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ゲノム・レプリカ  作者: 伊都川ハヤト
Human after all

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2-5 あなたは最高 ②


 

 二〇×一年 十一月 二十二日 月曜日


「はいよ! お疲れ様!」


 頬に缶コーヒーを押し当てられて、アオイは苦笑した。屋上のフェンスに肘をついてビル群を眺めていたのだが、すっかり黄昏るような気分でも無くなってしまった。


 モモコは現れるなり煙草を口に咥えて、ジャケットのポケットを探ってライターを探している。前髪が長めのベリーショートに細身のパンツスーツは、快活で豪快な性格のモモコに良く似合う。


「悪いね、わざわざ。弟、問題なかったって?」

「かすり傷だけ。他は異常ナシ。……流石に焦った」


 違いないと、モモコは同意する。


 昨日、ヒカルの通う学校で、校舎の崩壊事故が起きていた。そこにヒカルも巻き込まれてしまったのだ。様々な偶然が重なったのか、幸運にも彼は、辛うじて建物の下敷きにならずに済んだのだという。


 報告を受けた時、アオイはすっかりパニックになってしまい、慌ててモモコとの予定をキャンセルして病院へ向かった。その際、彼女を落ち着くように諭し、病院まで送り届けたのは淡路である。


「東條家の人間は頑丈だわ。暫く休校? 休み取って、旅行でも行ったら? パアーッとさ」

「明後日からオンライン授業だって。休みねえ……取れると思う?」


 溜息を漏らすアオイ。

 モモコは、声を上げて笑った。


 昨夜、動画投稿サイトに一本の動画がアップされた。投稿主不明のそれは半壊したと思われる校舎の屋上を捉えたもので、傘を持つ少女とキツネとが対峙している様子が映されていた。


 画質も荒く音声は全く入っていなかったが、ハンターと思われる人物が対立しているその様子は、アオイの仕事にも影響を与えている。


 これまで、ハンターはアナザーを狩ることはあっても、一般人に危害を加えるような事はなかった。それが今回の一件では、ハンター達が引き起こしたとされる校舎の倒壊事故により、多くのケガ人を発生させている。


 結果、アナザーに関する調査に加えて、ハンターの身柄確保も特務課の正式な任務となったのだ。


「ま、そんなアオイの仕事を、また増やそうとしている訳だけどさ」


 全く悪びれる様子のないモモコを、アオイはかえって好ましく思った。モモコはいつも正直で、裏表のない性格をしている。


「これ、うちで追っかけてるんだけど」


 モモコはアオイに、自分のスマートフォンの画面をチラリと見せた。そこに映っていたのは、隣県で資産家の娘が失踪した事件の資料だ。


 アオイの記憶が正しければ、この事件は誘拐の可能性があるということで報道規制が敷かれている。


「このお嬢様が失踪した日に、同級生が五人も入院。揃いも揃って、重傷でね。いいとこのお嬢さん揃いの学校で、親御さん達も大騒ぎ」


 モモコはスマートフォンをジャケットのポケットに戻すと、加えていた煙草を指で挟んで深く煙を吐き出した。煙はビル風に乗って、街の方へ流れていく。


「で、こないだ、そのうちの一人が目を覚ましたんだけど」

「……アナザー?」


 アオイの問いに、恐らくと、モモコは呟く。


「体を宙に持ち上げられて、透明な紐か何かで首を絞められたってさ。一応、精神科、心療内科の通院履歴はなし。まあ、一時的なショック状態かもしれないけどねえ」


 モモコの声は、彼女自信の言葉を否定していた。モモコはこれがアナザーによるものだと確信していて、アオイに話しを持ちかけているのだ。捜査に対して圧力がかかっており、思うように動けないのだろう。


 アオイは、表情に出さず苦悩していた。友人を助けたい気持ちはあるが、人員不足はお互いさまで横から割って入れる程の余力はない。何れにせよもう少し情報が欲しいところだが、あまり踏み込んでは戻れなくなる。


「いじめがあったとか無かったとか、学校と親は揉めてるよ。娘が失踪してから母親の方がメンタルやっちゃったみたいでね、ちょいちょいクレームくるんだわ。……って、愚痴りたくなってさ」


 モモコはアオイの心中を察していて、アオイもそんなモモコに気付いていた。アオイは遠くのビル群を、モモコは真上の空を見上げていたが、それでも互いに同じものを見ている。


 自分たちが組織というものに属していなかったら、自分たちの正義だけで動くことが出来たなら、こういう時に何か出来ることがあるのかもしれない。勿論現実は、そう甘くはないのだけれど。


「ああ、そういえば、向島には会ったの?」


 モモコは、こういう時の無言がニガテだ。

 アオイは、まだ会っていないと答えた。


「こないだ飲んだんだけどさ。アオイ、三十になっても独り身だったら、あいつと結婚するんだって?」


「ああ、それ? 冗談に決まってるでしょ。ほら、学生の時って、そういう冗談言うじゃない? 何時いつまで独り身だったら引き取ってやるよ……みたいなやつ。それのこと」   


 懐かしい思い出だと、アオイは笑う。更に彼女は、今は四十歳で初婚も普通だと付け足した。


 アオイと向島とは、大学の同級生だ。学部は違うのだが、一般教養の授業で席が隣になったことを切っ掛けに友達になった。


「向島はさぁ……あの顔でピアノが弾けて、あれで口がついてなければ優良物件だわ」


 モモコが肩を落として、煙草の煙を吐き出している。風向きが変わった事に気付いたのか、彼女はさり気なくアオイの右側に移動してベンチに腰を下ろした。


「アイツ、心配してたよ。『あんな男を傍に置いておくとは。気が知れん』ってさ」


 モモコが真似た向島の口調は、妙に特徴を捉えている。


「それで、噂の彼はどうなわけ?」

「どう、ねえ。……モモコは、どう思う?」


 質問に質問で返すなと苦笑しながら、モモコは少し考えてから返答した。


「ちらっと見た程度だけど……特別、仕事が出来るタイプには見えなかったね。でも、要所要所は外さない感じがする」


 その通りだと、アオイは心の中で呟く。モモコの言うそれは、淡路が演じている人物の特徴だからだ。


「それで、アッチはどうなの?」

「アッチ?」

「カ・ラ・ダ」

「馬鹿じゃないの! やめてよ」


 勢いあまって地面に零れた珈琲の跡を、アオイは目で追う。

 モモコは、ケラケラと笑っている。


「なに言ってんの。十八、十九のお嬢さんじゃあるまいし。で、どうなの?」

「部下だから、部下! 手を出すわけないでしょうが。やめてよ」

「お、部下じゃなきゃいいのかな?」

「あのねえ」


 アオイは真面目で、過ぎるくらいだと、モモコは豪快に笑っている。


「でもアオイってさあ、なんだかんだ、押しに弱いところあるからね。グイグイ来られたらコロッと好きになっちゃうんじゃないの? こう、強引に押し倒されちゃったり」


「ないから! 無い」


「あ、あとアレ好きでしょ? ネクタイを、こう、グイッと」


「だから! もう!」


 アオイが顔を真っ赤にして否定するのがおかしくなって、モモコは笑いが止まらない様子だ。


 こうして笑い合っていると、二人は会ったばかりの頃を思い出す。個性を殺して激しい競争の渦で藻掻く中、ふとした時に他愛もないことで笑い合える友人の存在は、正に宝物だった。


 あの頃はお互いスーツに着られていたが、今では一番着慣れた服だ。メイクは自分を良く魅せるためというよりは、見せたくないものを隠すためのものに変わりつつある。


 ひとしきり笑い合って、アオイはモモコの肩をポンと軽くたたいた。


「そろそろ行くね。ありがとう」


 モモコは、アオイの言葉の意味を受け取った様だった。

 アオイの去り際に、そういえばと、モモコが声を掛ける。


「うちの課で、コーヒーメーカーが無くなったんだわ。……エスプレッソだったかな」

「どうして、そんなもの?」

「課長が買ってくれたの。ポケットマネーでね。慰労だってさ」

「素敵な上司ね」


 アオイは、「何処かのとは違って」という言葉を寸でのところで飲み込んだ。


「社内で見かけたら教えてくれる? 無くなるようなもんじゃないんだけどねえ。置いてた場所が悪くて、清掃業者が箱ごと移動させたかもって話し。課長が落ち込んでんだわ」


 この時アオイは、モモコと課長との関係を悟った。


 アオイは頷いたが、業者が運んだ後では見つけるのは難しいだろうと考えた。恐らくモモコも、同じ考えだろう。


 風が強く吹いて、アオイの髪を揺らす。


 乱れる髪を抑えながら、アオイは風の行く先を思った。

 

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