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ゲノム・レプリカ  作者: 伊都川ハヤト
TO BE (後編)

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5-7 花は桜木、人は武士 ⑥

 *



「本当に、本当に申し訳ない!」

「南城。本当に……すまない……」


 南城と北上の二人は互いに額が床に付くほど頭を垂れて、相手への謝意を精一杯表現した。


 居間の中。小さなテレビが置かれた腰高程の本棚の上にはミカンが前脚を揃えて座り、人間達の行動を不思議そうに見つめている。


「なんと言ったらいいか分からんが、とにかく申し訳なく……」


 顔を上げた南城は弱り切っていて、罪悪感から唇の端を噛み締めている。彼女は全裸の北上の脚の間に傘で一撃を与えてしまい、それを心から反省しているのだ。


「いや。俺が着替えを忘れたのが悪い。許してほしい」


 北上は南城に謝りながら、彼女の後ろに父親の姿を思い浮かべて、彼に対しても謝罪していた。これが南城父の耳に入れば、彼は今度こそ本物の刀を持ち出すかもしれない。


 二人は少し無言になって、互いの顔を見つめた。南城は心の底から謝罪しているし、北上はそれを受け入れている。そればかりか、彼はそもそもの原因は自分にあったと考え、それを彼女に謝罪している。


 互いに相手の思いを理解して、これ以上頭を下げ合うことは却って良くないだろうと考えた。


「……ありがとうな。北上」


「うん。ありがとう」


 謝り続けていた二人が礼を伝え合うと、今度は急にそれが可笑しく思えてきた。


「なんというか……。あの……あれだな、危うく、お前から男の尊厳を奪ってしまうところだったな!」


 空気を明るく変えようとして、南城はアハハと笑いながら冗談を言ってみせた。


 北上は南城が冗談を言ったのだと分かっていたが、不意に思い出した痛みで気が飛び掛けてしまう。剣道の有段者の一撃は、あまりに重かった。


「いやあ~……。なあ~……。本当に……。うん。あのう……。……お茶でも淹れようか」


 言葉に詰まって、南城は逃げるように台所へ消えていく。


 北上は南城の後ろ姿を見ながら、悟られぬようにそっと息を吐いた。実のところ、南城の傘の先は、北上の局部を掠った程度だった。だが、掠ろうが直撃しようが、痛いものは痛い。それは、思わず死を覚悟するほど。


 北上は過去、空手の試合中にも局部に蹴りを貰ったことがあった。相手には完全に悪気はない――何故なら、相手は北上よりも青い顔で心配していたから――と分かっていても、それでも痛みは怒りを産むし、同じくらいに不安も産む。


(……使い物に……なるのだろうか……)


 ならない筈はないと分かっていても、北上はついそんな事を思った。


「北上。これ、滝から」


 盆を手に、南城が台所から戻ってくる。そこには急須と湯呑の他に、南城が滝から持たされた羊羹があった。


「全く。北上は甘いものなんか食べないって、何度も言ったのにな。持って行けって、ずっと言うんだ」


 ブツブツと溢しながら、南城はコタツ机の上に湯呑と皿を並べていく。


 ミカンは飽きてしまったのか、いつの間にか本棚の上で丸くなって眠り始めている。


 北上は滝を始めとする家政婦たちを思い出して、気まずさを覚えた。彼女たちは北上の恋心に気付いていて、とにかく関係を進展させろと、顔を会わせる度に奥手な彼を責めるのだ。この羊羹も、彼女たちの作戦の一つに違いなかった。


 特に滝は痺れを切らしており、「いい加減に孫の顔が見たい」とまで言い始める始末。勿論、南城に子どもが生まれてもそれは滝の孫にはならないが、そんなセリフが飛び出すくらいに彼女たちの絆は深いのだ。


 さてどうしたものかと、北上は湯呑を眺めて溜息を吐いた。関係を進展させると言っても、そのためには、そもそも互いの気持ちが伴っている必要があるのではないか。一方的に願ったところで、どうにもならないこともある。


「いや、無理して食べなくて平気だぞ。私が食べるし」


「食べる」


「大丈夫か? 本当に、平気だからな?」


 南城に誤解されていることに気付いて、北上は羊羹を口に放り込んだ。そしてすぐに、後悔する。焦って雑に食べてしまったが、この羊羹は食に無頓着な北上にも分かるくらいに良い品物だった。


 動揺する北上。そんな彼の目の前で、南城はテレビを点けながら更に雑に羊羹を口に運ぶ。


「南城」


「ん? ……ああ、羊羹? 美味しいよな、ここの」


 南城の口ぶりは、羊羹を褒めはしていても、あまり興味は無さそうに聞こえた。


 南城は普段から良いものを食べていて、感覚がマヒしているのかもしれない。そんな事を考えながら、北上は湯呑を満たす緑茶を眺める。業務スーパーで、一袋二百円を切っていた激安の緑茶。これは南城にとって、本当に緑茶として認識されているのだろうか――?


 テレビは、どの局もニュース番組しか放送していなかった。この状況では、それも仕方のないことだろう。


 南城が選んだ番組では、炎のアナザーによる被害や大流行しているインフルエンザウイルス、脳が溶ける奇病についての政府の対応をアナウンサーが次々に読み上げていた。


 二人は互いに、自分の思いを悟られぬようにと画面ばかりを見ている。


 死期を悟った南城と、守るものを見つけた北上。


 神を目指すキツネと、争いを止めたいインドラ。


 二人の道は、何処までも平行なまま。


 やがてテレビは、長野県の山間部から高咲までの様子を映し出す。灰になった森や建物の数々。辛うじて原型を留めている車。家や畑を失った人々の嘆き――。それらは、無力感や後悔といった点では、二人に同じ感情を抱かせていた。


 炎のアナザーを狩らねばならない。そのために南城はより強い力を求め、北上は更に多くの情報を必要としている。


 北上はふと、南城の怪我を思い出して不安に思った。次に炎のアナザーが動き出した時には、ここ桜見川区も被害を受ける可能性がある。その時、彼女は怪我をした脚で逃げ切ることが出来るのだろうか。


「南城。君の家は、やはり避難しないのか」


「うん。……昨日、言った通りだよ」


 南城は、嘘を吐いた。昨日は家の都合で避難しないと言ったが、父親のセイイチロウは妻と娘だけでも逃がそうと考えている。それを拒否したのは、彼女たち自身だ。母親は息子が戻ってくるのを待っていて、南城は闘いのために残った。


「お前こそ……。お前、この家が潰れそうになったら、ミカンを連れてうちに来い。家の者には、言っておくから」


 南城は北上に「避難しないのか」と尋ねるつもりで口を開いたが、途中で彼には身寄りがないことを思い出した。さらに、独り身ならば避難所という選択肢もあるが、北上はミカンが居ることを気にしてこの家に残るのではないかとも考えたのだ。


「俺になにかあったら、ミカンを頼む」


 北上は、南城に深く頭を下げた。


 南城は北上の纏う雰囲気が急に変わったように感じて、思わず彼の方を見る。


 顔を上げた北上は、普段と同じように無表情だ。


「……そういうのは、縁起悪いぞ。馬鹿」


 南城は動揺を隠すように顔を再びテレビの方へ向けて、湯呑を口元へ運んだ。


 全身が、粟立っている。


 穏やかな北上の口調が戦場で耳にしたそれと似ているように思えて、南城は背中に冷たいものを感じていた。そんなはずがないと分かっていても、心の底から、とてつもない恐怖を覚えたのだ。


 北上は南城の変化には気付かず、すっかり安心して、テレビの隣で眠っている愛猫に目を向ける。例え自分に最悪なことがあったとしても、ミカンを安心して任せられる場所があれば何とかなるように思えたのだ。勿論、北上には死ぬつもりなどなかったが。


「そろそろだな。行くぞ」


 十九時を告げた時計を見て、南城が立ち上がる。


 北上が不思議そうにそれを見ていると、南城は彼にも用意するように言った。南城家で夕食を用意しているから、食べに来いというのだ。


 北上はミカンを撫でて出掛けることを告げてから、上着を着込んで南城と家を後にした。出る間際、冷蔵庫の前にテーブルをピタリと寄せて開かないように工夫してみたが、それがどうなるかは分からない。


 ミカンは二人が家を出るまで目を閉じていたが、始終耳はピンと立っていて、ずっと寝たふりをしていた。このところの北上や南城の緊張はこの子猫にも伝わっていて、ミカンはその言葉に出来ない思いを悪戯として発散しているのだ。


 二人が表に出ると、雨は既に上がっていた。まだ冬を引き摺る風の匂いは、鼻を抜けて体の隅々に刺さっていく。


「学校……どうなるかな。あの部屋……」


 南城は、溜息交じりに呟く。


 恐らく、直に学校は避難所として解放されるだろう。非常時に体育館やトイレや教室の一部が解放される事は、決定項だ。生物準備室に一般人が入ることはまずないが、それでも人が増えれば、あの部屋の秘密を隠し続けることは難しい。 


「南城。問題ない」


 北上は、そうとだけ答えた。


 南城は、歩きながらチラリと横目で北上を見た。彼の目は、真っすぐになにかを見ている。


「北上。お前……」


「おや? やや! 北上君! 北上君じゃないか!」


 南城の声に被さるように、前方から威嚇するような大声。


 南城家の門の前に停車中の車から下りてきた南城の父――セイイチロウが、二人の姿を見るなり声を上げたのだ。


「あ、父……」


「呑もう! 呑もうじゃないか! 北上君!」


 セイイチロウはズンズン迫ってくると、二人の間に割って入り、北上と肩を組んで彼を家の門へと連れて行く。


 運転係は南城に頭を下げてから、再び車に乗り込んで車庫の方へ向かった。


 北上は連行されながら、時折、振り向いて南城を見ている。彼女にはそれが、助けを求めているようにも見えた。


「君、ポン酒は強いが洋はどうかね? 良いのがあってな~!」


 スーツの上からでも分かるセイイチロウの太い腕は、北上をがしりと掴んで離さない。


「……なんでも、最近、うちの娘が世話になっているようだね……?」


 小声で耳打ちされて、北上は冷や汗を掻いた。闘いのことを考えて酒は固辞しようと決めていたが、とてもそういった雰囲気ではない。


「……頂きます」


 これも避けられない闘いなのだと、北上は自分に言い聞かせていた。

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