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ゲノム・レプリカ  作者: 伊都川ハヤト
Cell

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1-2 ハート ④


 

 昼休み。弁当を口に運びながら、ヒカルは思わず耳を疑った。一緒に食べていた山田が、突拍子もないことを言い出したからだ。


「だから、本当なんだって」

「えっと?」

「ハンターの正体って、南城先生らしいぜ!」


 牛乳パックを片手に、山田はニカっと笑う。


 そんなことはあり得ないと分かり切っているので、ヒカルの脳は余計に混乱していた。 


 どうしてそんな噂が立つのかとヒカルが不思議に思っていると、山田が手にしていたスマートフォンで朝のニュース動画を再生し始める。


「化け物ぐっちゃぐちゃじゃん。こんな馬鹿力、あの人くらいっしょ」


 山田がケラケラと笑うのを見て、周囲で弁当を食べていたクラスメイトもつられて笑う。

 ヒカルは、山田の言うそれが単なる噂話だと理解して、ホッと胸をなでおろした。


「――確かに。そんな馬鹿力は、私くらいなものだ。山田少年」


 教室の外から聞こえる、堂々とした声。

 相変わらず良いタイミングで現れるなと感心するヒカルを他所に、山田はその声を聞いただけで表情が氷ついている。


 廊下側の窓枠から身を乗り出して、南城が顔を見せた。


 体育教師の南城は、いつもジャージ姿で竹刀を持ち歩いている。顎のラインで切られた髪は酷い癖毛のためにあちこち撥ねていて、後頭部の辺りはクルクルと巻いてみえた。彼女は生徒指導の担当であり、アイアンレディのあだ名で一部の生徒に恐れられている。


「南城先生」


 ヒカルが弁当を置いて傍へ駆け寄ると、南城はすっと背筋をただした。女性にしては長身の南城に、ヒカルは思わず圧倒される。


「東條。先輩は、御変わりないか」


 南城の言う「先輩」とは、ヒカルの姉――アオイのことである。


「はい。今は、少し忙しいみたいですが」

「事件が多いからな」

「はい」

「だが先輩は強い方だ。何も心配は要らないぞ。いずれ、どこかで挨拶に伺いたいと伝えてくれ」

「はい。姉に、伝えておきますね」

「頼む」


 踵を返し、南城は去っていく。

 南城が見えなくなるまで見守ってからヒカルが席に戻ると、山田が机に突っ伏して落ち込んでいた。


「俺、次の体育で死ぬかも……」


 山田の心からの叫びを耳にして、周りにいたクラスメイトが笑う。南城の授業は、熱血且つスパルタで有名だからである。


「授業の前に謝るわ。……でも、その前に元気もらお!」


 突っ伏したまま顔だけ横に向けて、山田はスマートフォンで何か見ている。

 一瞬、ちらりとリリカのアカウント画像が映ったように見えて、ヒカルは弁当を喉に詰まらせかけた。


「ああ、これ? お前もチェック済みだろ? カレシなんだし?」

「だから、彼氏じゃないから。……ニャンスタ?」


 山田のスマートフォンには、学生の間で流行しているSNSが表示されている。画面にあるのは、リリカのアカウントだ。その上下を囲むバナーには、二足歩行の猫達がインスタントカメラを構えて街を撮影している様子が描かれている。


「そうそう。毎日お弁当とか、おやつとか、可愛いんだよなあ。化粧道具とかは分かんないけど。マジでアイドルじゃん」

「アイドルっぽい弁当じゃないと思うけどね」


 自分の弁当箱を持ち上げてさりげなく隠しながら、ヒカルは呟いた。昨晩の残り物をメインに構成されている弁当は、アイドル的な華やかさには欠けている。


「ばっかだね~。あれだけキラキラしてる女子が、お弁当はかなり家庭的っていうのが良いんじゃん。ギャップだ、ギャップ。毎日ちゃんと作ってるし、見た目に拘ってる栄養スカスカ弁当より全然アリ!」


 坊主頭に褒められてもなと複雑な気持ちになりながら、ヒカルは時間が迫っていることに気付いて急いで弁当を口に詰め込んだ。


「なんだよ? 今日も手伝い?」

「うん。呼ばれてて」

「俺も手伝おうか?」

「山田、英語の予習は?」


 ヒカルの言葉で思い出したのか、山田が手を合わせて拝みだした。山田少年の英語の成績は、数学同様に余り芳しくないのだ。


 弁当箱を手早く片付けて机の中から英語のノートを取り出し、ヒカルは山田に押し付ける。貸しだぞというと、山田が親指を立てて応えた。


 クラスを飛び出すと、ヒカルは階段を勢いよく駆け下りて生物準備室へ向かった。途中で数学教師の北上とすれ違い、廊下を走るなと叱られたので、ヒカルは北上が見えなくなるまで早歩きする。


 生物準備室の扉をノックと同時に開くと、中では白髪の老人が自前の器でラーメンを啜っている所だった。


 老人は、生物教師の中林といった。腰の曲がり具合といい、声のしわがれ具合といい、見た目は百歳近い仙人のような姿をしているが、学校の人員名簿上は六十歳と書かれている。いつもラーメンばかり食べているから老け込んだのだと、揶揄する生徒もあった。


「ふはふ、ほほはっはら」

「頬張りながら、話さないでください。すみません、遅くなりました」


 中林の傍で沸騰している液体を見て、ヒカルはビーカーをごうごうと炙るガスバーナーの火を止めた。隣にマグカップとコーヒーのドリップパックがセットしてあるところを見ると、ビーカーの中身は水のようだ。


 ヒカルが珈琲を淹れようとするのを制止して、中林はよろよろと机の下に潜り込み、隠してあったレバーを操作する。


 どこからともなくガリガリと音がして、壁に設置してあった棚が床を滑り、生物準備室の扉の前へ移動した。棚が固定されていた元の場所には、ぽっかりと穴が開いており、粗末な梯子がかけられている。


 中林が穴の中に階段を使わず飛び降りた後、いつものようにヒカルも後を追いかけた。


「さてさて、ご苦労!」 


 上階から漏れる薄明りを頼りに壁に手を這わせ、照明のスイッチをつけた途端、ヒカルの目の前には満面の笑みを見せる壮年の姿があった。


 中林は、普段は腰の曲がった老人姿で生物教師として過ごしているが、その正体は四十に届くか否かといった年齢の医者であった。白髪はウイッグで、衰えた皺だらけの肌はメイクだ。どことなく目元に漂う異国情緒が、彼が混血であることを思わせる。


 この中林こそ、ヒカルをハンターに変えた人物であった。


「また一体、撃破だ。実にめでたい! 調子はどうだ?」


 中林はヒカルを椅子に座らせて、脈をとり、流れるように目や口内の診察を始める。


 ヒカルがポケットに忍ばせていたビー玉程の大きさの塊を取り出すと、中林の目はギラリとした光を見せた。それは昨夜、アナザーが落としたものである。


 アナザーは、消滅する間際にこういった塊を残すことが多くあった。そしてそれは、「核」と呼ばれている。


「調子は、別に、何も。いいですよ、すごく。でも」

「でも?」


 口を開こうとして、言葉が出ずにヒカルは視線を落とした。

 その仕草から心情を察して、中林はヒカルの肩に手を置く。ヒカルがハンターとしての自分に悩むことは、中林には想定内である。


「ヒカル、君は女性を救った。そうだろう?」

「はい」

「確かに、家族や恋人に自分の正体を明かせないことは辛いだろう」

「いえ、あの、恋人ではないです」

「だがな、君が陰でアナザーと戦うからこそ、大切な家族や恋人の平穏な日常は守られているんだ。それを忘れないでくれ」

「はい。それは、もう。……恋人では、ないですけど」


 中林は視線を手元に落とすヒカルの肩を叩いて激励すると、今度はシャツを脱ぐように指示した。


 言われたとおりにシャツを脱いで、ヒカルは左腕を中林の前に突き出して見せる。腕に目立った外傷はなく、一目見ただけでは、それが化け物を砕いたハンターの腕とは分からない。


 人並みに勉学に励み、異性との関係に悩み、友人と語らう。どこから見ても、ヒカルは一般的な男子学生だった。ただ、胸に埋め込まれた物質を除いては――。


 中林が特殊なライトで照らすと、皮膚を透過して心臓の辺りが赤く光って見えた。光は心臓の鼓動に合わせて、腕に、脚に、体中に広がっていく。


 東條ヒカルは、もともと強い体の持ち主だった。いわゆる特異体質で、彼は常人の数倍はあろうかという筋肉量を平均的な体躯の中に押し込んでいる。ヒカルが何らかのスポーツに打ち込んでいたら、いくつかの分野では華々しい記録を残したに違いなかった。 


 だがヒカルは、それを選択しなかった。 


 ヒカルは、過去に心臓を失っていた。今、彼の体を動かしているものは、中林が作成した塊である。それは肉で出来ていないというだけで、働きそれ自体は心臓と同じだ。


 数年前、死の間際にいたヒカルの前に現れた中林は、少年に二つの選択肢を与えた。何をしてでも生きるか、人として死ぬか、である。


 ヒカルは、生きたいと告げた。それは彼にとって、当たり前の選択だった。そして彼は、中林の作った心臓の提供を受ける代わりに、ハンターとしての人生を歩み始めたのだった。


 中林から授けられた人工心臓は数年かけて体に馴染み、高校入学の頃には完全に体の一部となっている。ヒカルがハンターとして実際に活動を始めたのも、大体その頃だ。


「それじゃあ、スーツに着替えてくれ。そこに置いてあるだろう」

「新しいやつだ」

「そう。君の力が、予想以上でね。故障する前に、新しいものを作っておきたい」


 中林に背を向けて、ヒカルは全裸になりボディスーツに袖を通した。スーツは大きくゴワゴワしているが、身に着けて中の空気を排出するスイッチをオンにすると、ぴたりと体にフィットする。


 ヒカルがアナザーから核を入手する度に、中林はそれを組み込んでスーツの強化を続けていた。より多くのアナザーを狩るためには、アナザーの持つ力を利用することが必要なのだという。


「よさそうだな。肩は、どうかね?」


 中林に尋ねられて、ヒカルは問題ないことを示すように左腕を大きく回した。

 中林は満足そうに頷いて、長い顎髭を撫でている。


「本当に凄いですね。ねえ、先生。これがあれば、誰でもハンターになれますか?」


 ヒカルの抱いた疑問は、中林には、とても子どもらしく無邪気なものという印象だった。

 そうだなと呟いて、中林は少し間をおいてから「無理だろう」と短く答える。

 ヒカルが不思議そうに首を傾げると、中林は言葉を選んで口を開いた。


「世界は常に、変化を望むものと、そうでないものとがせめぎ合っている。……多くは理由も分からず、今のカタチを保つために、自分自身を雁字搦めにしているのだよ。意味のないルールや、慣習や、空っぽの倫理道徳によって」


 中林はさらに、それらは呪いのようなものだと付け足した。


「我々の遺伝子は、我々に無限の可能性があることを示唆している。……この体は、牢獄のようなものだ。前にも言ったな。君は、その牢獄を破る力を持っているんだよ。ヒカル」


 ヒカルの両肩に手を置いて、中林はまっすぐに彼の目を見た。その顔は、まるで今にも泣きだしそうなほど悲しげだ。


「ヒカル。君は、我々の可能性そのものなんだよ。どうかそれを、忘れないでくれ」


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