2-3 Envy ②
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見回り中。一階の廊下を歩いていたところで、北上は前からやってくる人物に気付き会釈した。
相手も北上に気付いた様子で、同じように挨拶を返す。
「確か……淡路さん、でしたね」
北上と淡路とは、以前、仕事中に公園で会ったことがある。その時、北上は部活のために道着姿で、淡路はアオイと連れだっていた。
「北上先生。お久しぶりです。今日は、道着ではありませんね」
(はい。空手部も出し物はしておりますが)「生徒に任せております」
北上の脳裏には、空手部の部員たちが道着にエプロン姿で焼き芋を販売している姿が浮かぶ。北上には空手と焼き芋になんの接点も見い出せなかったが、部員たちが芋を焼きたいと熱弁していたので許可した。
また、彼の受け持ちのクラスは、射撃や的当て、輪投げやスーパーボールすくいなどをはじめとする縁日を開催している。こちらも人の入りは上々で、午前中から生徒たちは忙しく動き回っていた。
空手部の屋台もクラスの縁日も、北上は準備から本番まで殆ど関与していない。何故ならばそこには、空手部主将であり、且つ北上のクラスでクラス委員を務める田中の存在があるからだ。
空手部もクラスの縁日も田中の指示で滞りなく回っており、北上のスマートフォンには彼から定期的に販売状況などの報告が届いている。
「淡路さんは、東條君のクラスを見にいらしたんですか」
「そうなんですよ。ただ」
淡路は、少し気恥ずかしそうに笑った。
「実はうっかり、アオイさんとはぐれてしまいまして。連絡はしているんですが、気付かないみたいなんです。……そうだ。もし良かったら、ヒカル君のクラスは、どちらか教えて頂けませんか?」
淡路は、校門で配布している生徒の手作りのマップを手にしている。その手がマップを大切に扱っているように見えたので、北上は淡路に好感を抱いた。
「ご案内します」
「いえ、それは申し訳ないです。お忙しいでしょう」
「構いません」
北上が誘導すると、淡路は申し訳なさそうに頭を下げた。北上の目には、淡路は腰が低く物腰の柔らかい好青年に映った。
歩いているうちに幾人もの生徒とすれ違い、北上は挨拶を交わす。その途中、北上は廊下の先を行く着物の集団を見た。記憶が正しければ、剣道部が本格的な殺陣を取り入れた時代劇を演じている筈だ。
剣道部の部員たちは、まるで何かを探している様に辺りを幾度も見回していた。
生徒たちは皆、クラスごとの出し物の衣装や、揃いのティーシャツなどを身につけている。その中でいつもの黒いスリーピースにグレーのシャツ姿の北上は、祭りの雰囲気から浮いて見えた。
「色んなお店がありますね。部活の種類も、僕らの時よりずっと多い気がします」
北上は、自分もだと淡路に同意した。
「北上先生は、やはり空手をされていたんですか?」
北上は、中学生の頃から空手を続けていると答えた。
「そうでしたか。お強いはずです。失礼ですが、北上先生はずっとこちらにお住まいですか?」
強いという言葉に引っかかるものを覚えたが、北上はそれを顔には出さなかった。というよりも、北上は細やかな感情を表すことが苦手なために、実際は出せなかったと言う方が正しい。
「ああ、変な意味ではなく。すみません。仕事の癖かな。変な聞き方をしてしまう時があります。単に、どちらのご出身なのかなと。ご不快に思われたら、申し訳ないです」
淡路が本当に申し訳無さそうに視線を落としたので、北上は彼の言葉を信じることにした。加えて、口下手の北上にとっては、自分と同じような悩みを持つ人間というのは、それだけで好意に値する。
「構いません。生まれは、青森です」
「そうでしたか! いや、実は僕の同僚にも東北出身の者がいて、少しだけ雰囲気が似ていたもので」
そういうものかと、北上は妙に納得した。以前、生徒の保護者にも東北の出身かと尋ねられたことがある。上京してからの方が長いため方言は殆ど抜けており、イントネーションもこちらのものと変わらないはずなのだが、何か感じるものがある者もいるのだろう。
「僕は、神戸なんです。こっちへ来た頃は、雪が少なくて驚いたっけ」
「確かに。私も、東京の雪には驚かされました」
明日は雪だとニュースサイトが最大級の警報を鳴らしていた割に、積もってみればたった二センチ――。上京したばかりの頃を思い出して、北上は苦笑した。それは、表情には現れていなかったが。
階段を上がり二階の廊下に出たところで、北上の視界にはメイド服の少女達が飛び込んできた。
「あ、北上先生!」
「先生! うちのクラス喫茶店なんです。寄ってってください」
お客さんを案内しているからと、北上は――本人的には――やんわり断って、先を急ぐ。
「あれ? 淡路さん?」
廊下を進むうち、教室から声を掛けられて二人は足を止めた。
「リリカちゃん」
「泉か」
リリカはモダンな柄の振袖に袴姿で、フリルのついたエプロンを身に着けている。緩く結わえた三つ編みを左肩に寄せて、頭には花を模したヘッドドレスが乗せられていた。その姿は誰よりも露出が少ないが、他の誰よりも視線を集めている。
リリカのクラスは大正ロマンをイメージした喫茶店で、女子も男子も和洋折衷の凝った衣装を身に着けていた。
「淡路さん、来てくれたの? 嬉しい! 北上先生も一緒だ!」
教室から飛び出してきたリリカが、淡路の腕に抱き着いて頬を寄せている。
北上はその様子を見て驚いたが、リリカと仲の良いヒカルとは家が隣同士だと言うことを思い出して、直ぐに納得した。淡路は既に、東條家とは家族ぐるみの付き合いなのだろうと考えたのだ。
淡路に嫌がっている様子はなかったが、北上の目には、彼がリリカの扱いを少し困っているようにも見えた。
リリカの声を聞いて、教室からは他にも数人の生徒が現れる。そして生徒たちに囲まれて、北上はハッとした。
「泉。そういうのは、自分の彼氏にしなさい」
多くの生徒に見られては淡路が困るだろうと気を利かせたつもりで、北上はリリカに声を掛けた。
しかし北上の予想に反して、リリカは顔を赤く染め、彼女の周りにいた生徒達はワッと騒ぎ出す。
「そっか、先生まだ知らないんだ」
「朝、凄かったんです!」
「ねー? リリカ」
リリカは顔を赤くしたまま、俯いて淡路の腕に隠れている。
北上が傍にいた生徒に何があったのかと尋ねると、その女子生徒はまるで自分の事のようにはしゃぎ出した。
「東條くんですよ、先生。後夜祭に誘ったんです。皆の前で!」
「スカートも、短いの止めてって言ったんだって」
「可愛いよね~。他の奴には、見せないでってことでしょ?」
「へえ。ヒカル君やるなあ」
淡路がヒカルの名前を口にすると、リリカはさらに小さくなって隠れた。
北上は、後夜祭に誘うことの意味を全く知らない。興味がないのだ。しかし生徒達が楽しそうにしているので、彼はそれがなにか良い事なのだろうと理解した。
「そういえば、淡路さんは? ヒカルを探してるの?」
話題を変えようと必死になって、リリカが少し上ずった声で淡路に尋ねた。
本来の目的を思い出して、北上が廊下の先を指さす。
それを見たリリカが、首を横に振った。
「多分、今は中庭の屋台だと思います。急に交代になっちゃったとかで、さっき慌てて出ていったから」
「そうか。詳しいな」
北上の言葉で、リリカは再び淡路の影に隠れてしまう。
単に褒めたつもりだったのだが余計に周りを盛り上げてしまい、北上はそれを少し申し訳なく思った。
「それじゃあ、中庭に行ってみます。北上先生、ありがとうございました。お手間をおかけしました」
淡路が丁寧に頭を下げたので、北上もそれにならった。
去り際に淡路が笑顔を見せたので、北上も同じように笑顔を返す。それは随分と控えめで、殆ど表情は変化していなかった。しかし北上本人は、とても満足していた。




