2-2 ステップアウト ④
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クラス委員の長山が日程を説明している間、アンズの視線は彼から少し右にズレていた。
クラスメイトは教室に円状になって腰を下ろしていて、皆は長山の説明を聞いて時折メモをとっている。
長山の右隣には、ヒカルの姿があった。ヒカルは屋台を外に運び出したり、設置をしたりといった力仕事の担当で、右の手の甲に直接ボールペンを走らせてメモをとっている。
俯き加減がそう思わせるのか、アンズの目に映るヒカルは、やはり少し疲れて見えた。
「それじゃあ、あと少し。よろしくお願いします」
長山の言葉で我に返ると、アンズは周りに合わせて立ち上がる。既に各自が、持ち場に散り始めている。
後ろから女子のグループに声を掛けられて、アンズは慌てて合流した。男子は力仕事で、女子は当日配布するビラや装飾の作成係なのだ。
周りに合わせて笑顔を見せたり適度に頷いたりしながらも、アンズの目は時折ヒカルの方を向いていた。彼の普段と少し違う様子が、どうしても気にかかる。
「そういえば、西園寺さんはもう聞いた? 後夜祭のこと」
「後夜祭?」
「そう、うちの学校、ジンクスがあるの」
それはどんなと聞きかけて、アンズは言葉を飲み込んだ。恐らく、恋愛関係の何かだろうと察したからだ。
「西園寺さんてさあ、カレシいるの?」
クラスでも派手な女子の一声。それは、質問ではなかった。端から、答えを求めていないようにアンズには感じられた。どうせ居ないに決まっていると、意地悪な目がそう言っている。
「ねえ、好きな人とかいる? 前の学校とか?」
アンズと同じタイプの女子が、言葉に込められた棘に気付いて、気を遣って話題を逸らしている。それに気付いたので、アンズは心から彼女に微笑みかけた。
「ううん。前の学校は、女子高だったの。好きな人は、まだ、いないかなあ」
「そうなんだ。でも西園寺さん可愛いから、もしかしたら後夜祭に誘われるかもよ」
「私なんか、全然……」
「そんなことないよ。クラスの男子も、結構気にしてるみたいだよ?」
耳打ちされて、アンズは無意識にヒカルを思い浮かべていた。
「可愛いって褒められたのに、全然って言っちゃう女子いるよねえ。そこは、ありがとうでよくね?」
「あんたは、少し謙遜しなよ?」
派手な女子のグループが、ケラケラと笑っている。
アンズが気まずそうに笑うと、隣にいた女子が気にしなくていいと目で合図した。それに微笑みで返すと、そのやり取りに気付いた周りの女子も笑顔になる。
どんな場所でも、女子がそれなりに集まれば、こうしてタイプが別れるものだ。それは特別な事ではないということを、アンズはよく理解している。
「そういば、そのジンクスって?」
話したい素振りを察して、アンズは先ほどの女子に声を掛けた。
「うん。あのね、後夜祭の最後にフォークダンスがあるんだけどね」
「そうそう。そこで一緒に踊ったカップルは、ずーっと一緒に居られるんだって!」
きゃっきゃと盛り上がる女子に笑顔で合わせながら、アンズは心の中では呆れていた。そういったジンクス、占いや呪いの類には、アンズは一切興味がない。当たった試しがないからだ。
素敵ねと、アンズは皆に合わせる。興味がない事がバレれば、皆の空気が悪くなってしまう。
「ねえ、芸能人だと誰が好き?」
「えっと、星空スバルくんかなあ」
アンズは、ネットで見かけたアイドルの名前を挙げる。これにはグループの垣根を越えて、同意する声が上がった。星空スバルは、絶世の美男子として有名だ。
本当は、アンズは星空スバルの顔をよく覚えていなかったが
「じゃあさ、うちのクラスの男子だと誰?」
予想していた話の流れにアンズは困ったフリをしてみせると、考え中を装いながら相手にも同じ質問を返した。質問者の方が、答えたがって見えたからだ。
「え? うち? えっと、ええとねぇ……」
アンズに質問をした女子は、頬を赤くして男子の方へ視線を向けている。どうやら、意中の相手がいるようだ。
アンズのクラスは、どちらかというと運動部の男子が多かった。彼らは今時の青少年らしく体格に恵まれていて、私立の中高一貫校に入学するだけあって比較的裕福な家庭の子も多い。皆よく笑うし、基本的には人に親切だ。
だから皆、アンズには同じような顔に見える。
「一番人気は、サッカー部の山代なんだけど」
「でも山代、好きな子いるんじゃなかったっけ?」
「そうなの? なにそれ、聞きたい!」
作業中の男子をチラチラと眺めながら、皆は集まって小声で楽し気に噂しあっている。その中で、アンズはなんとか笑顔を維持し続けていた。まだクラスメイトの名前と顔とが一致しないので、アンズには誰が誰なのか分からない。
そんな中、ふとアンズは、ヒカルの事を思い浮かべた。接点があったからということもあるが、ヒカルの事は直ぐに覚えることが出来たのだ。
「西園寺さんは?」
「えっと……東條くん、とか、かなあ?」
他に覚えている顔もなかったので、アンズはヒカルの名前を口にしていた。それだけのことなのに、何故か気恥ずかしいような気持ちになった。
「東條ね! 確かにね」
周りに居た女子達が、何度も頷いて同意する。
「優しいもんね」
「分かる! ちょっと可愛い顔してるし。でも、東條は、ねえ?」
皆が顔を見合わせて笑う仕草が、アンズの心を妙に不安にさせた。自分だけ知らない何かが、此処にはあるのだ。
「東條くんが、どうかしたの?」
「そっか、西園寺さんはまだ見たことない? 東條のお姫様」
「おひめさま?」
それはなんだったろうかと、異国の言葉でも話すようにアンズは復唱した。言葉の意味は、少し遅れてついてきた。
隣に居た女子がスマートフォンを取り出して、アンズに見るように促す。そこには芸能人らしき女の子が映っていて、キラキラした笑顔をアンズに向けていた。
「ヒカルー。奥さんが呼んでるー!」
突然、廊下側で作業していた坊主頭の男子が、ニヤニヤした顔で教室の中に向かって叫んだ。
皆が声の方を向くと、赤い顔をしたヒカルが坊主頭の言葉を必死に否定しながら、慌てて廊下に飛び出していく。
「あ、ほら! あの子だよ。見たことない?」
廊下の方を指さされても、アンズの目は無意識にヒカルの背を追った。ブレザーを脱いでシャツ一枚になると、意外と背中が広く感じるようだ。捲ったシャツから伸びる腕は、自分のそれよりもずっと太く見えた。
体を少し傾けて、アンズの目はヒカルを追った。廊下側の窓に詰めかけた男子の背中や放置された屋台に邪魔されて、ヒカルの背中は半分ほどしか見えなくなった。
隣の女子に促されたので、アンズは他の女子達と同じように立ち上がって廊下の方へ近づいて行った。しかし傍へ寄っても、背伸びしてようやくヒカルの背中が見える程度だ。
「ほんと、可愛いよねえ」
「腰の位置たっか!」
「リップどこのかな。可愛いくない?」
周りの会話に合わせる余裕もなく、アンズの目はヒカルを追う。
皆は、ヒカルのことを見てはいなかった。その先にいる、別の人間に釘付けになっているのだ。
だれかが、泉リリカという名前を口にする。それはアンズの耳に届いたが、何を意味するものか理解するまでに少し時間がかかった。
突然、視界にキラキラしたものが飛び込んできて、アンズは我に返った。ヒカルの左腕に、漫画に出てくるようなメイド服姿の少女が抱きついている。
少女の色素の薄い髪は金髪のようで、瞳の色も黒では無いように見えた。横顔だけでも顔が整っているのがハッキリと分かる上、細くて長い手足がレースの裾から覗いている。
そんな美少女が腕に抱き着いているというのに、ヒカルには慌てた様子もない。からかわれて顔を赤くしているものの、彼は楽し気に、とても親し気な様子で会話している。
それがアンズの目に入ると、彼女はまるで胸を抉りとられたような息苦しさを覚えた。
「彼女、いるんだね。わぁ……あんなにカワイイ」
皆に合わせてようやくそれだけ絞り出すと、アンズは足元がふらつくのを覚えた。自分の言葉に、まるで叩かれたような衝撃があった。
「そうそう。どう見ても、彼女だよね」
「ね! 早く、くっつけばいいのに」
「……ちがうの?」
アンズと目を合わせて、クラスの女子が笑う。その顔は、アンズの言葉を肯定している。
アンズは、再びヒカルに目を向けた。
ヒカルは、屈託のない笑顔を見せていた。




