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ゲノム・レプリカ  作者: 伊都川ハヤト
TO BE (後編)

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5-9 願い ⑦

 *


 

「――唐突に、古い映画を思い出した。あの小惑星探査機の話。……私は、あれが嫌いだ。あれには、肝心な君のことは一つも描かれていなかったから」


 空から降りつける大量の海水を身に受けながら、中林は呟く。彼の脳裏には、映画の幾つかのシーンが思い浮かんでいたが、そのどれにも靄がかかっていて、鮮明に覚えているものはない。


「みんな、何も知らないくせに好き勝手ばかり言う。何も知らないくせに、勝手に感動したり、勝手に幻滅したりする。だから嫌いだ。だから、みんな嫌いだ」


 空が震えて、世界には甲高い金属のような音が響いている。その音が止むと、空を覆っていた巨大な目には幾つもの裂け目が現れて、そこから大量の赤い血が噴き出した。


 空から海に流れ落ちる、幾本もの赤い滝。それは余りにも巨大なために途中で霧散し、やがて雲となって、地上に赤い雨を降らせている。


 今、世界は、一面の赤。空も海も地上の全てが一様に赤く染まって、辺りはむせかえるような濁った水の臭いに包まれている。


「全ての人間に好かれるなんて、不可能だ。全ての人間に理解されるなんて、不可能だ。僕は、知ってる。それを分かっている」


 濡れて額にはり付く髪をかき上げて、中林は同意を求めるように首を傾げてみせた。彼の前には、倒れている淡路とその隣で膝を着くアオイの姿。強風で舞い上がった瓦礫や空から叩き付ける大量の水からアオイを庇って、淡路は頭から血を流している。


(何度だって同じだ)


 見覚えのある光景に、中林は同情を覚えた。第二東京タワーでも、淡路はアオイを庇って大怪我を負っている。彼が如何に致命傷を避けたとしても、例えゴーストと呼ばれる特異な存在であっても、人の体を持つ限り結末は同じだ。中林は、それを分かっている。


 アオイは横座りすると、膝に淡路の頭を乗せた。彼女の表情は、まるで人形のようだ。


 アオイの白い指が淡路の髪を撫でるのを見る度に、中林は先程まで覚えていた同情が憎しみへと変化していくのを感じた。しかし、淡路の背中に鉄パイプが刺さっていることに気付くと、それは再び同情の色を濃くする。淡路は、直に死ぬ。今度こそ、永遠に。


「……さあ、お出ましだ」


 近付いてくる気配に期待を隠せず、中林は口の片端をグイと持ち上げて笑う。


 やがて、空から現れたのは、インドラだった。


 音を立て、床を凹ませ、溜まっていた水を打ち上げて、インドラは降り立つ。ダラリと下げられた両腕は一目見て分かる程に酷い火傷を負っていて、肉の焦げる嫌な臭いを放っている。


 中林は戦闘に備えて構えを取ったものの、直ぐにそれを解いた。


 インドラは頭を垂れて、微動だにしない。生きてはいるが、目も見えず、耳も聞こえず、口は固く閉ざされたまま。状況をみるに、彼は核の気配を察して狩りにやってきたのではなく、力を使い果たして墜ちてきたと言った方が正しいかもしれない。


 やがて、インドラは静かに顔を上げた。彼は核の気配に釣られるようにアオイの方へ一歩を踏み出したが、そこで崩れ落ちて片膝を着いた。


「インドラ。……もう休みなさい」


 アオイが、インドラに向けて手をかざした。


 インドラは頭を垂れたまま、動かない。彼は、暗闇の中にいる。


 真暗闇の中。近付いてくる、雪を踏みしめるような音。光を失った視界に映る、見覚えのある草履。足元にじゃれつく、子猫の尻尾。


 インドラの口が、僅かに開く。彼は最期に、名前を呼んだのだ。


 そうしてインドラの体は光を放ち、姿を消した。彼の居た後には影だけが残され、眩い光を放つ核はアオイへと吸い寄せられていく。


 アオイは核を手にすると、両手を胸に当てて、それを愛おしそうに抱き締めた。核には、それと同化してきた様々な人間の人生が込められている。だから、核を受け入れることは、彼らを受け入れることと同じことでもあった。


「……素晴らしい。素晴らしいぞ!」


 抑えきれないといった様子で声を上げて、中林は両手を広げた。彼には、堪えきれない胸の高まりを目の前の娘と共有したい思いがある。目的達成のため、願いを叶えるため、存在していた障壁は全てクリアになった。


 だが、そんな中林の喜びも長くは続かない。


 最早驚きから声すら出せず、中林は両手を広げたままの姿勢で真顔になった。彼の前では、死にかけていた筈の淡路がむくりと体を起している。


 淡路は背中に刺さっていたパイプを静かに引き抜くと、それからアオイに頬を寄せた。彼は、彼女に心配させまいとしている。


 淡路の背中の傷が見る見るうちに塞がっていくその様を見て、中林の顔からは血の気が引いていく。中林と異なり、淡路のそれはアオイそのものを思わせる速度だ。


 この時、アオイの脳裏には天下井の言葉が蘇っていた。


――「少量の血液を取り込んだ程度では、君には成れない。『彼女』の力を得ることは出来ない。もっと深い、より密な接触が必要だ。彼も、そんなことには気付いている」


 アオイは、その言葉の意味を理解する。それは、これまでも漠然と、感覚では分かっていたことだったが、目の前の光景を目にして初めて真の理解へと繋がったのだ。


 そしてこの時、天下井が口にしたのと同じようなことを、中林も考えていた。アオイの持つ力を得るために必要な、密な接触。それは既に交わされ、力は継承されている。アオイは、淡路に力を分け与えたのだ。


「どうして……なんでいつも……」


 握り締めた拳をブルブルと振るわせて、中林は喉の奥から声を捻り出した。眼前の男女の姿は、彼の計画が失敗に終わったことを示している。


「……どうして――ないんだ!」


 途中で声が引っ繰り返る程、中林は無理やり声を張り上げた。彼は、もう自分が何を口にしたか分かっていない。


 様子がおかしいことに気付き、アオイと淡路は寄り添って中林の姿を見つめる。その視線が、さらに中林を追い詰めていく。


「なんで――なんだ!」


 ヒカルの体で、ヒカルの声で、中林は言葉にならない声を上げている。彼には、もう自分が何をしているのか分からない。


 子どもが癇癪を起すように、中林は両手両足を大きく動かして声を荒げた。彼が吠える度に、頭の中では別の声が響く。中林には、頭の中で響くその声がヒカルのものであることも既に分からなくなっていた。


 何を望んでいる。


 何を願っている。


 繰り返される問いに抗うように、中林は意識を自分の奥底へと集中させていく。何層にも渡る暗い世界を突き抜けて、やがて至ったその場所には一人の少年の姿があった。


 相手がヒカルで、自分も今は同じ姿をしているのだと気づき、中林は無意識に拳を振るう。彼らの意識は、こうしてずっとここで闘っていたのだ。


 掴み合ったまま、二人は更に意識の奥深くへと落ちていく。そこがヒカルのものなのか、ヒカルの中にある中林のものなのか、彼らにはもう分からない。


 ――「私を――ください。それが私の願いです」


 頬を殴られる度、体に痛みが走る度に湧き上がるもの。


 ――「私を――ください。それだけが私の願いです」


 拳が相手を捉える度、口が憎しみを吐き出す度に思うもの。



 愛してほしい。ただ、それだけ。

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