5-7 花は桜木、人は武士 ㉑
*
雪原を走る電撃。
意思を持って動き回る水流。
夢から覚めた北上とアンズは、跳び起きるなり攻撃を繰り出していた。
「ああ。起きたかい。お二人さん」
薙刀で空気を裂くようにして、ケイイチロウは幾つもの火球を北上へ向けて放つ。二人を見守っていたケイイチロウは、彼らが夢の世界から戻ってきたことに驚き、また喜んでいた。アンズは北上の精神を破壊するのではなく、正面からの闘いを選んだのだ。
北上は龍のようにうねる水の塊をガントレットで受け止め、四方から向かってくる水獣達を蹴散らした。
攻撃される度にアンズの放った水獣達は水の姿に戻り、それは空気中に拡散して、光を拾って輝いている。
地上では炎が壁となって押し寄せ、空からは炎を避けて水獣達が襲い掛かった。
「殺してあげるわ! インドラ!」
アンズの笑い声。
北上が拳を振るうと、炎の壁は掻き消され、水獣達は弾けて飛んだ。
戦力差は、圧倒的だった。皆、それには気付いている。
(唯の子どもかと思えば……)
攻撃を繰り返すアンズの横顔を見て、ケイイチロウは呟く。彼には、彼女が自棄を起した訳ではないと分かっている。アンズは自分で心の整理をつけて、その上でインドラに正面から挑み、倒される事を選んだのだ。
アナザーとしての自分の終わらせ方を悟ったようなアンズのその行動は、ケイイチロウの抱く彼女の印象を一変させた。我儘で煩いただの子どもだと思っていた少女が、化物になっても尚、人としての矜持を見せたのだ。それは彼にとって、尊敬にすら値した。
そして同時に、ケイイチロウは罪悪感を抱く。彼は自分の傲慢さにも心の醜さにも気付かされ、それを素直に受け止めたのだった。
不意に、北上の足元に広がる黒い円。地面の雪から召喚されたサメのような頭をした水獣が、北上の体を呑み込もうと口を開く。
北上が跳んで回避しようとしたところへ、頭上からはアンズが迫った。そして同時に、左右からは炎が押し寄せる。ケイイチロウは、アンズのフォローに回ったのだ。
足元の水獣を殴りつけ、炎の中へ飛び込んで、北上はアンズの攻撃を回避する。そこを狙っていたケイイチロウの斬撃と火球を躱すと、北上は更に二人から距離を取った。
「あら、優しい」
肩に掛けた傘をクルクルと回して、アンズは笑う。彼女の右脚と左肩は、もうほとんど見えなくなっている。人の体を維持できず、水に戻っているのだ。
ケイイチロウは扇子を取り出して優雅に仰ぎながら、その口元はふんわりと笑って見えた。能力を使う度に体は燃えて、彼の背中はもうすっかり抉れている。動く度に体からは灰が飛んで、それは雪の上に幾重にも降り積もった。
思いが変わると、そこには感情が生まれる。それが彼らにとって良いものか、そうでないのかは、受け止める彼ら次第だ。
次が最期だろうと、二人は悟った。彼らの視線の先には、体に電撃を纏う北上の姿。
北上は意識を集中させて、目の前の二人を見ている。アンズと、ケイイチロウ。北上には、例え自分が手を下さずとも、彼らは直に崩れて消えるだろうと分かっていた。それでも自分の手で倒すことが、彼らの敵として自分の為すべきことだとも。
瞬きする間に、それは起こった。
「――さようなら」
胸を貫かれて、アンズの体の中心にはポカリと穴が空いている。彼女の隣では、先に体を貫かれたケイイチロウが、その体を支えきれずに膝から崩れ落ちていった。
満足そうな表情で、雪の上に転がるケイイチロウ。そこに覆い被さるようにして、アンズも倒れた。彼女の目元はベールで覆われていたが、口元は笑っている。
重なって、互いを分け合うようにして、アンズとケイイチロウは一つの塊となってやがて消えていく。
北上は、光の粒を振りまいて消えていく彼らの姿を見つめた。そうして最後の一粒が消えるまで見届けると、彼は確信を持って振り返る。そこには、南城サクラの姿があった。
南城は道着に袴姿で、竹刀を手にしている。それは、北上が幾度も目で追いかけてきた学校での姿だ。今の彼女には自我があり、望めば会話することも可能だった。だが顔を見合わせて、二人は互いに同じことを望んでいるのだと悟る。
この夢を、終わらせる――。
そのために必要なことは、一つだけ。彼らは互いに、それを理解していた。
風が吹き、雪が舞うと、南城の身に付けていた道着や袴が白装束へと変化する。それは、彼女が「キツネ」である時の恰好だった。何処からともなく取り出したキツネ面で顔を覆い、南城は引き抜いた刀を構える。
同じようにして、北上も構えを取った。やるべきことを理解している頭は、驚くほどにクリアだ。
人生は、選択の連続だった。様々な選択肢がある中で、一つを選び取る。そしてその責任は、いつも自分で負う。
これも、一つの選択だった。数ある中から選び取られた、たった一つの道なのだ。
静かに繰り返される呼吸。
ぶつかり合う視線。
そうして、音が消えた。
強く踏み込んだかと思うと、南城の姿は北上の視界から消える。
既に、目前。
一瞬で距離を詰めた南城の刃は、北上に向かって振り下ろされる。
奥歯を噛み締め、北上は右腕を突き出す。
腕に伝わる反動。
雪の上に飛び散る血痕。
北上の右肩から流れ出た血が、彼の足元にポツポツと跡を残す。
「――御見事」
南城の手から滑り落ちた刀が、雪の上に転がる。
北上の手刀は南城の胸に撃ち込まれ、それは骨の間を縫って彼女の心臓を衝いていた。それは彼が初めて見せた技だったと気付いて、南城は口の端に笑みを浮かべる。これまで幾度も刃を交えてきたが、彼はまだ奥の手を隠し持っていたのだ。
リンッと、何処からともなく鈴の音。
まるでシャボン玉のように天井がパツンと弾けて、辺り一帯の雪景色が溶けていく。
膝から崩れ落ちる南城。
北上は、彼女を強く抱いた。




