2-7 FACE ⑨
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十四時三十五。
南城は、目の前の意外な光景に言葉を失っていた。
まるで出勤途中のような恰好をした北上が、目の前のベンチで脚を組み俯いている。寝ているのか、落ち込んでいるのか。或いは死んでいるのかもしれないと思い、南城は何も見なかったことにして、北上の前を足早に通り過ぎた。
「――南城」
声を掛けられて、南城は足を止める。
北上は南城が彼に気付くよりも前から、彼女の姿に気付いていた。だが、南城がいつものジャージではなかったので、確信が持てず声を掛けられずにいたのだ。通り過ぎる瞬間になって、ようやく横顔で南城と確信し声を掛けたのだった。
(しまった、生きていたか……)
少し残念そうに、南城は仕方なく北上の方へ顔を向けた。
「ああ、北上か。今日は冷えるな。じゃあな」
適当に挨拶を済ませて、さっさと背を向ける。しかし南城は直ぐに立ち止まって、北上の方へ向き直った。北上は、何故こんな日に、こんな所にいるのだろうか。
一方、北上は、南城が振り向いたので少し嬉しくなった。今日の南城は、まだ怒っていない。
「お前、こんなところで何してるんだ?」
華やかなクリスマスシーズンのテーマパークは、南城の思う北上のイメージとはかけ離れている。どちらかというと、彼は歩く葬式だ。
何をと問われても、北上は上手く答えることが出来なかった。謎の女に呼び出されたので仕方なく――とは、言える筈もない。
なんと答えるべきか分からないだけでなく、北上の頭は普段より回転が鈍っていた。学校の授業がオンラインに切り替わってからというもの、受け持っている高校一年から三年までの全ての授業準備が必要となり、多忙を極めていたのである。
さらに運の悪いことに十二月には定期考査があり、考査の準備から考査の実施、膨大な丸付けの作業に成績入力なども重なった。
極めつけは、欠員が出たことだ。北上が主任を務めている数学科から、病気療養のために休職者が一人出ることになった。入院を伴う手術だが、幸い新年度には復帰が見込まれている。
しかし、復帰が見込まれている以上は、一月から二月までの短期間に新しい教員を採用する訳にもいかない。その期間の授業は数学科に在籍している人員で振り分けることとなり、結果、北上は本来受け持っている授業以外の準備などで忙殺されていたのである。
今日までの約一か月間、北上の平均睡眠時間は一日三時間を切っている。
「お前……まさか、フラれたのか?」
こんな日に、テーマパークのベンチの上で男がしょぼくれている。その理由が、南城には他に見当たらなかった。
(ああ。大熊先生の休職の話を聞いたのか? 耳が早いな。実はそういう訳で、人員の調整に関する話を)「振られたんだ」
南城は、北上があっさりと認めたので酷く驚いた。
北上は、南城は体育科でここ暫くは出勤も少なかったはずなのに、何処で情報を耳にしたのだろうと不思議に思った。
「そうか。いや、まあ……こんなこと言ったら悪いが、当然だと思うぞ?」
南城は、いつでも葬式に行けるような北上のスーツを指している。
(当然か。まあ、それもそうだ。俺は主任だからな)「仕方がないと思っている」
北上が言い返さず、悟ったような態度で返してきたので、南城はそれを不憫に思った。きっと、もうショックを受ける事もない位に、終わりかけの関係だったのだろう。
「だったら、もう帰ったらどうだ? 家に帰って、さっさと休め」
(心配してくれているのか。今日の君は優しいな。だが)「出来ないんだ、まだ」
北上は、南城が優しいので、とても楽しい気分になっていた。勿論それは、表情には出ていなかったが。
南城は北上が、彼なりに男の意地を張っているのだろうと考えた。一人で家に帰って、ロウソクを眺めながらジングルベルを聞く北上の姿を想像すると、南城には彼が可哀そうで仕方がなかった。
しかし、ここは心を鬼にしてでも家に帰ることを勧めようと思い、南城はベンチを指す。
「あのな、北上。お前のような無駄にデカい葬式面がずっとそこに居ると、一般のお客様にご迷惑が掛かると思わないか? だから、もう移動した方がいいぞ。家に帰れ」
思いの他酷い言い方になってしまったと思ったが、南城は後悔しなかった。これだけ言えば、流石に帰るだろうと思ったのだ。
北上は、南城の言うことも一理あると思ったので、素直に立ち上がった。彼は、自分が人よりも大きいことを自覚している。
南城は北上に背を向けて歩きだし、そして直ぐに足を止めた。振り向かずにそっと目をやると、後ろには北上の姿がある。
北上は、促されるまま立ち上がったものの、行く当てもないのでどうしようかと考えていた。そんな矢先、目の前の南城が止まったので、自分もつられて立ち止まったのだ。
南城の目に映る北上の姿には、どことなく既視感があった。
一体、何処だったか。なにで見たのだろうかと考えを巡らせて、南城はようやく答えに辿り着く。
北上の目は、昔、道場の前に捨てられていた子猫にそっくりだ。
「お前、行くところがないのか……?」
北上の目は、捨てられた動物特有の、諦めと悲しみとが混ざりあった色をしている。
実家が厳しかったので飼うことが出来なかった、あの黒猫。
あの時、もし自分が泣きわめいてでも飼うと言ったら、両親はそれを許してくれたのだろうか――。
「一緒に……来るか……?」
南城は、記憶の中の子猫に向かって語り掛けた。
何も知らない北上は、無言で頷いた。




