2-4 何もかも ⑥
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同時刻。
北上の姿は、既に校舎の上にあった。顔には、いつものガスマスク。腕には、シルバーのガントレット。上着は、途中で茂みに隠した。
気配を頼りにB棟の屋上へ降り立つと、それとほぼ同時に北上の目が少女を捉える。少女は金網の上に立って、校庭を見下ろしていた。
「早いじゃない。あなたは確か……そう、インドラ。でしょう?」
振り向くと、少女は手にしたレースのついた傘を退屈そうにクルクルと回した。
少女は裾の大きく広がったクラシカルなオリーブグリーンのワンピース姿で、頭に乗せた帽子から垂れるベールで目元を覆い隠している。
「それは、なんだ?」
少女と対面しながら、北上の耳は校庭へ向けられている。生徒たちは教師の指示で、既に避難を進めているようだ。こちらへ向かう際に確認した限りでは、幾人かケガ人が出ているようだった。
「ご存じないの? あなた達には、警察がお名前をつけているの。インドラ。ヘカトンケイル。それから、キツネ」
少女の指さす先には、白装束姿でキツネ面をつけた少年が立っている。
北上はキツネの姿に気付くと、相変わらず駆け付けるのが早いなと感心した。
「お一人、遅刻しているみたい。困ったわ。私は、三人を狩らないといけないのに」
「狩る? お前が、私をか?」
面の奥で笑いながら、キツネは刀の柄に手を置く。
少女が招くように指を動かすその動きに合わせて、遠くでガラスの割れる音。校庭からは悲鳴が上がり、やがて生徒たちを無数の異形の姿が取り囲む。
「あなた達は、人を傷つけられない。違う? 動かずに居てくれたなら、誰も襲わせない」
北上が目を向けると、体育館の隣にある室内プールの窓という窓が割れている。校庭には、這いずりまわる濁ったような色の塊。その気配は、北上もよく知るものだ。
北上は、眼前の少女がアナザーを作り出したのだと理解した。あの公園でヘカトンケイルが倒した筈のアナザーの能力を、今はこの少女が有している。
「私が欲しいのは、あなた達の持つ核。それだけ」
少女は、傘をクルクルと回して遊んでいる。
「悪いが、俺は核なんぞ持ってはいない」
確認すべきことは他にもあったが、北上は言葉にしなかった。置いてきた南城や校庭の生徒たちの事が気にかかり、時間を惜しむ気持ちがそうさせている。
少女は北上の言葉を耳にするなり、高らかに笑い出した。
「じゃあ一体、その力をどう説明するおつもり?」
それには、北上も答えることは出来ない。北上自身、自分の体に起きた変化について説明する言葉を持たないからだ。
北上は約一年前、夜道で暴漢に襲われたことがある。無事に撃退したのだが、その時は酷く疲れていたために、手加減が出来なかった。気付くと暴漢は泡のように消えていき、後には輝く小石のようなものが残っていたのだ。
北上は夢でも見たのだろうかと思いながら小石を拾い、疲れた体を引きずるように家へ帰った。そして拾った小石を眺めながら酒を飲み、いつの間にか横になり――。
朝起きると酒瓶はいつの間にか空になっていて、北上の持ち帰った小石は消えていた。
「全く見当もつかない」
北上は、酔っぱらって小石を飲み込んだことに未だ気付いていない。
「インドラ。あなたの核は……」
「悪いが、少々時間が惜しい」
少女の言葉を遮る、キツネの声。
それと同時に、屋上から放たれた幾つもの矢が校庭のアナザー達の体を捉え、そして瞬時に凍り付き霧散する。辺り一面に氷の粒が舞って、それは光を受けてキラキラと輝いて見えた。
いつの間にか手にしていた和弓を、キツネは少女に向けて構える。
「目的は互いに同じだ。狩られるつもりは、毛頭ない。願いがあるなら聞いてやる」
「願い?」
「ああ。継いでやる……安心して逝け」
キツネから明らかな殺気を感じ、北上は驚いていた。目の前にいる少女は、確かに人間の姿をしているからだ。
少女は俯いて、それから傘をクルリと回した。
「私は、正しい世界を作るために選ばれたの」
「そうか。では、その正しさは誰が決める? 子供じみた世迷いごとよ。……お前、選ばれたといったな? 核を取り込むことの意味を理解しているのか?」
馬鹿にしないでと、少女が声を荒げた。
「核の力を全て集めて、私は神になる。神の創る世界に間違いがあって? 神になって正しい世界を創るの。……私だけが好きじゃ、だめ。好きになってもらうの。正しい世界の私を見て、彼に好きになってもらうの……!」
「妄言だ」
キツネは、矢を放つ。
しかしそれは少女の眼前で、彼女の持つ傘によって阻まれた。
砕け散った矢が、風に流れて消えていく。
「神は誤りばかり。人に与えるは、仕打ちばかりだ」
キツネが手にしていた弓は、いつの間にか刀へと形を変えている。
北上は、学校の周囲に救急車やパトカーが近づいている事に気付いた。これ以上騒ぎが大きくなれば、この場から離脱することが難しくなる。
「キツネ!」
北上は、場所を変えるべきだと伝えたつもりになっていた。
「安心していい。神には私がなる」
「あら。抵抗なさるのね?」
キツネと少女との間に、ピンと張りつめた空気が流れた。
校門の脇に、幾台か車が到着したようだ。サイレンとガヤガヤした声とに混じって、ケガ人の所在を確認する声が聞こえてくる。
もう時間がないと察して、北上は後方に跳び金網の上に着地した。それから目下の着地点に人の気配がないことを確認して、さらに後ろへ跳ぶ。
地上へ向かう北上の視界に、チカッと眩しい光が飛び込んだ。それは不気味で、不吉なものに思えた。
音を立てて、校舎が揺れる。
グラグラと、地面が激しく揺れている。
ガラガラと、耳障りな音がする。
突風が起きて、飛んできた石や何かの破片を、北上はガントレットで辛うじて弾いた。そして転がるように着地して、北上は慌てて装備を外す。砂埃で前は見えず、遠くからは生徒たちの悲鳴が聞こえている。
そうしてようやく視界が戻った時、北上が先程まで屋上に立っていた校舎は、一部を残して瓦礫の山と化していた。




