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ゲノム・レプリカ  作者: 伊都川ハヤト
TO BE (後編)

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377/408

5-7 花は桜木、人は武士 ⑭

 *


 

 東京。桜見川区上空。


 ギュッギュッと、踏まれる度に雪が小さな悲鳴を上げている。呼吸の度に冷え切った空気が肺に向かって駆け下りていき、北上の胸はギュウッと痛んだ。吐く息の白さも、ジンジンする鼻や耳の痛みも、今は不思議と懐かしい。


 雪原には、所々に不可思議な黒い塊が生まれていた。それらは突然現れ、突然消える。ブラックホールのように光を通さないそれを警戒しながら、北上は南城を探して歩き続けていた。あれ以来、南城はおろか生き物すら見かけない。


 北上の遥か前方には、時折、ポツポツと薄い紅色の炎が浮かんだ。浮かんでは消え、浮かんでは消えていくそれは、提灯を持った誰かが歩いているようにフラフラと揺れている。これが、狐火というものなのだろうか。


 リンッと音がして、北上は足を止めた。


 左の方から、鈴の音。それとは別に、なにか音が聞こえてくる。


 北上が音を頼りに進んでいくと、やがて辺りは夜のように暗くなった。


 ポーン、ポーンと、暗闇に浮かぶ球体。北上は少し遅れて、それが毬だと気付く。童が一人、暗闇の中で毬つきをしているのだ。


「一番はじめは一宮、二は日光東照宮、三は讃岐の金毘羅さん……」


 幼子特有の高い声で、下っ足らずの口で、まるで軍歌を思わせるメロディ。


 北上は、童の傍に立って歌に耳を傾けた。彼女の顔は、肩の上で切り揃えられた髪で隠れている。


 北上は知らないことだったが、童が歌うのは古い数え歌だった。一から十まで日本各地に存在する代表的な神社仏閣が登場するこの歌は、後半からはガラリと印象を変える。メロディこそ同じだが、後半の歌詞は二人の男女の悲恋を綴った小説が元となっているのだ。


 とある女が海軍少尉と結婚するが、彼女は肺結核を患っており、夫が遠洋航海に出ている間に姑によって離縁させられてしまう。そうして女は、悲嘆のうちに血を吐いて死ぬ。


「……二度と逢えない汽車の窓、鳴いて血を吐くほととぎす」


 歌が終わると、童は毬を胸の前で抱いて顔を上げた。


 童の顔は、南城によく似ていた。サラサラの髪は彼女本来の髪質とは違ったが、髪型は普段キツネが身に付けているウィッグを思わせる。


「あんなに、願掛けしたのにねえ」


 童の声。泣いているとも、笑っているとも分からぬそれは、北上を妙に不安な気持ちにさせる。


 北上は童の前で腰を落として、彼女と目線を合わせた。そして彼は、一つの事実に気づく。南城と似ていても、この童は南城ではない。南城とは別の「なにか」が、彼女の形をしているだけだ。


「残念ね」


「可哀そうだねえ」


 童の顔が、グニャリグニャリとねじ曲がって他人の声を出す。男と女が交ざったような、倍速と低速が同時に聞こえているような奇妙な声だ。


 アハハと、童は声を上げた。


 北上は、反射で後ろに跳ぶ。彼が元居た場所には球状の黒い塊が現れ、辺りの空間を捻じ曲げ始める。


 アハハと、また童は笑った。彼女は毬を抱いて笑いながら、黒い球体に飲み込まれて体を捻じ曲げられていく。


「一ば……は……めは一……み、や――」


「にぃ……にっこ……とおしょ……う――」


 北上の見ている前で、童は妖怪のように姿を変えた。首を長く伸ばし、ねじ曲がった体を左右に大きく振りながらバランスを取って、彼女は歌い続けている。顔の半分が潰れていて声を出すのも苦しそうに見えたが、それでも何故か楽し気だ。


 北上の両腕には、シルバーのガントレットが現れた。彼の能力で作られているそれは、今、彼の意志によらず出現している。


 目の前の奇怪なものは、敵だ。明確にそう認識していながら、それでも北上は闘いを避ける方法を思案している。


 突然伸びてきた童の頭を、北上は反射で弾いた。冷たいものが、背中を走る。慎重であるべきだと自分にどれ程言い聞かせても、体は身を守ろうと動いてしまう。


 この童は、南城ではない別の「なにか」である。しかし、この子供への攻撃が、南城に影響を与えないとは限らない。北上は、まだ南城を諦めていなかった。


 アハハと、再び声がする。それは童のものではなかった。


 童の後ろからは、ズルリズルリと重いものを引き摺るような音。彼女の背後からは、複数の歌声が聞こえてくる。


「――八つ八幡の八幡宮」


「九つ高野の弘法さん」


「十は東京招魂社――」


 やがて北上の前には、奇妙な出で立ちの者が姿を現す。大人の背丈ほどある顔だけの生き物が舌を出して這い、一つ目の小僧が鼻緒の切れ掛かった草履で飛び跳ね、鼻から上を失った遊女が笑いながらカランコロンと歩いてくる。


 彼らの後ろには全身毛むくじゃらの赤ん坊や目玉だらけの牛、実態のあやふやな白っぽい群体などがワラワラと続いていて、その列には終わりなどないようにみえた。


「二度と逢えない汽車の窓」


「鳴いて血を吐くほととぎす」


 化物たちは声を合わせて歌った後、口々に「可哀そう」と憐れんだ。あれほど神様にお願いしたのにと憐れんで、そうして一頻り悲しそうな顔をした後、彼らは急に大笑いし始めた。腹を抱えて、手を叩いて、可笑しくて仕方がないと、壊れたように笑っている。


 その集団から、不意に飛び出したものがあった。初めこそ小さな火の玉に見えたが、それは徐々に白いキツネになり、白髪のおかっぱ頭の童に姿を変えていく。


 化物の集団は白髪の童に気付くと、全員が鬼のような形相で彼女を追いかけ始めた。


 北上は高く跳躍して集団を抜き去ると、童の傍に下りて、彼女の後を追う。他とは違い、この童からは南城と同じ匂いがする。


 途中、道は隆起し蛇行した。化物たちは口々に騒ぎ立てながら、闇の中を追いかけてくる。童はぴょんぴょん跳ねるように駆け、北上はそれを無心に追いかけた。


 やがて、童は突然立ち止まる。目の前に、崖があるのだ。


 崖は童と北上の前にそそり立ち、後ろからは化物の集団が迫っている。


 北上は童を抱えて逃げようとしたが、彼女はスルリと彼の手を抜け、トントントンと壁を三回蹴って、崖の上へ。そうして崖の上に立つと、童はようやく北上に顔を見せる。それは紛れもなく、南城サクラであった。


 幼い南城は氷のような目で北上を見下ろすと、プイと背を向ける。崖の上は狭く、大人一人が立てるか否かといったところ。南城は皆に背を向けると、脚を宙に投げ出してその場に座った。


 アハハと、背後に化物たちの笑い声。


「あんなに」


「あんな……に心願……」


「心願かけ……のに……ね」


「可哀……そ……ねえ」


 化物たちは次々に体を捻じ曲げて、裂けた皮膚の隙間からはタコやイカを思わせるような触手が飛び出してくる。


 北上は真上を眺めたまま、肩や腕や両脚を掴まれた。グチャグチャと不快な音を立てて体中を這いまわる化物たちの触手は、彼の皮膚の下を目指している。


「どいてくれ」


 北上の声と同時に空気が揺れて、バチッと爆ぜる音がした。北上の体を取り囲んでいた化物たちは、彼の体が発した電撃によって焼かれ、弾ける。


 遠巻きに見ていた化物たちは、飛び散って屑になった肉に駆け寄り、大喜びでそれを貪り始めた。やがて腹を満たしたモノの一部が交わり始め、辺りには酷い臭いが充満する。時折、彼らは酒のような匂いのするものを体から出して、それを飲ませ合うこともあった。


 幾つかは交わりながら形を変え、また別のモノと交わって、溶けたり、裂けたり、なにか吐き出したりする。


 そんな化物たちの中心で、暗い地面がパックリ口を開けた。そこから現れたのは、花魁姿の人物。彼は口元に不敵な笑みを浮かべて、化物たちには目もくれずに去っていく北上の背を眺めている。


「南城」


 崖の上。北上が後ろに立って声を掛けると、幼い南城は驚いた様子でパッと振り向いた。しかし彼女の表情は冷淡で、北上を見ても大して興味も無さそうに口先をツンと尖らせただけ。


 そうして南城は、崖からヒョイと飛び降りて、闇の中に消えていく。


 間を開けずに北上が同じ闇に飛び込むと、次に目を開いた時、彼の体は雪原の中にあった。それは、最初に彼が立ったあの雪原と同じであった。

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