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ゲノム・レプリカ  作者: 伊都川ハヤト
TO BE (前編)

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345/408

5-5 楽園 ⑮

 *



 同日。同時刻。

 日本領海内に浮かぶ、巨大な客船の中。


(始まるのね――)


 窓の向こうで、遠くの空が赤く燃えている。黒い天幕を突き刺すように伸びる光の柱を目にして、アオイはその正体をアナザーだと理解した。


 世界の終わりを告げる様なその光を、アオイは虚しい思いで眺めている。光の柱の傍には、自分を作った親とも呼べる人間と、大切な家族が居るはずだ。彼らはやがて、自分の元に現れるだろう。天下井の言葉は、現実のものになろうとしている。


 時が来たことは、明白だった。ここから先は、過去から目を逸らさず未来を選択していかなくてはならない。


 抱えてきた悩みが熟しきれば、後は限られた選択肢の中から一つを選び取るしかなかった。なにがベストなのかと考えることさえ、今は馬鹿げたことだ。それがどんなものであっても、選択には責任が伴う。選んだ道を、ベストに変える他ない。


 アオイにとって、生きてきた時間は、生かされてきた時間でもあった。


 ルシエルによって与えられた命で人に触れ、数えきれない今日を重ねてきた目で未来を見て、人の優しさに縋った手で他人を拒み、無限に湧き出るような人間の悪意と愚かさの中で溺れ藻掻きながら生きてきた日々。


 消せない罪の上に成り立っていたとしても、それは確かに彼女が人間として生きてきた、生かされてきた大切な時間だった。 


 アオイは今、自分がそれを与える側になったことを理解している。そしてそれは、彼女の願いでもあった。生きてきた時間を、次の彼ら彼女らに繋ぐのだ。



  

 時を同じくして、桜見川区の路上にはキツネ――南城サクラの姿があった。就寝中に胸騒ぎを覚えた彼女は、それがアナザーによるものだと察して家を飛び出してきたのだ。


 ビルの屋上から屋上へと飛び移り、やがて目についた高層マンションの上まで移動すると、南城は悍ましい気配のする方へと顔を向けた。


 ゴクリと、唾を呑みこむ音が耳に響く。


 遥か遠くの空には、天を貫く光の柱。アナザーだ。誰の目にもハッキリと映る巨大なそれは、禍々しさと同時に侵し難い高貴さを放っている。


(あれが原因か。はたまた、全くの別か……)


 南城は、世間を騒がせている奇病のことを思い出していた。彼女はその原因をアナザーによるものと考えているが、そのアナザーが目視している光の柱と同一であるかは判断できない。


 目を凝らして眺めるうち、南城は、光の柱が僅かに揺らめいていることに気付いた。初め、彼女はそれを空気が振動しているだけだと考えていたが、やがて嫌な予感を覚える。


 柱が、移動している――。


 南城のその予想は、当たっていた。柱はジワジワと、彼女達が暮らす東京方面へ向かってきている。桜見川区への到達時間を予測することは困難だが、それがそう遠くないことだけは確かだ。


 情報は、殆ど無いに等しかった。過去に狩ってきたアナザーに比べて、目にしている柱は余りに巨大過ぎる。


 だが、それでも行かねばならないのだと、キツネは自分を鼓舞した。死期の迫っている彼女にとって、残された道は闘うことだけ。次の敗北は、死と同義だ。


 現状を変えることが出来るとするならば、それは、神に等しい力を手に入れる他なかった。そのためには、全ての核を手中に収める必要がある。あのインドラすら、打倒せねばならない。


 決意と共に、キツネは唇を噛み締めた。今はまだ遠く離れた地にあるとはいえ、あのアナザーを狩ることが出来なければ、いずれは間違いなく家族や友人、生徒や同僚にも被害が及ぶ。


 今、南城の脳裏には、倒さねばならない相手も、守りたい人々の顔も浮かんでいた。そしてその中には、彼女の思い人の他に、一匹の子猫とその飼い主の姿もある。


 不器用な家主と、やんちゃな子猫。彼らの住むボロ屋は、南城にとって、いつの間にか帰りたい場所に変わっていた。 


 *


 この時、空を見ていた者たちは、それぞれが様々な予感を覚えていた。それは「終わり」でもあり、「始まり」でもある。


 そしてこの予感を感じていたのは、人ばかりではない。消えた筈の亡霊もまた、空を見上げて不敵な笑みを浮かべているのだった。



 TO BE(前編) 完


ここまでご覧頂きありがとうございました。

「TO BE(後編)」は、近日アップ予定です。(ちょっとお休みします)


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