2-7 FACE ④
*
十一時四十分。
ヒカルは、アドベンチャーニューワールドの「アクア」と呼ばれる水族館に居た。
どうせカップルばかりだろうと思っていたのだが、いざ到着してみると、パーク内は謎の女の襲撃予告を面白がって来たようなグループやマスコミも多くカオスと化している。
そのおかげもあって独りきりの自分が浮くことはなかったが、これから起きることを考えるとヒカルは憂鬱だった。どうやってこれだけの人数を巻き込まずに、謎の女とキツネだけを狩ればいいのだろう。
ヒカルは到着してから、随分と長いこと一つの水槽の前に座っていた。
それはクラゲの水槽で、他の展示に比べれば派手さは無かったが、いつまでも見続けていられるような心地よい浮遊感がある。
謎の女は動画内で、時間しか指定していない。この広いパーク内で、これだけの人ごみの中で、ヒカルは気配を頼りに女とキツネを探さなくてはならないのだ。
ここには、アオイも仕事で来ている。これだけ人が多ければ、彼女の仕事も大変に違いなかった。
それでもヒカルは、アオイは淡路が一緒に居れば問題無いだろうと考えている。そう思える程度には、ヒカルは淡路のことを信頼し始めていた。
それから、どれ程の時間が経ったか分からなくなった頃。ヒカルは晴れない心を抱えて立ち上がり、辺りの水槽を眺めて歩き出した。
大きなチューブ型の水槽を見つけて中へ入ると、立ち止まるカップルの間に挟まるように、ヒカルは辛うじて自分の場所を見つけることが出来た。
ガラスの向こうに広がる、青い空間。その中を幾種類もの魚が泳ぎ回り、見上げた天井からは、太陽の光が星粒のように輝いて見えている。
ふと、ガラスに金髪の少女が写った様に思えて、ヒカルは反射で振り返った。しかしそれは、全く知らない別人だった。
腕を組んで歩いていくカップルの背を眺めながら、ヒカルは自分のカバンに意識を向けた。此処で渡す予定も無くなってしまったのに、持ってきてしまったクリスマスプレゼント――。
虚しくなって、ヒカルはチューブの上を眺めながらフラフラと歩き始めた。
それから少しして、ヒカルは自分の胸の辺りに、何かが当たったことに気付く。
「あ、すみません! ……えっと、もしかして、西園寺さん……?」
「……東條くん? どうして?」
ヒカルの前には、ニット帽を目深に被り、グルグル巻きにしたマフラーで口元を隠しているアンズがいる。アンズは真白のコートに、真っ赤なマフラーを身に着けていた。
「あの……東條くん、泉さんは? 一緒じゃないの?」
「今日は……ちょっと。西園寺さんは?」
「あ、えっと……内緒」
「そっか。じゃあ、僕も。内緒」
ヒカルが笑い掛けると、アンズも笑顔を返した。
「そうだ! あっちの水槽は、もう見た? もう少ししたら、サンタさんが魚に餌をあげるよ。あと、向こうにクラゲの水槽があるの。東條くん、クラゲ好きだったよね? あと、今の時期だけ、ペンギンもサンタさんの恰好してて……」
アンズの声は落ち着いていて、囁くような声質は水槽に囲まれた空間に溶けていくようだった。
目をキラキラさせて話すアンズの声を聞いているうちに、ヒカルは何かこみあげてくるものを覚える。
不意に、アンズの姿が、歪んで見えた。
アンズが口を閉じて、ヒカルの頬にそっと手を触れる。
そうして初めて、ヒカルは自分が涙を流したことに気付いた。




