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ゲノム・レプリカ  作者: 伊都川ハヤト
Cell

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1-3 噛み合わない関係 ①

三、  噛み合わない関係


 初秋の風は、どこか物悲しい。過ぎていった太陽の季節を惜しんでいるのかもしれない。そんなことを思いながら、アオイは公園のベンチに腰かけてコンビニのコーヒーを口に運ぶ。


 時刻は、十三時半を過ぎた。


 随分と歩き回ったが、動画撮影をしていたグループはおろか、ハンターにつながる情報は得られないままだ。動画の解析や聞き込みを行っている部下からも、それらしい報告は上がってこない。


「アオイさーん」


 隣のベンチから淡路に声を掛けられたが、アオイは無視した。


 傍の掲示板には、古びた映画のポスターが貼られている。もう何年も前の、探査機が小惑星からサンプルを持ち帰った話を題材にしたものだ。随分古い映画なのだが、定期的にリバイバル上映がされている。しかしアオイは、それを観たことがない。


 見上げる空は高く、澄んでいる。それすら悲しく思えるのは、心が荒んでいるからだろうか。


 アオイの所属する公安部特務課は、公安部とは名ばかりの殆ど別組織ともいえる存在だ。そもそもメンバーの殆どが警察学校を出ておらず、課長やアオイに方々から引き抜かれてきた寄せ集めの集団である。


 勿論、公安部内での風当たりは強く、肩身は狭い。ここのところは、碌な功績もないまま人件費だけは嵩んでいるという、目も当てられない状況が続いている。


 転職という言葉が脳裏に浮かんで、アオイはすぐにそれを打ち消した。


 唯一の家族であるヒカルのことを思えば、安全な環境で定時に帰宅できる仕事を選ぶべきなのだろう。しかしアナザーの脅威があるこの世界に、本当に安全な環境などあるのだろうか。


(それに私には、他に仕事なんてない)


 アオイには、罪がある。それはアオイを、今の仕事に縛り付けていた。


 アオイの脳裏に、一人の男が思い浮かぶ。平和だった日常を裂くように突然現れ、アオイを特務課に招いた人物――それが、特務課長の天下井である。


 天下井はアオイにアナザー対策班への加入と指揮を命じ、彼女がそれに准ずる限りは、今の生活を保障すると約束した。それはまるで映画のような出来事だったが、拒否権もなく、終わることもない唯の現実だった。


 ふと、天職という言葉が脳裏に浮かんで、アオイの心に圧し掛かる。


 天下井に従ってアナザーを追う限りは、アオイはヒカルに今の生活を続けさせることが出来るのだ。生活の保障と、罪の隠匿。これ以上を望むのは、贅沢ではないだろうか。


「アオイさーん。寂しいでーす」


 隣のベンチで、淡路が大きく手を振っている。彼は周りの注目を集めるようなことをすれば、アオイが嫌がって渋々反応すると思っているのだ。


 その姑息さが気に入らず、アオイは再び淡路を無視した。それに、淡路という男は、このくらいで凹むような男ではない。


 溜息を漏らして、アオイはハッとした。やめようと思っているのに、中々治らない悪い癖だ。溜息をつくと幸せが逃げるよと、ヒカルやリリカにまた咎められてしまう。


 ヒカルは、よく出来た人間だ。アオイにとって弟だからという贔屓目を抜きにしても、それは事実のように思えた。


 ヒカルはアオイと違って生活能力も高く、家事は一通りこなし、食事にも気を遣って健康的な生活を心がけている。真人間というものがいるなら、それは彼のような者を指すのだろう。


(それに比べて……)


 自分の普段の生活を思い出すと、アオイは眩暈がするようだった。自棄酒と、昼寝と、ジャンクフードで彩られた自堕落な日々。ともに育ったというのに、どこで差が付いたのだろうか。今やアオイは、ヒカルなしでは生活が難しくなりつつある。


「アオイさーん。大好きでーす」


 すぐ隣で声がして、アオイは反射的に声の主に向かって拳を突き出した。

 拳を掌で受け止めて、淡路が笑顔を見せる。淡路は、アオイが何か言うよりも早く、彼女の隣に滑り込むようにして腰を下ろした。


「あっちに座れって、言ったでしょ?」


 手を繋ごうとする淡路から引っ手繰るように自分の手を取り戻すと、アオイは胸の前で腕を組む。


「だって寂しいんですよ。横顔しか見せてくれないから」

「刑務所行く?」

「僕の心は、もうとっくにアオイさんに捕まってますよ」

「気持ち悪っ」


 どれだけ罵倒されても笑顔を崩さない淡路を気味悪く思いながら、それに慣れている自分に気付いて、アオイは肝を冷やした。


 いつもそうなのだ。アオイは、他の人間がまず理解できないような状況にすぐに順応してしまう。おかしいことに気付くのが、人よりも遅い。彼女がようやく気付いた頃には、すでに周りが順応した後ということもある。


 アオイが淡路を捕まえた時、彼女は彼の性格の歪さよりも、その情報収集能力の高さに興味を持った。対象の情報を得るためなら、何日でも張り込む忍耐力にも目を見張るものがある。


 アオイには、淡路のような人間が、経歴に傷をつけてまで自分に入れ込む理由は理解し難かった。だが、そういった情熱を仕事に向けることが出来れば、特務課の頼もしい戦力になると考えたのだ。


「淡路は……」


 出かけた言葉を飲み込んで、アオイは口をつぐんだ。

 淡路が、不思議そうな目をアオイに向ける。


 淡路は、アオイの経歴から家族構成、交友関係から買い物の履歴まで調べ上げていた。しかしそのデータの中には、一般的に性的欲求を掻き立てると思われるようなもの、彼の性的嗜好を思わせるようなものは何一つ見つからなかったのだ。


 勿論、淡路が全てのデータのありかを白状していない可能性もある。だがアオイには、彼が嘘をついているようには思えなかった。


 果たして淡路は本当に、彼個人の意思で、単なるアオイへの好意を拗らせた結果としてストーカー紛いの行為を働いていたのだろうか。


 アオイには淡路の残していたそれらが、彼の本当の目的を隠すための嘘に思えて仕方がないのだ。


「そんなに、見つめないでくださいよ」


 鼻先と鼻先とが触れ合って、アオイは我に返った。迫ってくる淡路の頬を平手打ちすると、紙コップを屑籠に放り投げて立ち上がる。


「次は、刺す」


 仕事に戻ると告げて、アオイはベンチを後にする。


 見上げた空の雲の間を、鳥が共だって行くのが見えた。

 

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