2-7 FACE ⑥
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十二時三十分。
水族館の外にあるベンチで、ヒカルは温かい紅茶の入った紙コップを片手に空を見上げていた。
女の子の前で泣いてしまったという事実を思い出す度に恥ずかしくなって、ヒカルは額に手をあてる。こんな状態であの謎の女とキツネを狩る事など出来るのだろうかと思うと、ヒカルは軽く頭痛すら覚えた。
「東條くん。お待たせ」
荷物を取りに行っていたアンズが、ヒカルの元へ駆けてくる。その手には、小さなバスケットがあった。
アンズはバスケットを開くと、中からサンドウィッチやサラダを取り出す。
自分で作ったのかとヒカルが問いかけると、アンズは料理が得意なのだと答えた。
「はい、どうぞ」
手渡されて、ヒカルは遠慮がちに受け取った。
アンズは、ヒカルが自分の手作りに抵抗感があるのかと誤解した。
アンズの表情で誤解させたことに気付くと、ヒカルは直ぐに食欲が無いのだと説明する。
「そっか。東條くん、文化祭の時も疲れてそうだったもんね」
アンズは、ヒカルの様々な表情を思い返している。
ヒカルは文化祭の時の自分を思い出そうとしたが、頭の中は相変わらず曇っていた。
「いいんだよ、東條くん。疲れたり、大変だったり、そういうのは誰にでもあるし、悪い事なんかじゃないよ。でもね、食べないのは絶対ダメ! 沢山食べて、沢山寝なきゃ。ね?」
ヒカルの顔を覗き込むように、アンズは首を傾けて笑顔を見せている。
先刻、アンズはヒカルが涙を溢すのを見ても、その理由を尋ねようとはしなかった。彼女は何も言わず、静かに彼の涙を拭っただけだ。
アンズの笑顔を見て、ヒカルは手渡されたサンドウィッチに口を付けた。
「……美味しい」
「本当? 嬉しい! よかったあ」
「料理、上手なんだね」
アンズは、顔を赤らめて照れている。
「東條くんも、お料理上手なんでしょ? 山田くんが言ってたよ」
「上手っていうか、他にやる人が居ないっていうか。僕、姉さんと二人暮らしなんだよ。姉さんは仕事が忙しいから、代わりに僕が出来ることをやってるだけで」
「そうなの? 東條くん、優しいね。お姉さんも嬉しいと思うよ」
「そうかな」
「そうだよ。東條くんは、いつも優しいよ」
知っているものと、アンズは呟いた。それは、ヒカルには届いていなかった。
ヒカルが照れたように黙ったので、アンズは自分もお茶を飲むふりをして、横目でこっそり彼の顔を見る。
落ち込んでいるような顔。
海の泡の様にキラキラした涙。
照れた横顔。
優しい笑顔――。
その全部が今は自分だけに向けられているのだと思うと、アンズはこの時間が永遠に続くことを願った。
本当はあの時、後ろにリリカが居たことに、アンズは気付いていたのだ。
勿論、あの場でヒカルに教えることも出来た。だがアンズは、そうしなかった。ヒカルの涙を、自分だけのものにしたかったからだ。
一度認めてしまえば、アンズは自分の狡さすら好きになれるような気がした。
ヒカルはふと、朝は胃に牛乳しか入れていなかった事を思い出す。こうしてお腹が満たされると、少しだけ元気を取り戻せたように思う。
ヒカルが礼を伝えると、アンズは笑顔で返した。
「こちらこそ。独りで食べるの嫌だったから、嬉しかったよ。東條くん」
「ありがとう。……内緒にして欲しいことが、増えちゃったな」
ヒカルは、自分が泣いたことを自虐する。
「誰にも言わないよ。……あ、でも、わがまま、言ってもいい……?」
アンズは、もう少し一緒に回りたいのだと伝える。
ヒカルは、笑顔で了承した。




