は北上の姿が見えなくなるまで見守って、それからまたスマートフォンに目を落とす。北上は、戻ってきてまで注意をするようなタイプではない。
すると直ぐに、今度は地響きが聞こえて二人は顔を上げた。二人が視線を向けた先では、大量の土埃が舞っている。
一体何事かと眺めていると、やがて二人の前には袴姿の剣道部員達が姿を見せた。彼らは皆、闘志に満ちた表情で全力疾走している。そしてその先頭には、南城の姿があった。
「東條に、泉か!」
部員たちを先に行かせて、南城は二人の傍へやってきた。授業中とは違って、南城も紺色の袴姿である。
「何処かへ寄り道する時間があるのなら、お前たちも剣道部に入らないか」
「あの、なんだか、凄い気迫でしたね」
ヒカルは、出来るだけ言葉を選んで口を開いた。
リリカはまだ驚いた様子で、駆け抜けていった集団を目で追っている。
「そうだな。元気あるのは良いことだ」
「はあ。なるほど」
「東條。私は、お前に期待しているぞ。部活が難しいのなら、うちの道場へ通うといい。東條先輩も来てくださったなら、私の父も喜ぶだろう」
南城の実家は、桜見川区内にある剣道場である。
「えっと、姉は、忙しいと思いますし。僕も、その、色々」
「そうか。まあ、そう急くことはない。少し考えてみてくれ」
南城はヒカルが頷くのを見て、歯を見せて笑う。
何においてもいえることだが、南城には多少強引なところがあっても、なにかを強制をすることはなかった。最後に決めるのは自分の意思だと、彼女は考えているのだ。
近頃は物騒だからと二人に帰宅を促して、南城は先を行く部員たちを追いかけていく。その姿は、瞬きする間に見えなくなった。
「南城先生って、アオ姉の後輩なの?」
「うん。確か、大学って言ってたかな。詳しくは、聞いてないけど」
ヒカルはふと、南城が挨拶に来たがっていたことを思い出した。入学してから何度か声を掛けられているのだが、アオイの仕事の都合が合わず断念している。
ヒカルは、アオイの交友関係を知らない。友人の一人が飲み屋を経営しているようなことは耳にしているが、年の離れた弟に気を遣っているのか、アオイが自宅に友人を招いたことはこれまでに一度もなかった。
学生時代はもちろんのこと、社会に出てからも、アオイはいつも忙しくしている。だが彼女は、どれだけ忙しくてもヒカルの学校行事には必ず参加し続けてきた。
ヒカルはそれを嬉しく思う反面、アオイがそうするべきだと自身に課しているようにも思えていた。姉として、家族としてこうあるべきだという考えや理想に、囚われているのではないか、と。ヒカルはそれを、出来るだけ考えないようにしていたが。
急にリリカに腕をつかまれて、ヒカルは驚きながらも彼女と共に走り出す。
「もう! 急いでってば!」
「なんだよ」
「後ろ!」
走りながら道端のミラーに目をやると、そこには二人の後を追うように走ってくる野球部、そしてその後ろにはサッカー部の集団が映っていた。野球部の列には、見知った坊主頭の姿もある。
「もう! 今日はみんな、なんなの?」
ワラワラと駆けてくる集団を背中に感じながら、リリカは笑う。
「校庭を走ればいいのに」
顔を見合わせて、二人は笑った。授業中に関係を指摘されて感じたような重苦しさは、もう感じていなかった。




