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ゲノム・レプリカ  作者: 伊都川ハヤト
Human after all

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2-9 始まりの合図 ②



 十八時二十分。


 アストロエリア。


「――いい加減、しつこいのよ!」


 アンズが振るった扇子の動きに合わせて、敷き詰められた石畳の上に幾本もの亀裂が走る。


 ヒカルとキツネはそれを跳んで避けながら、互いに反撃の機会を窺っていた。


 キツネは刀から弓に持ち替えて、ヒカルが攻撃する合間にアンズへ矢を放っている。それは最初こそ歪な連携だったが、幾度か繰り返されるうちに精度が磨かれ、キツネの矢は確実にアンズに届き始めていた。


「モンストル! いらっしゃい!」


 アンズの呼びかけに呼応して集まり、アナザー達は巨大な塊と化した。


 巨大なクジラを思わせるそれは素早く飛び上がると、大きな口をパカリと開き、ヒカルの頭上に迫る。


 ヒカルがサイドに跳んで避けようとしたところへ、更にアンズの放った衝撃波が彼に迫った。


(しまった……っ!)


「遅い!」


 不意に襟首を掴まれたかと思うと、次の瞬間には、ヒカルの体は遠く離れた地面に叩き付けられていた。


 キツネはヒカルを放り投げた後、弓を瞬時に薙刀に変えて周囲の喧騒を一掃する。

 凍り付いたクジラが、切り刻まれて氷の粒となり地面に降り注いだ。


「足を引っ張るな! 馬鹿者が」


 キツネが声をあげる。

 ヒカルは頷いて応えると、直ぐに立ち上がってアンズとの距離を詰めた。


「モンストル!」


「させない」


「しつっこいのよっ! 殴るしか能のない癖に!」


 ヒカルの拳を受け止めきれず、傘を構えたまま、アンズの体は後ろへ飛んだ。空中でクルリと身を翻すと、アンズは着地と同時に飛び上がり、今度はキツネの放った矢を躱す。


 舌打ちして、キツネは直ぐに次の矢を番えた。


(やはり、力を温存していたな)


 キツネの目には、アンズの周囲を飛び回り彼女の目を攪乱しているヒカルの姿が映っている。


 同じ時、キツネと同じことを、アンズも感じ取っていた。ヒカルの動きは目に見えて速くなり、繰り出す攻撃の威力も増している。状況の変化に慣れたというよりは、様子見を止めたという印象だ。


「生意気ねっ!」


 アンズの手の動きに合わせて召喚された巨大な水の塊が空中で弾け飛び、それらは魚を模した無数のアナザーへと姿を変えてヒカルに襲い掛かる。


 更に、矢を放とうとしたキツネへ向けて、アンズは素早く扇子を振るった。


 ヒカルは腰を落とし、左腕に力を集中させる。そして、ヒカルが目の前のアナザーに向かって腕を振り上げた時――。


 空が、光った。

 稲光だ。


 咄嗟に、反射でヒカルは後ろへ飛ぶ。ヒカルは顔の前に構えた両腕の隙間から、インドラが空から現れるのを目にした。


「――おかげで、少し眠れた」


 地面の上で痙攣するような動きを見せているアナザー達の中に、インドラは立っている。


 その後姿に、ヒカルはゾッとするものを覚えた。確かに瓦礫の下に埋もれていた筈のインドラが、全く無傷の状態でやってきたからだ。


 キツネはインドラに目を向けながら、片手間にアンズの放った攻撃を弾く。その手にはいつの間にか、刀が握られている。


「あら。ようやく、全員お揃いね。助かるわ!」


 アンズの声は、苛立ちを隠そうとしていない。


 地面に転がるアナザーへ向けて扇子を振るうと、アンズは彼らを水の姿に還した。


 地面に出来た幾つもの水たまりが、ズルズルと地面を這ってアンズの元へ集まっていく。


「少年。先ほどの事は水に流そう。今すべきことは一つだ」


「……どうも」


 ヒカルは困惑しつつ、頭を下げた。インドラの声は、一切の他意を感じさせない。余程のお人好しなのか、あるいは馬鹿なのかもしれないと思わせるほどだ。


「彼女は、水を呼び寄せアナザーに変える。海が近いここでは、キリがない」


「じゃあ、このエリアから引き離せば……」


「そう、簡単な事でもないと思うが?」


 キツネの冷淡な声が、二人に割入った。キツネはヒカルの後方で、怪我を負った左腕を止血している。


「そもそも、ここは周囲を海に囲まれている。そのうえ隣には水族館。空気中にすら微量の水が存在する以上、何処へ行っても、あの女はアナザーを生み出せる筈だ」


「じゃあ、彼女を叩くしかないってことですね」


 ヒカルは、両の拳を突き合わせた。


 ヒカルの拳が空気を震わせるのを、キツネは感じ取る。そしてキツネは、ヒカルが公園の池を干上がらせた時の事を思い出した。


(火事場の馬鹿力だった……という訳でもなさそうだ)


 ヒカルに対する評価を改め、キツネは処置を終えると開けていた着物を直す。すると、キツネはインドラの視線に気付いた。


 インドラは真っすぐに、キツネを見ている。


「なんだ? 何が言いたい? 他に方法があるというならば、言え」


「キツネ。君は、女か?」


 空気が、凍り付いた。


「……成程。女は、闘いの場には出るなと、そう言いたいのか?」


 キツネの声には、怒気が籠っている。彼女は、自分が女であることを隠していた覚えはなかった。なにより腹立たしく思うのは、性別を誤解されていたことではない。女だと分かった途端に、それを指摘するインドラの態度だ。


「いや。君が居ないと困る。だが、中に何か着てくれ」


「……は?」


「開けすぎだ」


 インドラは、キツネの白装束の胸元から覗くサラシを指さしている。


 インドラとキツネとの間に挟まれて、ヒカルは居た堪れない気持ちになった。キツネが女性だったという驚きよりも、今は居心地の悪さが勝っている。


「お前、意味の分からん事をいうのは止めろ」


「動くと見える。困るんだ」


「知ったことか! お前に、とやかく言われる筋合いはない!」


 ヒカルは自分が怒られたような気になって、思わず肩を竦めた。


「ねえ、なんだか知らないけれど、いい加減にしてもらえる? 無視しないで頂きたいわ。大体、そんなペッタンコがなんだっていうの?」


 アンズはワザと、両腕で胸を押し上げるようにして見せた。服の上からでも分かるそのボリュームにドキリとして、ヒカルは思わず目を逸らす。


 キツネが何か呟くのを、ヒカルは聞いた。そして背中で燃え上がるような怒りを察知して、彼は体を強張らせる。


 これ以上なにも言ってくれるなという思いで、ヒカルはゴーグルの下の懇願するような目をインドラに向けた。


 インドラは察した様子で、ヒカルに向かって力強く頷く。


「キツネ。需要はある」


「――まとめて死ねっ!」


 キツネが叫び、胸の前で両掌を合わせるように強く叩きつけた。それに呼応して彼女の周囲には氷で出来た形代が浮かび上がり、円を描くように高速で展開する。


 そしてキツネから放たれた冷気で辺りは瞬時に凍り付き、ヒカル、インドラ、アンズの脚は地面から伸びる氷柱の一部と化した。


「そこでじっとしていろ! 今に刻んでくれる」


 キツネは刀を引き抜いた。


「あら、お忘れなの? ココなら、いくらだって呼べるのよ!」


 アンズの手の動きに合わせて、空にはアナザーが出現した。彼女の脚は凍り付き、真っ赤に染まっている。


 ヒカルは両手で、固まった脚を殴りつけて氷を砕いた。足先の感覚が、既に鈍くなっている。


 キツネはヒカルには目もくれず、アンズだけを見ているようだ。


(先生……っ!)


 無線に手を当てて、ヒカルは中林に呼びかけた。このままでは、決め手がないまま消耗していくだけだ。


 しかし、中林は応えない。ザザッというノイズだけが、ヒカルの耳には返る。


 前方には、膨らみ続ける巨大なアナザー。

 後方に、キツネ。


 完全に挟まれた状態で、ヒカルは前後に気を張りながら二人の挙動に気を張り巡らせた。今、気を抜けば終わりだという緊張感が、ヒカルの体を強張らせている。


「どうにもならないか」


 呟くと、インドラはヒカルと同じように脚周りの氷を殴りつけて砕いた。


 インドラは平和的に解決する方法を考えていたが、これ以上は闘うしかないのだと諦めたのだ。


「キツネ。すまない」


 インドラは、氷の上を革靴でザクザクと歩いていく。

 その時、ヒカルには、時が止まったように見えた。


「君の力は、厄介なんだ」


 ヒカルが瞬きする間に、キツネの姿は消えていた。インドラがキツネに何かしたのだと気付いたのは、少し遅れての事だ。それも、理解してから飲み込むまでには更に時間が必要だった。


 キツネが消えた後、溶けて消えていく氷の中を、インドラは駆けていく。


 状況を理解できないのは、アンズも同じだった。気付くとアンズの眼前には、インドラの姿が迫っている。


 インドラは一撃の元に上空のアナザーを打ち倒すと、アンズの足元の氷を蹴って砕き、さらに彼女の扇子と傘を取り上げて砕いた。


「帰ってくれないか?」


 ハンター同士の戦いは無意味だと、インドラは言う。


 傘と扇子だった破片が地面に落ちてその姿を水に変えると、ようやくアンズは我に返り、インドラを見上げた。


 ヒカルは、息を飲んで二人の姿を見守っている。


(……ル! ヒカル!)


 耳に飛び込んできた声で、ビリビリと体中に電流が走ったようにヒカルは思った。

 中林だ。


 ヒカルは思う様に声を出せず、目を二人に向けたまま、中林の声に耳を傾けた。


(ヒカル。核を狙え。あの女の、核を破壊するんだ! あれはもう、人間ではない)


 アナザーだと、中林が叫ぶ。


 ヒカルは、信じられないことの連続で、自分の耳が壊れてしまったように思った。


 触れるなと声を荒げて、アンズが水の固まりをインドラへ仕向ける。


 インドラは後ろへ飛ぶと、ヒカルの隣へ着地した。


「触るな、触るな……っ! 私に触れていいのは彼だけ。アンタなんかじゃない!」


 アンズは髪を掻き乱して、その場にへたり込む。ズレた帽子が、彼女の顔の前面を覆っている。


(負けられない。負けられない……。神にならなくちゃ。神になる。神になるの。私は、神になる……!)


 アンズの目の裏では、ヒカルが笑いかけている。


 インドラとの力の差を一瞬で理解してしまい、アンズは混乱状態にあった。このままでは、いくらアナザーを召喚しても勝ち目がないと悟ったのだ。


 アンズの体は核を多量に取り込んだことで強化されていたが、インドラのそれは彼女を遥かに上回っている。


(――聞こえるかい?)


 中林の声が耳に響いて、アンズはハッと顔をあげた。


 眼前には、インドラとヘカトンケイルとが構えをとっている。


(ああ……傷つき、なんと可哀そうなことか!)


(先生! 先生、どうしたらいいの? 私はもう、戻れない……戻れないのに)


 アンズの瞳からは、ボロボロと大粒の涙が零れだす。


 キツネが言う通り、アンズは既に、自分が人ならざる存在なのだと気付いている。それでも神にさえなればと、全てを捨てて今日を迎えたのだ。


(君は、まだ全ての力を使いこなしていない。そうだね? 大丈夫。君はまだ闘える。さあ、笑っておくれ……)


 中林の言葉を耳にして、アンズが浮かべたのはシニカルな笑みだった。天使だと思っていたものが、本当はどんな存在だったか分かってしまったからだ。


 中林は、自分を利用している。それを察して、アンズは笑わずにはいられなかった。


「ああ……でも、いいの。それでもいいの。彼がいる」


 フラフラと立ち上がり、アンズは帽子を脱ぎ捨てた。そして顔を右手で覆い、左手を空に掲げる。


 ヒカルは近づいてくる異様な気配に気付き、横目でインドラを見やった。どうやら、インドラも、同じものを感じ取っているようだ。彼が構えを解かないことが、ヒカルには何かの予兆のように感じられている。


「待っていて。待っていてね。もうすぐ、ステキな世界にしてあげる……」


 狂ったように笑い始めた女の腕が、ブクブクと膨らみ形を変えていく。


「……くん。東……く、ン。アア……モウ……ヨ。ア、アア……」


 アンズの心は、不思議な程に満たされていた。


 変化していく恐怖に身を委ねた時から、彼女の全身を万能感が満たしていく。抗い続けた事が間違いであったかのように、今は心が安らかだ。


 周囲の水溜まりをズルズルと引き付けて、女の体をしていた生き物はさらに巨大化していった。


 肥大化した頭は水を吸い上げて大きく膨らみ、零れ落ちた目玉が辛うじてぶら下がっている。口は縦横に裂け、腕だったものは幾本にも枝分かれしてヒダ状に変わり、下半身は蛇のようだ。


 ヒカルは、震える拳を強く握りしめた。


 アナザーは、その半透明の体の向こうに夜を映している。それは不愉快な音を発して、小刻みに震えていた。まるで、笑っているようだ。


 少年、と、インドラがヒカルに声を掛けた。


 ヒカルは、凍り付いた横顔でそれに答える。


「――跳べ」


 インドラの言葉と殆ど同時に、反射でヒカルの体は動いている。


 アナザーが放ったウォータージェットのような水流が、二人の立っていた地面を抉る様に吹き飛ばしていた。


「俺が隙を作る。君が、狩れ」


 インドラは落ち着いた様子で、アナザーからの第二撃を避けている。


(狩る? ……でも、あれは――!)


 ヒカルの言葉は、声になっていなかった。


 中林の言葉を脳裏に思い返し、覚悟を決めて、ヒカルは大きく返事する。かつてキツネが口にしていた言葉は、真実だった。あれはもう、人ではないのだ。


 アナザーへ向き合うと、ヒカルは左腕のスーツの力を解放した。


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