2-6 Tell me ④
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デスクに積まれた書類の山を見て、アオイは気が遠くなるのを覚えた。つい先ほど綺麗に片付けた終えたばかりだというのに、たった数分離席して、戻った途端にこれである。
部下たちに目をやると、彼らはアオイの視線から逃げるように一斉に顔をPCに向けた。
これは何かあるなと、アオイは椅子に腰かけて書類の中身を確認し始める。ハンターに関する資料の他に、報告書が四件、経費申請書が三件――。
普段は電子申請させている資料ばかりが紙で積まれていることに気付いて、アオイは迷わず経費申請に目を着けた。
「エスプレッソメーカーって……なに?」
佐渡、国後、城ヶ島、能登の四人の部下たちは、誰一人として顔を上げない。アオイは皆の机の上にマグカップが置かれているのを目ざとく見つけて、頭痛を覚えた。
どうしてくれようかとアオイが考えていると、部屋の入り口に淡路が姿を現す。
アオイは素早く、淡路に目で合図した。
「東條さん。お疲れ様です。少し、宜しいですか?」
淡路に声を掛けてもらい、アオイはそれに了承する形で自然に席を立った。彼女は部屋を出る間際、部下たちに向かって、「今日はもう戻らないので、書類を直しておくように」とだけ伝える。
二人が部屋を出てすぐ、ドアの向こうからはバタバタという慌ただしい音が聞こえた。
「部屋、取れる?」
「モニターがある方がいいですよね? 三番だったら、ここから三時間は空いてます」
「じゃ、それでヨロシク」
淡路が抑えた会議室へ向かいながら、アオイは途中の自販機でコーヒーを買う。隣では淡路が、水のボトルを買うのが見えた。
「――子供かっ!」
会議室のドアが閉まるなり、アオイは苛立ちを爆発させた。コーヒーの缶が、手の中でベコリと音を立てている。腐っても優秀と呼ばれる経歴、学歴の彼らが、一体何をしているのか。だから、特務課は他所から舐められてしまうのだ。
「ああ。そういや、僕も幾らか出しましたよ」
「知ってたなら止めなさいよ。あんたも、佐渡も!」
「経費云々とは、言ってませんでした。一人、千円くらいだったかな? 一課に自慢されたとかなんとか、国後と能登が言ってましたね」
淡路は全く興味がない様子で、ノートPCを立ち上げてモニターと繋いでいる。
「一課のあれは、無くなっちゃったって聞いたけど?」
「届いたらしいですよ。同じ機種の、色違いの新品が。どうしてでしょうね?」
淡路の言葉には、棘がある。
脳裏には向島の姿が浮かんだが、アオイは知らないとだけ答えた。
アオイは自分のPCを立ち上げると、早速資料の確認に移る。出来るだけ急いで終わらせて、今日は家に帰りたい。昨日は結局、泊まりになってしまった。
淡路がモニターに映し出した資料には、ペンギンモチーフのキャラクターとマップが描かれている。そこには、「アドベンチャーニューワールド」と書かれていた。
アドベンチャーニューワールドは、水族館と遊園地とが合体した大型遊戯施設である。海にほど近い場所に位置するそれは、遊園地部分の「テラ」と水族館部分の「アクア」に分かれており、年間の来場者数は二千万人を越える人気施設だ。
犯行声明を出した女は、ここを破壊するといっている。
「それで、返答きた?」
アオイの問いに、淡路は首を横に振った。
「ダメですね。当日はクリスマス。アイドルのイベント開催もあって、閉鎖は出来ないと回答があったようです」
「何かあってからじゃ、遅いってのに」
「人命より金……という単純な話でもなさそうですよ。ここの経営元の社長の娘が、少し前から失踪しているそうです。で、その娘を名乗る人物から連絡があって、当日は閉鎖をしないように、と。親にしてみれば、藁にもすがる思いでしょうね」
何処かで聞いた話だと、アオイは記憶を探った。そういえばモモコが、似たような話をしていなかったろうか。
閉鎖に関しては当日まで要請を行うことになるが、恐らくそれは叶わないだろう。アオイは当日の警備体制の強化のため、人員を見直す必要があると考えた。
「そういえば、なんで漏れてんのよ。名前」
動画の女が名前を口にしていたために、今ではテレビ番組ですらハンター達をあの名前で呼び始めている。警察の関係者すら怪しいものだと、アオイは溜息を漏らした。
アオイはふと、視線を感じて顔を上げる。淡路が、アオイの顔を見ている。顔こそいつもの笑顔を貼り付けているが、何か言いたげな、非常に不満げな視線だ。
「資料、展開していませんよね?」
何のことかと、アオイは返す。
その返答で、淡路の視線はさらに不満を強く帯びた。
「向島さんから、きてますよね?」
「ああ。課長には報告済み。私の権限で、まだ降ろせないと判断しました」
「冷たいなあ。僕とあなたの仲なのに」
「上司と部下でしょう? 適切な対応です」
「まあ構いませんよ、今は。そのうち、アオイさんも僕じゃなきゃダメなんだって気付くと思います」
「あり得ない未来の話?」
「いえ。この歳まで生きると、分かるんですよ。自分は愛を注ぐ側の人間で、それでいて僕の愛は特別重いって。でも、あなたは僕がいくら愛しても、壊れないでしょう?」
アオイは淡路の言葉に、言いようの無い寒気のようなものを覚えた。
「だから僕らは、一緒になるべきなんですよ」
愛していると、淡路は付け足した。
アオイは、何も聞かなかったことにした。
アオイは資料を確認しながら、先ほど気にかかった件について、やはりモモコに確認を取ろうかと考える。特務課だけでは明らかに人員不足で、予想があたっていればモモコにも利はあるからだ。
やはり帰宅が遅くなるかもしれないと、アオイは無意識に呟いた。
「じゃあ、一旦戻って二人の様子を見てきましょうか? 洗濯物もあるし」
「それじゃ、悪いけどお願い出来る? そうだ、着替えの補充しなきゃ」
「持ってきます。薬局にも寄りますけど、なにかありますか?」
「えっと……ストッキングと、メイク落とし。あと……」
二人の間で交わされた言葉に違和感を覚えて、アオイはPCから顔を上げた。これでは、まるで夫婦のようだ。こんな会話は淡路を喜ばせるのではと思ったが、当の本人はなにも気付いていない様子だ。
不思議そうな淡路の顔を見て、アオイは自分だけが意識しているようでそれを恥ずかしく思った。
「車、使いますね。出来るだけ急いで戻ります」
「ありがとう。あなたのペースで大丈夫」
部屋を出ていこうとする淡路の背中に、アオイは言葉を投げかける。
ドアノブに手を掛けたところで、淡路がピタリと手を止めた。
「……さっきの僕ら、共働きの夫婦みたいな会話してませんでした……?」
背を向けたままの淡路の耳が、赤くなっている。
アオイは、何も聞かなかったことにした。




