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ゲノム・レプリカ  作者: 伊都川ハヤト
TO BE (前編)

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5-5 楽園 ⑩

 *



 施設の廊下を、ヒカルはプールのある部屋へと急いでいた。二人で温水を楽しんだのはいいが、当然の事ながら着替えとタオルが無かったのだ。一足先にプールを出たヒカルが着替えを取りに戻ったのだが、彼は直ぐにそれを後悔していた。


 ヒカルは、リリカの身を案じている。彼はつい深く考えずにリリカを一人にしてしまったが、ここには中林がいるのだ。あれ以来、中林は二人の前に姿を見せていないが、だからといって彼がこの施設を去った訳ではない。


 ヒカルが部屋に飛び込むと、リリカはプールの縁に腰を下ろして、片脚で水面をパシャパシャと波立たせて遊んでいた。彼女はヒカルが帰ってきたことに気付くと、慌てて両腕で体の前を隠す。


「あ、ごめ……。ここ、置くね」


 ヒカルは出来るだけ見ないように務めながら、リリカの手が届く場所に着替えとタオル代わりのシーツを置く。彼は最後の最後に薄目を開けてしまったが、角度が悪かったために何も見えずに終わった。


「ワンピースだ! すっごくシンプル~。好きかも」


 ヒカルが探してきた着替えは、足元まで届く白のワンピースだった。ヒカルはその服に、覚えがある。


「これ、あのお兄さんの服……じゃないよね?」


「違うよ。あの人たちは、スーツとか白衣だった」


 リリカの冗談に、ヒカルは無意識に反応していた。不意に込み上げた懐かしさが、彼の口を軽くしている。


「僕たちは、みんなそれを着てたんだ。男の子も女の子もなくてさ。……アオ姉も」


 ヒカルは、かつてのアオイの姿を今のリリカに重ねている。リリカの日本人離れした髪の色は、本来のアオイの髪によく似ていた。


 リリカは着替えを終えると、ヒカルの隣に腰を下ろして彼の腕に抱きついた。


 ヒカルはプールでの光景を思い出してドキリとしたが、気に留めていないような表情を作ってみせる。ただ彼には、顔を合わせる余裕はなかった。


「今、『どんな服でも、リリカは可愛いな~』って思ったでしょ?」


「……思ったよ」


「そう? 本当?」


 フフフと、リリカは照れて笑った。


「みんなに自慢したいくらい? 世界で一番カワイイ?」


「なんだよ、急に」 


「だって、そういうこと言ったりしないじゃない」


「別に。……いいじゃんか。そんなの」


「そんなのって、どういう意味?」


「それは……。だから……」


 言葉が足りなかったと、ヒカルは慌ててリリカの方へ顔を向けた。


 リリカは怒ったふりをしていただけで、焦っているヒカルに笑顔を向けている。


「……揶揄うなよ」


「だって、こっち見てくれないんだもん」


 見ないのではなく、気恥ずかしくて見られなかったのだ。そう説明しようとしたが、ヒカルにはそれが出来なかった。意識してしまっていることや、余裕がないことを知られることが、彼にはとても恥ずかしく思えている。


 しばらくして、リリカがボソリと呟いた。


「ねえ、ヒカル。あの……あのね。……家、帰りたいね」


 リリカの言葉は本心だが、本当に言いたいことは他にあった。頭では別のことを考えていても、今はそれを口にする勇気がない。


「体のことがあるから、直ぐには無理だって分かってるの。でも、ネックレスだけでも取りに行きたくて」


 リリカが言っているのは、クリスマスの日にヒカルが贈ったプレゼントのことだ。小さなダイヤが付いたそれを、彼女は気に入って大事にしている。あの東京第二タワーの事件があった日は、偶々ジュエリーケースにしまっていたのだ。


 リリカが急にネックレスの話を持ち出したことに、ヒカルは違和感を覚えている。家に帰りたいのも、ネックレスを取りに行きたいことも、間違いなく本音だろう。だがヒカルは、リリカが他に言いたい言葉を隠しているように思った。


 ヒカルはリリカの言葉を聞いて、彼女に話さなくてはならないことを思い出す。それは彼女の体に埋め込まれた核のことだったり、彼の体のことでもあった。


 話したいことがあると言って、それからヒカルはゴクリと唾を飲み込んだ。話すべきことは分かっているのに、最初の一言が出てこない。


「人間じゃないんだ、僕」


 色々迷った末、ヒカルの口から出たのはシンプルなその一言だった。


「うん。私もなんでしょ?」


 あっけらかんとした一言。ヒカルは、耳を疑う。


「いや、リリカは」


「違うの? ……じゃあ、私は? 化物?」


「違うよ!」


「アナザーになるんじゃないの?」


 目を合わせて、ヒカルはリリカの言葉が冗談ではないことを悟った。リリカは、自分の身に起きている変化に気付いている。嘘や気休めは、不要だ。


「……可能性はある。だけど、なるかどうかは分からないんだ」


 それからヒカルは、自分がどういう存在なのかを中林から聞いた通りに話した。その上で彼は、リリカの体の中には「彼女」と呼ばれる存在の一部である核が取り込まれているのだと話す。


「ずっと、黙っててごめん」


 そう言って、ヒカルはシャツを脱いだ。胸に貼り付けているラテックス製のテープを剥がすと、ヒカルはその下にある傷をリリカに見せた。


「これが、僕が心臓を貰った時の……。いつも、この肌色のテープを貼って誤魔化してたんだ」


 リリカは、ヒカルの胸を見た後、彼の顔を見つめた。真剣なその視線は、何かを伝えようとしているようにも見えた。


 ヒカルはリリカに頷いて応えると、言葉を続ける。自分が一体どういう存在で、どういった経緯でハンターになったのか。そして、アオイとの本当の関係を――。


 リリカはヒカルの話が終わるまで黙って耳を傾けていて、その表情は普段となにも変わりがなかった。


 そうして、ヒカルが全てを話し終えた後。リリカはヒカルの腕から体を離して、今度は正面から彼に抱きついた。


「大丈夫よ。ヒカル。……私がアナザーになっても、ヒカルが退治してくれるんでしょ?」


 ヒカルはその言葉を耳にした時、反射的にリリカの体を強く抱き返していた。


「……そんなこと言うなよ……」


 ヒカルは、喉から声を絞り出す。彼の両肩は、小刻みに震えている。


 リリカはヒカルの肩越しに部屋の照明を見上げて、眩しさの為に強く目を閉じた。


「……もう! そんなに暗い顔しないでよね。……人間じゃなくったって、私、ヒカルが好き」


 耳元でそう言って、照れ隠しするように、リリカは直ぐに「ヒカルもそうでしょ?」と付け足した。


 ヒカルは小さな声で答えを返して、二人の体が離れないように腕に力を込めている。


 リリカが苦しいと言って腕を抜け出そうとしても、ヒカルは力を緩めはしたが、それでも彼女を離そうとはしない。震える声で、指先で、何度も好きだと伝え合う。


 しばらくの間、二人はそうして時間を過ごしていた。


 そしてそれは二人にとっての、最後の平和な夜だった。

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