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ゲノム・レプリカ  作者: 伊都川ハヤト
TO BE (後編)

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5-7 花は桜木、人は武士 ⑤

 *



 両手いっぱいに花を抱えて、ヒカルは小川の前に佇んでいる。水の流れは清らかで、耳に届く涼し気な音は爽やかだ。


 太陽は、真上で彼を照らしていた。目を閉じていても瞼を突き抜けるような光に辺り一帯を照らされて、草花はそれを喜んで見える。


 小川を飛び越えて、ヒカルは花を摘みながら歩き出した。何処まで歩いても、ヒカルは汗を掻かない。ここは暑すぎることもなければ、寒いと感じることもなかった。時折、風が強く吹いたが、それは彼の髪にほんの少しの悪戯をしていくだけ。


 花の咲き乱れる草原を抜けて、森を見つけ、ヒカルはその奥へと進んでいく。森の中は太陽の光も弱まって、草原よりもヒンヤリとしている。


 しばらく歩いていくと、小さな泉の傍に草花が絨毯のように生い茂る場所があった。木漏れ日の下、ガラスの棺には、美しい少女が胸の前で手を合わせて眠っている。


「リリカ」


 傍へ行くと、ヒカルは少女に笑いかけた。彼女の頬は紅く上気して、満たされた穏やかな表情だ。彼女は、幸せな夢を見ている。


 棺の周りを花で隙間なく埋めると、ヒカルは腰を下ろす。辺りには蝶が舞い、小鳥たちの囀りが聞こえている。


 リリカの傍に居る時、ヒカルはどんな痛みにも耐えることが出来た。体中がジワジワと焼かれ続けていても、彼はもう悲鳴もうめき声も上げない。


 ヒカルの体は時折、空気を吸い込んで燃える薪のように赤く輝く。炎の力は彼を内側から焦がし続けているが、どれだけ焼かれても、ヒカルの体は燃え尽きることなく再生し続けている。


 リリカのため。その言葉があれば、ヒカルはなんでも出来るように思った。痛みに耐えることも、闘うことも、なにも苦痛ではない。これからどれだけ人の道を外れた行いを迫られても、彼にはそれが出来るように思うのだ。


 ヒカルと、誰かが呼ぶ声。


 ヒカルは目を閉じて、辺りの静謐な空気を肺一杯に吸い込んでいく。体は、赤く輝いている。


 ヒカルと、再び誰かの声。


 彼は目を開くと、木々の間の空を眺めた。


 空には雲が広がり始めて、それは段々と不吉な色に変わっていく。


 世界が、呼んでいるのだ。夢から出て、現実と闘わなくてはならないのだと。



――再び、高咲。


「ああ。可愛い可愛い、ヒカル――」


 崩れかけた天井の下。ヒカルの体は、以前と変わらずに壁に凭れて脚を投げ出していた。今はもう眠りから目覚めていたが、疲弊した体を動かすことが出来ず、瞬きもせず項垂れている。生気のないそれは、まるで抜け殻のようだ。


 高咲の街に降り続けていた雨は、いつの間にか上がっている。しかし空には分厚い雲が何層にも渡って寝そべり、街の上を塞いでいた。


 上機嫌な中林が左の掌にナイフを突き立てて、その刃を手首の方までゆっくりと滑らせていく。溢れ出す血液は、眩暈がするような紅。


 虚ろな目で虚無を眺めているヒカルの顎に手を当てると、中林は彼に上を向かせて、その口元に血液を流し込んでいく。


「さあ、おいで。おいで、ヒカル」


 散り散りになったコアトリクエをすっかり回収し終えた中林には、以前よりも濃く、強い核の力が宿っていた。今の彼は、かつてない程に満たされている。これ以上ない程に順調な計画は、なにもかもを光り輝いて見せるのだ。


 無抵抗のヒカルの口の端からは、赤い筋が流れ出た。それは顎を伝ってポトリと落ち、胸の上に小さな点を打つ。


 流れ込む血の量に比例して、ヒカルの瞳には光が戻っていく。炎の力を抑え込むことで精一杯だった体には、別の力が宿りつつある。


 やがて、地面に力なく投げ出されていたヒカルの手が動いたかと思うと、それは中林の左手首を掴んだ。一瞬のことに、中林は反応出来ない。


「起きたか。ヒカル」


 笑ってみせて、中林はヒカルから目を逸らさずに左手を引こうと試みた。しかしヒカルはそれを許さず、中林は動くことが出来ない。


 目を合わせたまま、ヒカルは中林の左手に齧りつく。鋭く光るその目は、獣のよう。


 中林の手は、ブルブルと激しく震え出した。それは、恐怖によるものではない。高まる期待が、彼を興奮させている。


 ヒカルが次の行動に移ろうとするそのタイミングに合わせて、中林も動く。彼は白衣のポケットから取り出した小瓶を、右手でヒカルの顔に投げつけた。ヒカルがそれを手で跳ね除けると、割れたガラス片と共に臭いを放つ液体が飛び散る。


 鼻を衝く臭い。目を焼く痛み。


 ヒカルが薬品で目を潰されて蹲る間に、中林は彼の手を振り解いて空に向かって跳んだ。白衣を破って背中から飛び出した枯れ枝のような翼は、不器用な羽ばたきで風を捉えながら、彼の体を建物の上空へと運んでいく。


 空高く舞い上がって、中林は雲の高さから高咲の街を眺めた。昨日まで人々の暮らしがあったそこには、今は灰と煤があるばかり。


 ヒカルは治りかけの目で世界を睨みながら、建物の陰から現れ、真っすぐに上空の中林を睨んだ。


 目を合わせて、中林は堪えきれず声を漏らす。まごうことなき殺意と執念が、地上に立つ少年の体からは溢れ出ている。ヒカルは目覚めて直ぐに、一切の迷いなく中林を狩りに来たのだ。


(ああ。本当に……本当に、なんて素晴らしい……)


 欲を言えば、今すぐ狩られてしまいたかった。血走る目で睨まれ、真白の歯を肉に突き立てられ、体を裂かれてしまいたいと願う気持ちがあった。しかし、今はその時ではないのだと、中林は自分に言い聞かせて雲の波間に身を隠す。


 ヒカルは空を見上げながら、荒く息を吐き、激しく肩を上下させている。新しい血を取り込んだ彼は、それが体と同化するまでの間、激しい拒否反応と闘うことになるだろう。


 文化祭の夜。西園寺アンズとキツネとの闘いで校舎が崩壊したあの事件の際に、中林は「彼女」のハートがヒカルの体と完全に同化したことを知った。あの時から、中林はずっと夢の中に居るのだ。


(もうすぐだ。イリス……)


 すっかり暗くなった空。その遥か上空に存在する宙へと思いを馳せて、中林は娘の名前を呼んだ。

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