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ゲノム・レプリカ  作者: 伊都川ハヤト
TO BE (前編)

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5-4 「病」(someone might call it family) ⑩

 *



 同日。深夜。


 東條アオイの身柄について予定通り移送中であることの報告を受けながら、佐渡は口の端に咥えたタバコを持て余していた。ライターを切らしてしまい、シガーソケットはコンセントに変換してスマートフォンの充電に使用中で、火をつける手段がない。


 道は、週末にしては流れていた。だが、所々で第二東京タワー周辺の道路封鎖の影響を受けて、迂回を余儀なくされている。


 流れていく幾つものテールランプは、佐渡を不思議と懐かしい気持ちにさせた。夜の高速を流れる明かりは、それぞれが本来の戻るべき場所へ向かっているようだ。それは幼少期の体験が基になっていたが、佐渡は既にその記憶を思い出すことが出来なくなっていた。


(まるで三文小説だ)


 佐渡の下に集まる情報は、東條アオイを中心として、まるで誰かの夢物語を思わせるようなものばかり。そのために佐渡は、今初めて、彼の所属する組織への報告を躊躇っている。


 夢を見ているのではないかと思うことが、度々あった。そうであれば良いと思うことも、同じだけある。だがこれが夢ではなく現実なのだということは、佐渡には嫌という程に理解出来ていた。


 東條アオイの向島タカネへの打ち明け話は、真実である可能性が高い。声の抑揚や視線の動きなどから、彼女が嘘を吐いているようには思えず、相手を欺こうとする様子もなかった。向島が彼女の話を信じたのも、同じ理由ではないだろうか。


 なにより佐渡は、アオイが人間ではない決定的な証拠を得ている。


 東條アオイは、第二東京タワーの崩壊現場から無傷で生還した。唯一つの、擦り傷すらなく――。


(奴は、どこまで知っていた……?)


 佐渡の脳裏には、淡路の顔が浮かんでいる。


 佐渡は、淡路がいつどのルートで天下井の元へやって来たのか知らない。知る手段がないのだ。


 本来であれば――佐渡の知らされている情報が全て真実だと仮定するならば――彼らのような存在は、同時期に同じ場所で複数人が存在することは在り得ないはずだった。その思い込みが、淡路という存在にフィルターをかけていたのかもしれない。


 そもそも淡路の加入はイレギュラーで、彼の入社時、佐渡はアオイと天下井の双方から身辺調査を依頼されている。アオイはともかく、天下井が雇い主であれば、彼が淡路の調査を依頼することは考えにくい。


 仮にそれが佐渡の能力を試す目的で行われたのだとしたら、今頃、彼はこの任務を下ろされている。淡路への疑いを避ける目的で敢えて調査させた可能性もあるが、そこまでのリスクを負ってまで雇い入れる理由などあるのだろうか。


 そう考えて、佐渡は、天下井も当初は淡路の正体に気付いていなかったのだと考えた。つまり、雇い入れられた後に淡路から天下井に接触し、組織を通さずに何らかの仕事を得た可能性がある。それが事実ならば、淡路は相当危険な橋を渡っていたことになるのだが。


(奴は、なにを調べていた? 何の目的で……?)


 考えるうち、佐渡は目の奥に強い痛みを覚えて舌打ちした。ストレスからか、眼精疲労からか、ここ数日は頭痛が酷い。肩や首にも痛みがあることを思い出して、佐渡は自分が急に老け込んだような嫌な気持ちになった。


 不意に、耳に飛び込む短い振動音。チャットの通知だ。佐渡がチラリと横目で確認すると、相手は向島だった。


 心に溜まった憂鬱な思いを吐き出すようにして、佐渡は大げさに溜息を漏らす。東條アオイの移送が向島の機嫌を損ねることは承知の上だったが、彼は佐渡の予想を遥かに超える面倒な男だった。


 向島は東條アオイが姿を消した後から、佐渡への嫌がらせとしか思えない行動を繰り返している。普段の向島からは考えられないようなその行動は、アオイを無断で連れ出されたという事実が、如何に大きなショックを彼に与えたのか物語っているようだった。


 割に合わない仕事だと、佐渡は呟く。そもそも、割に合う、合わないで選べる仕事でもないのだが。


 佐渡は自分の人生を呪って溜息を漏らすと、それから今度は片手でスマートフォンの画面に触れて、とある人物への通話を試みた。


 深夜にもかかわらず、相手は存外に早く佐渡からの着信に反応する。まるで、連絡を待ち構えていたかのようなタイミングだ。


「――俺だ。……そうだ。悪いが、お前にしか出来ない仕事だ」


 それから佐渡は、三十分かからずに到着すると相手に告げた。相手の返答は待たずに電話を切ると、佐渡は高速の出口へと向かう。


(奴は……俺は、何のために……)


 組織へ報告をするべきか否かを、佐渡は自分に問いかけた。そんなことは馬鹿げていて、本来ならば迷う必要も理由もない。判断をするのは組織で、自分は疑問を抱くことなど許されないのだ。


 それを理解していてなお、佐渡は揺れていた。タバコを咥えた口元には、いつの間にか微笑を浮かべている。しかし彼は、その事実に気付いていなかった。

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