5-8 神成 ⑥
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高咲。
街中を、光が走っている。それは右から左、上から下へと忙しなく動き続けて、辺りに砂埃と暴風を巻き起こしていた。
時折、火花が散る。遅れて音が聞こえ、次々に建物が崩壊していく。
「ああ。恐ろしい……」
遠く離れた空に浮かんで、中林はクククと笑う。インドラの乱入によってヒカルの手を逃れた中林は、彼らが闘いに集中している間に空に退避していた。
一体、どれ程の時間が過ぎただろうか。
ヒカルとインドラの闘いは、街中を破壊し尽くす勢いで続いている。
(しかし、まだまだ子どもだな。相手の有利な肉弾戦に乗せられるとは……)
顎を撫でながら、中林は溜息を漏らす。インドラは雷を操るが、特大のものを連発することは出来ない。ヒカルにとって闘いを有利に進めようと思えば、炎の力を使って距離を取って闘い、疲弊させたところで一気に攻める方が良いだろう。
中林は、インドラがヒカルを肉弾戦に誘導したのは、炎によって発生する街への被害を最小限に抑えるためであることにも気付いている。
ヒカルとインドラの闘いによって発生する衝撃波で、街は破壊され続けていた。だが遠距離からの炎と雷の撃ち合いであれば、被害はより甚大なものになっていたことだろう。インドラには、それを判断するだけの理性がまだ残されている。
「ううん。妙だ……」
フクロウのように首を大きく傾けて、中林は不思議そうに唸った。彼は体勢を変えてインドラを眺めてみたが、そうしたところで彼の抱いた疑問は消えない。
インドラがキツネを倒したことは、最早明白だ。そうであれば、彼はキツネの有していた氷と水の能力とを取り込んだことになる。だが、インドラは手に入れた筈の力を使おうとしていない。中林には、それが不思議なのだ。
そもそも、インドラは連戦しているはずだった。疲労がない筈もなく、核を取り込んだ後であれば、それが体に適合するまでは激痛と闘うことにもなる。今こうしてヒカルと殴り合っていることは、信じられないことだ。
(まさか、核を取り込まなかった? ……いや。いや。それは在り得ない。あの男が形見を手放すことはしないだろうよ)
中林は、インドラ――北上と、南城サクラの姿を思い出している。中林に南城の気持ちは分からないが、少なくとも北上が彼女に好意を抱いていたのは事実だ。その相手を手に掛けたのだから、北上は肉体だけでなく精神にもダメージを負っているはずだった。
一体何が、これほどまでに彼を闘いへと駆り立てているのだろうか。
頭を捻り、思考を巡らせて、やがて中林は考えることを諦めた。彼には、どうやってもその答えが出せないように思えたのだ。
不意に、視界の隅で何かが光る。直後に巻き起こった暴風に煽られて、中林は空中で姿勢を崩した。彼は風に抗いながら、バタバタと逆風の中を喘いでいる。
暴風の中。地上では、ヒカルとインドラとが距離を取って対峙していた。
ヒカルは肩で息をしているが、インドラはピクリとも動かない。インドラの構えは、常に同じだ。彼は、ヒカルの攻撃を全て往なしている。
ヒカルの目に、インドラの姿は大きく映っていた。事実、一人の大人として、男として、彼の存在は大きかった。
インドラの身に付けたキツネの面。ヒカルには、その窪んだ目元が無念を訴えているように思える。
「……なんで。どうして、殺したんですか……」
ヒカルの喉はカラカラに乾いて、声を出すだけで焼けそうに痛んだ。
拳を交える度、時間が経つ度、ヒカルの頭は冷静さを取り戻していく。それが、彼には辛かった。怒りの中にいれば、何も考えずに拳を振るってさえいれば心は楽だ。
インドラから受けたダメージは、既にヒカルの体から消えていた。どれだけ傷を負っても、体内に取り込んだ中林の血がそれを癒していく。それも、ヒカルには辛かった。痛みは怒りを増幅させたし、それがある限り彼には反撃の正当性があったのだ。
「……どうして、答えないんですか……」
ヒカルには、何よりもそれが辛かった。
インドラは、拳でしか語ろうとしない。彼はヒカルの言葉を否定しようともしないし、肯定することもない。ただ淡々と、彼を打つ。
「……なんだ。結局、あなたも同じか。自分の目的のために、他人のことなんか幾らでも犠牲に出来るんだ」
ヒカルは否定されることを願いながら、その言葉を口にする。しかし、彼の願いは叶わない。
答えのない問いは虚しさしか生まず、叶わない願いは絶望を生む。
ヒカルは、先程吐いた言葉が自分にも返ってくるものだと理解している。リリカを救うという目的のために、彼は中林の持つ核を求めた。他の犠牲を厭わないのは、自分も同じことだ。
同じだと分かっていながら、それでも相手には潔白を求める。それがどれだけ自分勝手なことか、ヒカルには分かっていた。だが、頭では理解していても、心が追いついていない。目の前の大人に「まともな倫理観」を求めることは、今の彼には救いを求めるのと同じことだ。
顔を上げて、キツネの面を見て、ヒカルはまた視線を落とす。
頭の隅では、かつてのキツネの声が蘇っている。もし目の前に居るのがインドラではなくキツネだったなら、今こうして神を目指すヒカルを見て、彼女は何を言うだろうか。
「同じだ、あなたも。狡い、汚い、酷い。そういう、最低な大人だ!」
言い放って、ヒカルは地面に拳を突き立てる。
炎は地面の下を走り、インドラの足元でマグマのように噴き出した。
インドラは顔を傾けて炎を避け、尚もその場から動こうとはしない。彼は、ヒカルが攻めて来ないことを予想していた。
見透かすような態度。難くなに答えを寄こさない姿。それらは、ヒカルの怒りを煽っていく。
行動とも目的とも矛盾していることだが、ヒカルは「間違っている」と指摘され叱られたいのかもしれなかった。今、彼が「まともな大人」に求めていることは、そういうことだ。
しかしインドラは、それを与えてはくれない。彼の拳はヒカルの目的を阻止しようとし、その存在は脅威としてあるけれど、それはヒカルという少年を正しい道に戻すためではなかった。
今、ヒカルとインドラは、道を外れていることを自覚している。
「最低だ……もう……!」
俯いて、歯を食いしばり、ヒカルは飛び出していく。
炎を纏った拳で襲い掛かってくる少年に、インドラは構えを取る。
二つの拳がぶつかり合い、それは再び暴風を生んだ。
かつて街の存在していた場所は、今や瓦礫の山を残すのみとなっていた。




