2-2 ステップアウト ①
二、ステップ・アウト
二〇×一年 十一月 十九日 金曜日
昼休み。生物準備室の地下で、ヒカルは中林と対面していた。キツネとインドラの言葉が気にかかり、ヒカルは一睡も出来ないまま。
ヒカルが見聞きしたことの全てを吐き出すと、中林は腕を組み、深く考えこんでしまった。その表情はいつも通りで、ヒカルのよく知るものだった。
「状況は、予想を遥かに超えたスピードで進行している」
中林は口元の髭を撫で、自分に言い聞かせるように呟く。それから一呼吸おいて、彼は決意を固めた様子で再びヒカルの顔を見た。
「話をしよう。大事な、それでいて突飛な、とても信じることの出来ない話だ」
ヒカルが頷いて応えると、中林は顔に張り付けていた特殊メイクを剥ぎ、本来の青年の表情を見せた。
その様子を見たヒカルは、これから伝えられることは、それがどんなことでも本当なのだろうと無意識に考えるようになっていた。
「今から三十年程前の事だ。サンプルリターン……といって、分かるだろうか。我が国の小型探査機が、遠く離れた宇宙で小さな星へ降り立ち、そこから岩石などの欠片を地球へ持ち帰ったことがある」
それは、ヒカルにも見聞きしたことがあった。宇宙開発の歴史を変えた偉業ということで教科書にも載っているし、幾度も映画化されている。そのうちの最も古いものは、幾度もリバイバル上映されているはずだ。
「その際に持ち帰ったものは、岩石だけではなかったということだ。端的に言えば、宇宙に存在する別の生命体そのものといえるものを、地球に持ち帰ったんだよ」
「宇宙人……ってことですか?」
ヒカルの声は懐疑的だった。とても信じることの出来ない話とは前振りされていたが、それにしても余りに現実味に掛けた話だ。
「人間と同じような、人間が想像してきたような、そういった類のものは役に立たない。それは人類誕生の遥か昔から、あらゆる知識を食い荒らし、オールトの雲の向こうから我々を観察し続けてきた。……知恵の実は、分かるかな?」
「あの、アダムとイヴの?」
「そう。我々が与えられたものは、知恵の実だった。ヒカル、これはとても、難しい話だ」
念押しされて、ヒカルは再び頷いて応える。どれだけ信じ難い話であっても、中林の表情は、嘘や冗談を言っているようには見えなかった。
「知恵の実は幾つにも分けられ、それは方々へ散らばった。それが、核だ。核は様々な方法で、姿を変える。アナザーは、核が意思を持って己を形成したものだ」
「そんな三十年前のものが、どうして今になって、この日本で? それに、キツネが言っていた『アナザーには意思がある』という言葉の意味は、それだったんですか」
「分からん。全ては、我々の思考の外にある。そのキツネとやらが、どんな意味でそういったかのかも……。ただ、アナザーが意思を持っていることは確かだ。私は、アナザーが人に危害を加えることを防ぐため、君にハンターとしての仕事を依頼していた。私が今、最も危惧していることは――」
中林は、一度言葉を飲み込んだ。口にすることを、躊躇っているようでもあった。
そうして中林は立ち上がると、部屋の壁に備え付けられた金庫を開錠し、中から銀色のケースを取り出した。ケースの表面には霜がついていて、金庫からはヒカルが腰を下ろしている椅子まで冷気が漏れ出ていた。
「言えずにいたことを、許してほしい。……核を、消失した」
「そんな!」
「すまない。此処へ誰かが侵入した形跡はなかった。ただ、あの水の核だけが消えていた」
「核が、自分の意思で動くことはありますか?」
「今回の事がそうだとは言い切れないが、そうでなければ、説明できないこともある。私が最も危惧しているのがそれだ。どれだけ人の手に触れないように回収しても、今回のようなことがあれば意味がない」
「じゃあ、一体どうしたらいいんでしょうか?」
「取り込んでいくしかない。君のスーツに組み込んだ核が、分離したことは無かった。核と核とは融合するのだ。その特性を生かし、取り込むしかないと考えている」
中林の目は真剣で、ヒカルは射られたように動けなくなった。
「取り込むと、僕はどうなるんですか……?」
「安心していい。スーツの力が増大されることはあっても、君が人の姿を失うことはない。これまでも、そうだったろう?」
「でも、先生。でもキツネは、僕に……」
「ヒカル。核の力が強大である以上、それを悪用しようとする輩も出てくる。君がアナザーを狩ることを止めたとき、得をする者は誰だ? あの二人に大義があるのなら、正義の名のもとにアナザーを狩るのなら、何故、君にそれを隠す?」
ヒカルの脳裏には、キツネの姿が浮かぶ。昨夜、互いに見合った時、そこに嘘や偽りは無いように感じられた。しかしそれが、間違いだったのかもしれない。
「少し先の事になるが、君のスーツに無線機を組み込もうと考えている。これからは彼らの妨害も予想されるだろう。だから私も、君をサポートする体制を強化していきたいんだ」
真剣な中林の目を見て、ヒカルはそれ以上なにも尋ねることが出来なくなった。彼の目に映る中林の姿は、子どもを闘わせていることに負い目を感じているようだ。
歩み寄ると、中林はヒカルの肩を両手で掴んで立たせた。
「巻き込んで、すまない。全て私の責任だ。だが、どうか、闘ってくれないか。ヒカル」
頼むと、中林は頭を下げた。その声も、肩も震えていた。
中林の手は、人のそれらしく温かだった。




