表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ゲノム・レプリカ  作者: 伊都川ハヤト
TO BE (後編)

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

350/408

5-6 Birthday ④

 *


 

 同時刻。

 海上に浮かぶ客船の中。


 客室のドアが吹き飛び、間を置いて、アオイが姿を現す。彼女は反撃を予想してタイミングをずらしたのだが、それは無意味だった。部屋の前で待機していた者は一名だけで、彼は壁と拉げたドアの間で既に気を失っている。


 投げ出された男の手からハンドガンを奪うと、弾倉を確認して、アオイはそれを手に上階を目指して階段へと向かった。彼女は裸足で、着の身着のままの格好だ。


 細く狭い通路の上部に設置された監視カメラは、アオイが歩くのに合わせて首を動かしている。


 アオイが手をかざすと、カメラは分解されてバラバラと床に降り注いだ。


 床も天井も、ネズミが走り回るようにバタバタと騒がしい。武装した幾人かの人間が、アオイを確保しようと彼女の元に向かっているのだ。


 アオイは、操舵室を目指している。光の柱がアナザーであり、その傍にはヒカルや中林の姿があることを思うと、これ以上じっとしていることは出来なかった。


 

 

 同時刻。

 都内某所。 


「――そうだ。……構わない。眠らせて、拘束したまえ。発砲も許可する」


 そう言って無線を切ると、天下井は再び顔を正面に戻した。そこには、椅子に脚を組んで腰かけている向島と、その傍らで銃を手に待機する佐渡の姿がある。


「丁重に扱え。野蛮人め。……東條に怪我をさせてみろ。同じ数だけ、右手から順に詰めてやる」


 明らかな不快感を隠そうとはせずに、向島は平然とそう言い放った。彼の目の奥には、鋭い光が宿っている。


 向島の傍らに立つ佐渡は、無表情で天下井に視線を寄こしていた。その目は、天下井は佐渡の依頼主ではあるが、雇い主でもなければ彼の保護の対象でもないということをよく表している。


 天下井は、向島と佐渡の表情をそれぞれ眺めた。彼にとって、それは自分が行ってきた選択の結果を確かめるための時間でもあった。


「あれが簡単には死なないことは、もう分かっているはずだが」


 天下井の言葉に、向島は舌打ちで返す。


 東條アオイが普通の人間でないことは、向島も既に理解している。しかしそれは向島にとってなんら問題とはならず、同時に、それを理由に彼が彼女への態度を変える事もなかった。東條アオイは、向島にとって変わらずに一人の女性なのだ。


「向島タカネは、一つの『装置』だった――」


 天下井は呟いて、背もたれを倒した椅子に体を深く預ける。天下井は佐渡に視線を投げて、彼を下がらせようとした。それは、向島への配慮からだ。


 しかし向島は佐渡を手で制すると、その場に留まるように指示する。それは身の安全を確保する目的ではなかった。「向島タカネ」という存在の意味を開示することで、彼は「佐渡」という作られた存在の持つ意味を教えようとしている。


 佐渡は向島の横顔を一度だけ見て、それから指示通りにこの場に留まることを選んだ。佐渡の中で向島への怒りは治まっていなかったが、彼はこの男を嫌いになり切れない。 


 佐渡は、向島の東條アオイへの一貫した態度や、天下井を前に一歩も退かない度胸を好ましく思っている。その理由は、言葉で説明できるものではなかった。かつて淡路がそう指摘したように、佐渡は与えられた役を演じるうちに役に染まり、呑まれつつある。


「天使と呼ばれる存在を知っているか?」


「悪いが、興味がない。そんな教えを乞う為に、此処にいる訳でもない」


 天下井は、不機嫌さを隠さない向島の態度を口の端で笑う。


「本来、天使は人を救うために存在している訳ではない。だが、人を守護、救済するものだと主張する文献は、山ほどある。そして私は、これを否定しない」


 何が言いたいのかと、向島の視線が天下井を刺す。


「人という生き物の全てが、同じ考えを持つわけではないということだ。天使は悪魔にも成り得、聖女は悪女たり得る。物事には、正面だけでなく側面がある。東條アオイの存在を恐ろしいものとして認識している人間は、少なからず存在している」


 天下井はアオイを、アナザーだと言った。それは単に他の人間とは違うという意味で発せられた単語だったが、同時に、特務課が目的としている化物のことも指していた。


 ここで天下井は、アオイが第二東京タワーの崩落に巻き込まれたにも関わらず無傷で生還したことを話し出す。それは二人も既に知っている内容ではあったが、その一部は佐渡から向島に伝えられた内容とは異なっていた。


 向島は、アオイがタワーの内部で崩壊に巻き込まれたことを知らなかったのだ。彼は佐渡や生き残った多くの人々と同じように、地下に逃げ込んだために瓦礫に巻き込まれなかったのだと伝え聞いていた。


 佐渡は、向島の視線に気付く。向島は、佐渡が虚偽を伝えたことに憤っている。しかし佐渡は、それには応えない。応えようがないのだ。向島にアオイの生存を伝えた時点では、佐渡自身、彼女が無傷でいた理由を理解出来ていなかったのだから。


「東條アオイに、死という概念は存在しない」


「……いや、違う。死は遠い概念ではあるが、真に不死ではないだろう。不老ではないからだ」


 向島の指摘に、天下井は深く頷く。


 東條アオイは、その身に受けた傷を立ちどころに癒す力を持っている。だが、その肉体は確実に老いている。肉体が歳を取る以上、傷をどれだけ癒すことが出来ても、臓器の劣化について防ぐことは出来ない。


「読めたぞ。お前たちは、東條によって……人智を超えた力によって、完全な不老不死を目指そうとしている」


「如何にも」


 天下井はまた頷いて、それから向島を真っすぐに見た。恐れることなく真相に迫る向島の姿が、天下井には眩しく思えている。


「不老不死こそ人類の夢だ。そうは思わないかね?」


「興味などない」


 天下井を完全に馬鹿にした様子の向島を見て、佐渡はさり気なく二人から顔を背ける。その様子は向島の態度に呆れたように見えるものだったが、その実は笑いを噛み殺していた。


 不老不死。そのワードは、余りに突飛で現実味の欠片もないものだ。それをバッサリ切り捨てた向島の態度が、佐渡には面白い。


「初めは、皆そうだ。だが、死を恐れない人間などいない。人は永遠を求める。今、ここにはない永遠を」


 天下井は向島に語りかけながら、そこに別の人物を重ねていた。それはエキゾチックな目元をした、白衣の青年だ。


「永遠など存在しない。人は必ず死ぬ。それが今か、十年後、二十年後になるか。ただ、それだけのことだ」


 言いながら、向島は天下井の言葉に覚えた違和感の正体に気付いた。天下井の目は、向島の言葉をただ肯定している。


 天下井は、本当は不老不死など目指していない。それは向島だけでなく、佐渡にも伝わっていた。


 天下井は咳をして、口元をシャツの袖で拭う。


「……だから君は、そのための装置だった。限りなく不死に近い存在であっても、殺めるための方法は存在する。一種の銀の弾丸なのだ。君は」


 銀の弾丸。そのワードは、またも向島を不快にさせた。アオイを化物扱いされることが、彼には耐えられない。


「東條アオイは、云わば核の塊。……レプリカだがな」


「そうか。悪いが、簡潔に頼めないか? とても耐えられそうにない。これ以上、東條を愚弄するのは止めてもらおう」


 向島は右手を佐渡の前に出すと、彼に掌を見せて「寄こせ」と目で指示した。


 佐渡は眉間に皴を寄せて、心底面倒そうに溜息を漏らす。向島の要求は、シンプルだ。銃を寄こせと、ただそれだけ。


 佐渡は仕方なく、手にしていた銃を天下井へと向けた。向島の腕では天下井に当たらないばかりか、彼自身が怪我をする可能性すらある。どちらがより面倒かを天秤に掛けて、佐渡は向島の機嫌を取ったのだった。


「天は……宙は、我々に気付いてしまった。コアトリクエの歌が、我々の存在を彼らに思い出させてしまったのだ。彼らは、必ず此処へやってくる」


「トカゲの星だと思い込んでいた場所が、文明を持っていた。だから、その正体を確かめに来るだろう、と。そう言いたい訳か。……馬鹿げている」


 向島は天下井から顔を背けると、退屈そうに脚を組み替えた。向島はアオイが彼に話した内容を忘れてはいなかったし、彼女が人間でないことも理解している。彼が「馬鹿げている」と言ったのは、三文小説に有りがちなSF染みた話の内容ではなかった。


「何億光年という彼方から、唯、トカゲを見にやってくる馬鹿はいない」


 佐渡は不意に、向島の言うトカゲが恐竜のことだと理解した。ロマンに溢れる恐竜が闊歩した時代も、向島にとってはトカゲの時代なのだ。そう思うと、妙に可笑しく思えてくる。


 天下井は咳をして、それから呼吸を整えた。彼は自分に残された時間が多くはないことを理解していて、その上で目の前の若者との一時を心の底から楽しんでいる。


「東條の存在は、イレギュラーなのだろうな」


 本来は存在しえないものなのだと、向島は付け足す。


 天下井は、深く頷いた。その脳裏では、アオイが生まれた時のことを、彼女を造り上げた人物のことを思い浮かべている。本来ならば、彼らは今も共にあるはずだった。あの日、道を違えなければ――。


「全てのアナザーを東條アオイに吸収させ、彼女ごと消滅させる――。それが、我々にとって唯一の手段と言えよう」


 タンッと乾いた音がして、天下井の耳元を銃弾が掠めていった。


 佐渡の手にした銃は、嫌な臭いと薄らとした煙を放っている。


 向島は佐渡に指示を送った右手をゆっくりと下げて、怒りを押し込めるようにその手を強く握り締めた。彼は、佐渡を責めはしなかった。初手は、警告。それは彼の望み通りだ。


 佐渡は尚も、天下井に向けた銃を下ろさない。それも、向島の望み通りだった。


「本来の形に戻すだけだ。地上に存在しえないものを、ただ排除する。この星から、狂気の夢を取り去るだけだ」


「一方的に利用しておきながら、扱いきれなくなれば『排除』か。……そんなことのために特務課を作り、アナザーを調べさせていたと?」


「人は、一足飛びで進化する必要など無かった」


 天下井は、初めて声を荒げた。叫ぶようなその言葉には、彼の抱えた苦悩が滲んでいる。本心では、天下井は東條アオイの消滅を望んでいない。


「人は、人のままで良い。……美しいままで。皆で、戻ろう。在りし日の我々に――」


 天下井は咳き込んで、胸を強く押さえた。彼の喉からは、明らかにこれまでとは違う異音がしている。


 向島は佐渡に銃を下げさせると、ドアの外で待機している天下井の秘書や医者を呼びに行かせた。


 佐渡は無言で指示に従ったが、彼は医者を呼んでも無駄だと分かっている。天下井には、もう生きる力が無いのだ。


 向島の視線の先で、天下井は満ち足りた表情を見せている。


 向島は天下井の元に医者が駆け付けるのを見届けてから、席を立った。


「……本当の名は?」


 部屋を出る直前、向島は天下井にそう尋ねた。彼は、「天下井」という名が偽名であることに気付いている。


 天下井は口の端で笑って、それから掠れた声を発した。小さな、唯の音。それは誰の耳にも人の名前としては認識されなかったが、向島は理解したことを示すように頷いて天下井に応えた。


 向島は、過去に戻ることを切望する天下井の表情を思う。そしてこの時、佐渡も同じことを考えていた。向島と佐渡。過去と決別した男と、過去を消された男。それぞれ立場は違っていたが、未来を見ているという点で彼らは同じだった。


「悪いが、俺は先へ進むぞ」


 そう言い残して、向島は部屋を後にした。その後ろには、彼を警護するために再び銃を手にした佐渡の姿がある。


 部屋を出る間際。依頼主の最期を悟って、佐渡は立ち止まった。そうして僅かに顔を傾けて天下井の姿を一瞥すると、佐渡はまた前を向く。彼に与えられた任務は、まだ完了していない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ