2-3 Envy ③
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「ヒカル」
声を掛けると、遠くにいた赤毛の頭がこちらへ振り向いた。
顔をパッと明るくさせて走り寄ってくる弟の姿に、アオイは顔を綻ばせる。こういった時のヒカルの表情は、昔から全く変わっていない。
屋台の隙間から、ヒカルは通路へ飛び出してきた。
「アオ姉。仕事は? いいの?」
「午後から。その前に、弟の特製たこ焼きを食べておこうと思って」
アオイの言葉に、ヒカルは目を細めて笑う。
ヒカルは店番をしている友人に声を掛けて、パック詰めされたたこ焼きをアオイに手渡した。
屋台の看板には、「マッスルたこ焼き」の文字と筋肉質なタコの絵が描かれている。
アオイがプロテインでも入っているのかと尋ねると、ヒカルは首を横に振った。希望者は腕相撲で生徒と勝負をすることができ、勝ち抜いた人数に応じて割引をする仕組みなのだという。
看板の下には、十五人抜くと店の経営権を譲渡するという内容が書かれている。
学生らしい悪ふざけだと、アオイは笑った。
「最近は凄いのね。文化祭までカードだもの」
「うん。先生たちも、現金より楽でいいみたいだよ」
アオイが文化祭用に用意されたプリペイドカードを決済機にかざすと、愉快な電子音と共に商品の金額とカード残高とが表示される。
自分の学生時代とは随分変わった文化祭の様子に驚きつつ、それがさほど昔の事ではなかった筈なのにと、アオイは苦々しい気持ちにもなった。自分も、ほんの数年前はまだ学生だったのだ。
「あれ、旦那? 旦那どこ行った!?」
屋台の向こうで、坊主頭の少年が飛び上がる。
アオイが何事かと視線を向けると、幾人かの少年達が鉄板の前でバタバタと騒いでいるのが見えた。
「どうしたの?」
「僕、知らない……」
ヒカルは、額に手を当てて俯いている。
店番をしている女子たちが、ヒカルの名前を呼んだ。向こうで呼ばれているよと、からかうような笑顔を見せている。
騒いでいた男子達がヒカルの姿を見つけて、慌てた様子で駆け寄ってきた。
「旦那! やばい! また焦げそう」
「火加減やばいっすよ! こびりついてて返らないんだわ」
「旦那! 助けて」
あっという間に囲まれて、ヒカルは両側から腕を捕まれた。
ヒカルは顔を真っ赤にして、変わらず俯いている。
「こんにちは」
アオイが声を掛けると、男子の集団がピタリと動きを止めた。
皆は急に真顔になって、ササッと身なりを整える。
「こんにちは!」
「失礼ですが、東條君のお姉さんですか?」
礼儀正しい子達だなと思いつつ、アオイは簡単に自己紹介をして、ヒカルと仲良くしてくれている事に礼を述べた。
「僕たちこそ、旦……ヒカル君にはいつもお世話になっています!」
「そうです。旦那……じゃなくてヒカル君には、テスト前とか助けてもらってます!」
少年たちは、目をキラキラと輝かせている。
ヒカルだけは、小声で不満を溢している。
「みんな、ありがとう。……ところで、どうして旦那なの?」
アオイの言葉で、店番の女子や、隣の屋台にいた生徒まで笑い始めた。
ヒカルの顔は、看板に描かれたタコよりも赤くなっている。
「東條君には、奥さんがいるんですよ」
隅に居た真面目そうな少年が、泉リリカを知っているかと小声で尋ねた。
「ああ。リリちゃんね」
アオイが何となく口にした一言で、周囲がワッと盛り上がった。
ヒカルが、恨めしそうにアオイの名前を呼んでいる。
これは流石に悪いことをしたなと思ったが、ヒカルとリリカとの関係はアオイにも気になる所ではあったので、先ずは前進したことを嬉しく思った。
奥の鉄板の傍に張り付いていた少年が悲鳴に近い声を上げたので、ヒカルは友人たちに囲まれて連れ去られていく。
また後でねと、アオイは弟の背中に声を掛けた。
ヒカルは照れているような、怒っているような顔で、アオイに手を振って返した。




