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ゲノム・レプリカ  作者: 伊都川ハヤト
TO BE (前編)

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329/408

5-4 「病」(someone might call it family) ⑨

 *



 同日。

 時刻不明。


 合図を受けて、アオイは目隠しをそっと外した。彼女の予想通り、照明は落とされている。ガランとした空間の中心に置かれた椅子の上で、アオイは次の指示を待った。


 佐渡の指示で向島の家を出て、アオイは幾人かの案内人と数台の車を乗り継いで此処までやってきていた。途中、手は拘束され、視界は常に覆われたまま。


 アオイは、向島と顔を合わせずに家を出ることになった。しかし彼女は、佐渡の態度から、向島の安全は保障されていることを確信している。それは向島自身が重要人物であること以外にも、別の意味を持っていた。


 佐渡は、気付いているのだ。東條アオイは、人間ではないと。彼女の意に背くことは全てを崩壊に導くことと同義で、そして彼女は、禍々しいその力を押し留めておくだけの強い精神力を持たないということも。


 家族や友人や部下。多くの人の顔。互いに投げかけ合った幾つもの言葉。大切なそれらを思い出しながら、アオイは暗闇の中で無音の時を過ごし続けた。



 そうして、その時が訪れた。


 突如として、前方から光が現れる。それは窓を覆っていたブラインドが上がっただけだと気付くまでに、アオイはそれ程の時間を必要とはしなかった。窓の外は夜で、細く尖った月が薄らと世界を照らしている。その僅かな明かりすら、今は眩しく思えるほどだ。


 窓の傍には、天下井が背を向けて椅子に腰かけていた。数メートル先にいる彼の背中は、普段よりもずっと小さく弱々しく見えている。


「近頃は、伏せってばかりだ。この老いぼれは、いずれ動かなくなる」


 天下井は、小さく咳を繰り返している。


 アオイは彼の口調や声に、違和感を覚えた。天下井とは第二東京タワーの事件の前にも会話しているが、あれから何十年も経ってしまったかのように彼の声は衰えている。


「東條。……君の仕事を?」


 天下井は、その問いかけに答えを求めていない。それを察して、アオイは無言で前方の小さな背中を眺める。これから先、此処で行われるのは対話ではない。天下井から発せられるのは、一方的な要求でしかないのだ。


「話がしたい。未来について。それから、君の大切な家族について」


「弟は、何処にいますか?」


「捕捉出来ている。君にも分かっているはずだ」


 アオイはヒカルがルシエルと共にいることを予想していたが、それは確信に変わった。天下井は何らかの手段で、ヒカルの動向を追っている。それは、佐渡のような立場の人間を使っているのかもしれない。


 アオイは天下井の口調から、彼がルシエルの存在についても把握しているのだと理解した。


 天下井は、アオイが本物の東條アオイの人生を奪ったことを知っている。彼はそれを理由に、アオイを特務課に縛り続けてきた。だが、天下井がアオイの正体について言及したことは、過去に一度として無い。互いに確信には触れぬまま、むしろ、それを望んでいるようですらあった。


「先日の一件で、アナザー達が集りつつある。彼らも、気付いたのだろう。求めるものが、何処にあるのか」


 天下井の言葉は、アオイのことだけでなくインドラのことも指している。インドラによる二度の雷は、アオイが能力を解放させたことと同様に、そこに強大な核が存在することをアピールすることにも繋がっていた。


「散り散りになっていた核が、再び集まろうとしている」


「私を隔離されるのですか。可能な限り、影響の及ばない場所に」


「命には、代えられない。人間の」


 天下井の口ぶりは、核の正体についても、アオイの生まれの秘密についても知っていることを示唆していた。


 天下井は、アオイを直ぐに隔離場所へ移動させると告げる。


「……家族のことを、約束していただけますか?」


 交渉できる立場にないことは分かっていて、アオイはその言葉を口にした。


 天下井は、小さく咳をする。それから彼は、アオイを傍に呼んだ。


 処刑台に上る罪人のような気持ちで、アオイは一歩一歩、天下井に近付いていく。


 天下井は、そんなアオイを冷淡な横顔で迎え入れた。目を保護するために欠かさず身に付けている眼鏡は、今日は彼の胸ポケットに収められている。アオイは傍で天下井の素顔を見て、そこで初めて、彼の片目が義眼であることを知った。


「それが在るが故に自由にはなれず、それが在るが為に救われる。どうにもならない感情を生み出すための『場』。人間は、そうして生まれた形の無いものを、『愛』などと呼んで崇拝してきた訳だ。……そうして君も、それを得た」


 アオイは、天下井が「家族」について話しているのだと考えた。


 天下井の目は窓の外へ向けられたままで、彼は景色の向こうにかつての自分の姿を見ている。


「欲しいものが手に入らないと分かった時、人には選択肢がある。諦めるか、手に入るまで追い続けるか、だ。……私は、後者だった。それは、当然に正しい事だと思い込んでいた」


 天下井の隣に立って、アオイは彼の表情を眺めている。天下井はアオイに未来の話をすると言ったが、彼の目は過去を見ていた。


「君は、人になってしまえば良かった」


 天下井が突然放ったその言葉は、アオイの胸に深く刺さった。誰よりもそれを望んでいるのは、他ならぬアオイ自身だ。


「少量の血液を取り込んだ程度では、君には成れない。『彼女』の力を得ることは出来ない。もっと深い、より密な接触が必要だ。彼も、そんなことには気付いている」


 天下井は喉の痞えを取ろうと数回咳払いして、それから深く息を吐いた。疲れ切った天下井の様子は、彼が抱えている病の重さを思わせる。


「あなたは、ルシエルのことを……」


「――だから、君は人になるべきだった。愛し愛され、子を為し、いずれ訪れる『死』に憧れを抱き続けていれば良かった」


 私のように――天下井は、そう付け足した。彼は自分の死期を悟っていて、それを待ち望んでいる。


「話をしよう。君の大切な、家族の話を。君の弟は、いずれ君の敵としてこの街に戻ってくる。それは、遠い未来の話ではない」


「私の敵……」


「君は、決断をしなくてはならない。間違えることの許されない決断だ」


 口早にそういった後、天下井は堪えきれずに酷く咳き込んだ。彼は差し伸べようとしたアオイの手を軽く払うと、大丈夫だと伝えるように、何度も頷いて見せる。


「……恐らく、これが最後になるだろう」


 天下井はそう言うと、アオイに顔をよく見せて欲しいと伝える。


 アオイは言われるがまま、天下井に顔を寄せた。


 天下井は懐かしむような、なにか惜しむような様子でアオイの顔をまじまじと眺めて、やがて口の端に小さな笑みを溢した。それは、アオイが始めて見る彼の笑顔でもあった。


 不意に、天下井の顔に別の誰かの目元が重なったように思って、アオイはその面影を追う。古い記憶の中に僅かに覚えていたそれは、白衣を身に纏った男の姿だった。


「……あなたも昔、あの場所に居たのですね」


 アオイの言葉に、天下井は頷きも返事もしなかった。ただ彼の目だけが、アオイに真実を告げていた。


 天下井が合図すると部屋の後方の扉が開き、数人の男たちがゾロゾロと現れる。彼らはアオイを移動させるために、この場に呼ばれたのだった。


「どんな場所でも、どんな姿でもいい。……生きて欲しい。愚かな我々を、君が裁いてくれ。……イリス」


 目隠しをされる間際、アオイは確かに、天下井が自分にそう呼びかけるのを聞いた。アオイは天下井に幾つか尋ねようとしたが、彼女に質問は許されず、男たちの手によって部屋から退出させられてしまう。


 そうして天下井の言葉通り、彼らが再び顔を合わせることはなかった。

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