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ゲノム・レプリカ  作者: 伊都川ハヤト
TO BE (前編)

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5-5 楽園 ⑨

 * 



 同日。十五時半頃。


「だから、お前ら……」


 何を言っても無駄だと分かっているはずなのに、佐渡の口からは小言が突いて出る。転院したというのに、病室の光景は何も変わっていない。


 佐渡の顔を見て、部屋の中にいた男たちは笑顔を返した。唯一人、城ヶ島を除いて。


 城ヶ島はスマートフォンを胸の高さで握り締めて、物憂げな顔を窓の外に向けている。彼の視線の先には、冬枯れの木立があった。春が近いとはいえ、芽吹くのはまだ先だろう。


 先週末の雪予報は外れ、季節を先取りするような暖かさと、冬を引き摺るような寒さとが一日の中で交互にやってきている。勘のよい者は、そこから変化を読み取っていた。世界中で起きている混乱は、もう随分と昔から気候にも影響を与えているのだ。


 だが城ヶ島は、そちら側の人間ではなかった。彼はただ、寂しげな木々の姿に自身の心を重ね合わせているだけだ。


 窓ガラスに映る城ヶ島の表情を見て、佐渡は直ぐに原因を察する。そしてその原因である能登は、城ヶ島のベッドのすぐ脇で、鼻歌交じりにリンゴの皮を剥いていた。


「まあ……あれだ、妹離れするチャンスだな」


 佐渡は城ヶ島の方を見ずに、視線を他所へ向けたまま彼の肩をポンと叩く。城ヶ島が溺愛している妹は能登に一目惚れし、あれ以来、彼女から兄への連絡は能登という人物についての質問ばかりになってしまった。


 城ヶ島は、能登を本当の弟のように可愛がっている。だが、これに関しては、流石に胸中は複雑だ。いくら可愛い妹のためとはいえ、出来ないこともある。


 佐渡は二人から離れると、部屋の隅に居る国後のもとへ向かった。彼は相変わらずビニールカーテンで区切られた空間に閉じ込められていたが、病院を移ってからは、多少快適な広さを得ている。


「そろそろ、いいんじゃねぇのか?」


「だよね? 佐渡君からも言ってよ。怖いんだよ! 変な病気流行ってるから、本当は面会だってダメだってさ!」


 国後はドアの方を指さしている。誰も居ないのだが、国後には近付いてくる足音が耳にこびり付いているらしい。


 国後が恐れているのは、婦長だ。


 五十代と思われる婦長は、小太りで眉間に深い皴の刻まれた浅黒い顔をしている。彼女は忍者のように無音で背後に立っていることもあれば、身の丈からは想像も出来ないような大声で周囲を驚かせたり、大柄な男性患者をベッドからヒョイと動かすこともあった。


 さらに婦長は、ギロリと睨みつけただけで周囲のスタッフを自分の手足のように動かしてしまう。まるで、魔法のように。特務課のメンバーは、そんな婦長に目を付けられたのだ。


「普通さ、こういう時って、政府お抱え~みたいな施設に移動じゃないの?」


「ここじゃねぇか」


「嘘だ! じゃあ、あのオバサンなにさ? あの人、他にもあの態度貫いてるワケ? 政治家とかに? なんだよ、それ。漢じゃんね?」


「このフロアは、ほぼ貸し切り。対応するスタッフも限られてる。文句言うな」


「言いたかないけど……」


「で、どうだ? 暴君の方は?」


「え? ああ、向島君のこと?」


 佐渡は、なにか聞き間違いをしたのだと自分に言い聞かせた。


「……向島『さん』じゃなかったか?」


「それが実はさ、学年だと一緒なんだよ。あとほら、話してみたら、普通にいい人。今も一緒に遊んでる」


 国後は佐渡にパソコンの画面を見せようとしたが、彼は見ることを拒否した。佐渡はテレビゲームに興味もなければ、自分には一生縁のないものだと割り切っている。


 向島と国後が打ち解けることは想定になかったが、二人はそれなりに良い関係を築きつつあるようだ。それは佐渡にとって、良い流れも悪い流れも運んでいる。自分の予期せぬところで、情報が漏れる可能性があるためだ。


 さらに佐渡は、国後が淡路のことを諦めたとは思えなかった。彼は淡路がインドラに殺されたのだと思い込んでいて、その説を裏付ける証拠を探している。時間を奪うという意味では、国後に向島の相手をさせることは最適解だろう。


 佐渡は顔を上げて、ぐるりと室内を見渡した。ベッドが四つ入る室内に、男たちが三人。


 佐渡は、そっと息を吐き出す。


 佐渡はまだ、組織を裏切ってはいない。彼と向島が交わした会話についても、他所へ漏れたような事実は確認できなかった。しかし、この幸運が続くとは限らない。


「……え、なんで? もう行くの?」


 ドアに向かっていく佐渡に、国後が声を掛ける。彼の声を聞いて、能登と城ヶ島も佐渡の方へ顔を向けた。


「忙しいんでな。ま、元気そうでなにより」


 ひらひらと手を振って、佐渡は振り返らずに部屋を後にする。


 何時までも幸運が続くとは限らない。佐渡は、その言葉を戒めのように心の中で繰り返した。


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