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ゲノム・レプリカ  作者: 伊都川ハヤト
TO BE (後編)

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361/408

5-6 Birthday ⑮

 *



 空中で、四方を囲むように現れる氷の礫。

 襲い掛かる水獣たち。

 地面を突き破って飛び出す氷の刃。

 手足を凍らせ、四肢の感覚を奪う凍てつく風。


(……ダメか)


 繰り出した攻撃の全てが弾かれ、砕かれ、そして消えて行く様を、キツネは眺めていた。普段は陽の光を受けて輝く氷の欠片も、この場所にあっては直ぐに溶けて蒸発してしまう。その味気なさを、キツネは惜しんでいる。


 中間で分断された橋の向こうには、インドラの姿があった。平然と、泰然とするその姿は、対峙する者に恐怖を与える。それは人であれ、アナザーと呼ばれるものであれ、同じことが言えた。


(なによ……! あの男、一体どうなっているの……!)


 周囲を漂っていたアンズと水獣達は、恐怖に当てられたのか、キツネの傍に集まってきた。


 インドラは、見えない筈のアンズの攻撃を、気配だけを頼りに全て往なしているのだ。アンズはそれに恐れを抱き、キツネは感心している。


 一歩引いた所で、死を悟った心で、キツネは攻撃を行いながらインドラの動きを観察していた。その一挙手一投足に無駄はなく、彼の拳が空を裂くように動く様は美しい。練り上げられた技の数々は、感嘆に値するものだ。 


 武道を志す者として、自分がインドラを尊敬していることを認めると、キツネは不思議と肩の力が抜けるのを覚えた。相手は無手で、自分は刀。互いに歩む道は違えど、目指しているものはそう遠くない筈だ。


 尊敬できる相手と巡り合えたことは、幸せだった。尊敬できる相手との闘いが命をかけるに値するものであることは、願ってもない幸運だった。


「……だから私は、お前を殺さなくてはならない」


 キツネは、面の下で微笑んでいる。彼女には、簡単に自分の命をくれてやる気はなかった。それは、東條ヒカルと彼が庇っていた女性の命についても同じことだ。


 インドラはキツネの雰囲気が普段と違うことに気付き、先程から彼女の様子を窺っていた。キツネの行動には説明がつかない点があるが、しかし、彼女が冷静さを欠いているようにも見えない。敢えて隙を見せて誘っても、キツネは手を出してこないのだ。


「理由が聞きたい」


 口にはしたが、インドラは自分の問いにキツネが答えるとは思っていない。それに、彼には思い当たる節があった。


 キツネの様子が急変したのは、ヘカトンケイルが現れてからのことだ。それまでの彼女はアナザーに対して積極的に攻撃を行っていて、本気で炎の核を狙う様子が窺えた。


「君は、ヘカトンケイルの正体を知っている」


 インドラは、それを確信していた。


 家族か、知人か、それは見当もつかない。だが、キツネがヘカトンケイルの正体を知っていることは明らかで、そしてヘカトンケイルがアナザーを庇ったということは、彼らにも何らかの関係があることが予想できた。


 やむにやまれぬ事情からヘカトンケイルはアナザー側に立ち、そしてキツネはそれを知って彼らに加勢することを選んだ。


「それでも……俺は、君を倒さなくてはならない」


 ガスマスクの下で、インドラはキツネを、そして彼女の遥か後方で燃えている街を睨んでいた。アナザーがこの街に現れてからの僅かな時間で、高咲の街は炎に呑まれ壊滅的な被害を受けている。


 時折、川沿いでは小規模な爆発が起こっていた。それは立ち並ぶ工場群で起きているようで、そそり立つ炎の壁の向こうでは、消防車らしきサイレンの音が掠れて聞こえている。


 力を持つ以上は、人や街を守ることは、インドラにとって義務だった。同じ力を持つ者たちと出会えたことは、幸いだ。彼らと敵対することは悔やまれたが、抗うことの出来ない流れがそれを仕方のない事と諦めさせていく。


 アンズは構えを取って対峙する二人の周囲を飛びながら、徐々に体を分解し、空気に溶けつつあった。それは攻撃にも防御にも転じるための準備であり、そして同時に周囲の状況をキツネに知らせる為のセンサーとしての役割も果たしている。


 彼らの真下にある川の水は、今は完全に干上がっていた。インドラはそれを、単にアナザーによる炎の為だと思い込んでいる。


 闘いが一瞬で終わるだろうということは、二人には分かっていた。武の力だけではキツネはインドラに劣るが、彼女には彼にはない別の力がある。


 いつの間にか、二人には周囲の音が聞こえなくなっていた。離れたところに居ても、彼らには互いの息遣いさえ分かるように感じている。


 しかし、やがて遠くから、彼らの静寂を打ち破る者が現れた。


 ドスンドスンと音を立て、川上の方から、それは二人の方へと向かって駆けてくる。


「ははははははははははははははははっ!」


 久方ぶりの自由を手にして笑い狂っているのは、コアトリクエだった。所々に木の枝や石の欠片などの不純物を取り込んでしまっているが、今の彼は手足から双頭に至るまで全てを再生させた状態にある。


 ヘカトンケイルによって地中深くに閉じ込められ、一度は脱出したものの、再び彼の手でバラバラにされていたコアトリクエは、再生の喜びとヘカトンケイルへの怒りを胸に駆け回っているのだ。


「何処だ! 許さんぞ!」

「何処だ! 許さんぞ!」


「腸を引き摺り出し」

「腸を引き摺り出し」


「頭を磨り潰して」

「頭を磨り潰して」


「饗宴の贄としてくれる!」

「饗宴の贄としてくれる!」


 肩の上に乗せられた双頭がヘカトンケイルへの恨みを吐き続け、体中の彼方此方では生首が天に向けて歌っている。


 やがてコアトリクエは前方のインドラとキツネに気付くと、目という目を輝かせた。


「生贄だ!」

「生贄だ!」


 喜び叫ぶコアトリクエ。彼は今日という日まで、あの雪山での闘いを忘れたことはなかった。


 コアトリクエが迫っても、インドラとキツネは対峙したまま動かない。アンズはキツネに指示され、既に彼らとは遠く離れた場所に風を纏いながら移動している。


「ははははっ――」


 コアトリクエの高笑いが、途中で不自然にぶつりと途切れた。それは、彼が二人の元にあと数メートルと迫った時のことだった。


「――は?」


 間の抜けた声。歌が止まり、コアトリクエの右半身がズルリと音を立てて川底の岩の上に落ちていく。


 コアトリクエの理解は、状況に追いついていない。彼の左半身が右半身を失ったのだと理解した時、その体はもう半分ですらなくなっていた。


 コアトリクエは今、九つの肉塊と化している。彼の持つ複数の人頭という人頭の目と口は、鋭利な刃物で裂かれて役割を果たさない。しかし、不幸にも残されてしまった彼らの耳は、空を劈く轟音を聞いた。


 コアトリクエだった塊たちは、痛みと共に思い出す。それは、体中の組織が焼かれ、壊され、溶かされていく恐怖だった。


 インドラの雷によって、九つの肉塊は更に細切れとなり、塵芥と化し、風により街中の炎の海に運ばれていく。そうして、コアトリクエが彼方此方で声にならない悲鳴を上げるのを合図に、二人は動いた。


 先を制したのは、インドラだった。タイミングとキツネの攻撃パターンを読んでいたインドラは、足下から氷の刃が突き出すと同時に脚を上げ、回避する。


 キツネの目には、時が止まっているように映った。気付くとインドラは目前に迫り、彼は彼女の間合いに入り込んでいる。


 キツネは咄嗟に、前でなく横に体軸をずらした。前に踏み込みかけた足を横に倒しながら、体全体を大きく逸らす。キツネは左手で正面に撃ち込みながら、同時に回避に入っている。


 その不完全な一撃は、インドラにとって脅威ではなかった。


 懐に潜り込みながら最小限の動きで刃を躱すと、インドラはキツネの膝上目掛けて蹴り込む。決まっていれば、膝の靭帯を破壊する無慈悲な一撃。だが、キツネが既に体勢を崩していたこと、彼女の身に付けている袴のために目視を誤ったことが、インドラの攻撃を半端に変えた。


 キツネの手から離れた刀は溶けて消え、彼女の体はガードレールを越えて橋の向こうへ。


 インドラもすかさず距離を詰め、キツネを追って橋から飛び降りた。


 しかしここで、インドラはキツネの姿を見失う。ゴツゴツした岩の上に立って見渡せば、いつの間にかキツネは橋の上から彼を見下ろしていた。


「死ね。インドラ」


 姿を消すキツネ。


 インドラは、後を追うことはしない。消えた筈のキツネの気配は、まだこの場に残っている。


 そして直ぐに、インドラは異変に気付いた。川上から近付く、雪崩のような風の音――。


 川の両岸に沿って、地面から突き出した氷の板が次々に道を作る。その中を迫ってくるのは、大量の水だった。


(堰き止めていたのか――)


 思うが早いか、インドラは水に呑みこまれて消えて行った。


 氷の板が溶け落ちると、膨れ上がった水は川の両側に溢れ出し街を呑み込んでいく。それは川沿いの工場や家々の火を消しながら、何処までも静かに広がり続けていた。



 

(――トドメを刺さなくていいのかしら?)


 建物の屋上を飛び移りながら自宅を目指すキツネに、アンズが尋ねた。彼女はキツネの周りにフワフワと浮かびながら、不満そうな表情で小さくなっていく高咲を見ている。東條ヒカルがまだ街にいる以上、彼女には撤退という選択肢はなかった。


 キツネは、アンズに応えない。


 アンズが不思議に思ってキツネに目をやると、彼女の面の顎下から首に掛けて、赤い血が筋を作っているのが見えた。キツネは、吐血している。


「……脚が、思うように動かん……」


 あの時、インドラの足刀はキツネの左膝を掠っていたのだ。回避しきれなかった左脚は、かまいたちにあったようにパクリと割れて血を流している。


 アンズは、しばらくキツネの横顔を眺めた。その白い面の下には、苦悶の表情がある。


 キツネは広範囲に渡って能力を発動させ、インドラの足止めをするために罠を張りながら、彼の相手をし続けていた。限界の近付いた肉体では、能力を発動させ続ける事すらリスクを伴う。その代償に体の内側では核の力が荒れ狂い、彼女の体を食い破ろうとしている。


 いっそのこと、力に呑まれてしまえすれば、インドラに勝てるかもしれない――。


 キツネにも、そんな考えが浮かばなかった訳ではなかった。だが彼女の心は、化物として最期を迎えることを許さない。


 命が惜しくなった訳ではなかった。ただ、無様な死には耐えられなかった。


(……そう。そうね。お楽しみは、取っておきましょ)


 ベールの下で微笑むと、アンズはキツネに体を寄せて彼女と同化した。彼女は、キツネが東條ヒカルを逃がしたことに感謝している。勿論、アンズは、キツネが本当に助けたいのはヒカルではないと気付いていたが。 


(ねえ。何時だって気を失ってくれて良いのよ? あなたの体、私が使ってあげる)


 クスクスと、アンズは笑う。素直に体を気遣う言葉が、プライドのために出てこない。


 黙れと呟いて、キツネは口の端で笑った。

 

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