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ゲノム・レプリカ  作者: 伊都川ハヤト
TO BE (前編)

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321/408

5-4 「病」(someone might call it family) ①

 四、「病」(someone might call it family)


 二〇×二年 二月 二十四日 木曜日


「君は、ここで生まれた」


 中林の言葉を耳にしても、ヒカルには驚きも感慨もない。


 無機質な壁と床に四方を囲まれた、質素な部屋。天井には照明器具を取り付ける為の跡が残っているが、実際にそこに照明が取り付けられた様子はない。


 部屋の中には様々な器具が並べられていたが、それらは埃のために白んで見え、放置された時間の長さを思わせた。家電量販店に並ぶ大量の洗濯機や冷蔵庫のように、ただ置かれているだけで、何もかも使用感がない。


 中林は部屋の奥に設置された小さな冷凍庫を無造作に開いて、空っぽの中身をヒカルに見せる。ポッカリと空いた冷凍庫からは、新品のプラスチックと埃を混ぜたような不快な臭いがするようだった。


 ヒカルは冷凍庫を見て、そして部屋の中を見回して、中林の言わんとする言葉を理解する。中林の言う「ここ」とは、実際にこの場所を意味したものではなかった。中林は、ヒカルが実験室で作られた存在だということを伝えたいのだ。


「試験官とシャーレが詰まった冷凍庫。それは、私にとっては夢の詰まった箱だった」


 部屋の中央に置かれた台の周りを歩きながら、中林は床や天井を見回している。彼の目には、今ここに思い出の中の実験室が重なって見えていた。


「ああ。なにから話そうか。なにから……」


 そうは言いながらも、中林の脳裏には一人の少女の姿しか浮かんでいなかった。


「イリス。君の姉、『東條アオイ』のことだ」


 アオイの名を耳にして、ヒカルの肩がピクリと動く。


 中林は、それを見逃してはいなかった。


「結論から言おう。君の姉は、私の作品だ。あの探査機が宇宙から持ち帰った、『彼女』を模して作った三体のうちの一つ。それが、イリス。それが、『東條アオイ』だ」


 中林は部屋の隅に置かれていた埃だらけの椅子をズリズリと引き摺ってくると、中央に置かれた台を挟んでヒカルの正面に腰を下ろした。


「アリス。エヴァ。イリス。……私は、私の娘たちが生まれた日のことを。そして目を開けて、声を発した日のことを、決して忘れることはないだろう」


 中林が白衣の内側に手を入れたので、一瞬、ヒカルは無意識に体を強張らせた。攻撃に備えたのだ。


 だが中林が白衣の内側から取り出したのは、薄くペラペラと平たいゴム製の輪っかだった。三つあるそれはとても小さく、簡単に引きちぎれそうだ。


 見たことも、その機会もないヒカルには分からないことだったが、中林の持つそれは新生児の手首や足首に巻かれる識別用のタイだった。そこには日付と名前が書かれていたが、それらは既に掠れて消えかかっている。


 中林のいう三人の少女たちは、皆が同じ顔、全く同じ体を持っていた。そのために識別の為の目印を必要としていたのだが、安易に体に刻み込まなかったのは、中林が彼女たちを自分の子どものように愛していたからだ。


 ただ、残念なことに、目印は直ぐに不要となった。


「満足に成長したのは、イリスだけだ。その成長速度は、ヒトのそれとは異なっていたが。イリスを得て、我々はイヴ計画を直ぐに次の段階へと移行させた」


 中林の言うそれは、ヒカルにも聞き覚えがあった。彼は、淡路が「イヴ計画」「エコール計画」そして名称の分からない「第三の計画」について口にしていたことを忘れていない。


 中林は椅子の上で体を弓なりに反らせると、首をぐるりと回して、それから喉の渇きを訴えた。彼はお茶でも飲みながら話を続けたいと思っていたが、ヒカルの表情は全くそれを許そうとしていなかったので、仕方なく二人は同じ恰好のまま話を続ける。


 中林は話を先へ進める前に、ヒカルに「彼女」と呼ばれるモノについて簡単に説明をした。それによれば「彼女」とは、元は小指の爪の先に乗るほどの小さな生命体であるという。


 さらに中林が言うことには、探査機が採取した岩石に紛れてやって来た「彼女」は、カプセルを飛び出すなり人間そっくりに姿や大きさを変えてみせたという。自ら観測者を名乗る超高次元の生命体。それが、「彼女」なのだと。


「当初、私はイリスに子どもを産ませることを考えていたが、彼女の生殖機能は不完全だった。ヒトと同じようには機能しないのだ」


 中林の言葉で、ヒカルは殆ど空になった腹から胃液が込み上げてくるのを覚えた。中林の言うそれは、ただ不快だ。


「幸い、協力者は多かった。被検体も。……私は『彼女』に似せて遺伝子編集を行い、そうして幾人かの子どもと、彼らを育てるための施設を造った。それが、エコール」


 中林は両手を広げて、この場所だと示している。


 ヒカルは吐き気を堪えることに必死で、誇るような中林の表情を殆ど見ていない。


「つまり、その子どもが僕ですか」


 ヒカルは込み上げてくるものを何度も飲み込みながら、吐き捨てるように言った。作られた存在だと告げられた時から予想は出来ていたが、やはり真っ当なものでないことは明らかだ。


「ヒカル。君は、もっと自分を誇るべきだ。半数があっと言う間に死んでしまったというのに、君は立派に成長し、今でもこうして私の前にある。選ばれたのだ、君は」


 中林の言葉はズレていて、ヒカルの胸にはなにも響かない。いっそのこと声が届かなければ幸せだったが、なにも聞きたくないというヒカルの願いは、饒舌な中林の前では叶いそうにもなかった。


「私は君たちのような、新たな……云わば、ネオ・ヒューマンとも呼べる存在を作成したが、それらが結果を示すには時間が必要だった。生まれてきた子どもたちの成長速度は人と変わらず、その上、能力値には個体差が見られたからだ」


 ヒカルは中林の口から安っぽいSF映画のような単語が出てきたことよりも、彼の倫理観が狂っていることを嫌悪していた。


 中林はヒカルの顔つきがより険しくなったことに気付いたが、その原因が自分にあるとは思わず、構わずに話を続ける。


「皆、それぞれ異なる能力を持っていた。その中でも、君は飛び切り素晴らしい。スペシャルだ。肉体の強さは、シンプルでありながら最も重要な要素だからな」


 中林の言葉で、ヒカルはスーツのことを思い出す。それは、ヒカルがハンターとしてアナザーを狩る度に、中林が核を使って修復、強化し続けていたスーツのことだ。


「あのスーツに、本当は、意味なんて無かったんですか? 集めていた核は?」


「まさか!」


 中林は目を見開いて、ヒカルの言葉を否定した。


「あれは、君の体を守っていただろう? 熱や、冷気や、毒や、斬撃や……」


 ヒカルには、途中から中林の言葉が聞こえなくなった。第二東京タワーでの闘いの中で気付いていたことだが、やはり、アナザーを倒してきた力はスーツではなく自分自身のものだったのだ。


 中林は集めてきた核の行方については語らず、彼のスーツが如何にヒカルの身を守ってきたかを優々と語っている。


「……だめだ。結局、なにが言いたいのか分からない」


 その言葉は、自然とヒカルの口を衝いて出た。


「目的はなんですか? 僕やアオ姉を作ったというのが本当だとして、その目的は?」


 疑いを残しているような言い方をしていても、ヒカルはもう、自分の出生について疑うことなく受け入れていた。自分がただの人間でないことは分かっていて、驚きも疑いもし尽くした後だ。


「我々人類が、より高みを目指すため」


「そういうのは、もう沢山だ!」


 ヒカルは、目の前にある台を思い切り左拳で殴りつけた。


 対峙する二人の間を隔てていた台の上部が、大きく凹む。そこには蜘蛛の巣のように亀裂が四方に走り、衝撃で床が揺れ、天井からは埃が舞った。


「揶揄っている訳でも、誤魔化している訳でもない。考えてくれ、ヒカル。思い出してくれ、人類の歴史を。なにもかもが唯の繰り返しに過ぎない、残酷な今を」


 中林は、ヒカルから目を逸らさずに言葉を続けた。


「人類は長い歴史の中で、知恵と勇気と信念を積み重ね、挑戦を繰り返すことで此処までやって来た。……そんな到達点が、こんなものであってたまるか! なんだ、この狂った世界は! 血塗れた、汚れた世界は!」


 中林は椅子から荒々しく立ち上がると、衝動を抑えきれない様子で両拳を振り上げ、目の前の台を二度叩いた。


「人々の生活を豊かにする技術も、元は人の命を奪う為のもの……。嫉妬や傲慢、怒りや憎しみばかり。こんな負の感情が渦巻くこの世界の現状に、どうして満足出来ようか!」


 中林は深く刻みつけられた亀裂を睨みつけながら、真っ暗なその先に、見えるはずのない光を追っている。彼は興奮で体を震わせながら、光が集まり、増幅していく幻を見た。


「優秀な遺伝子を持つ人間を作って、それを増やす? それが……そんなことが目的ですか?」


 ヒカルの一言で、中林はピタリと動きを止めた。


「遺伝子が優秀な人間は、過ちを犯さない? ……そんな訳がない。誰だって、みんな同じだ」


「そうだ。だが、賢人は、過ちから正しきを導くことが出来る。賢人は、学ぶことが出来る。それでも! 正しき道に愚者を連れ歩いたところで、何になる? 同じことを繰り返すだけだ!」


「違う。仮に遺伝子が優秀な人間と今の人類をそっくり入れ替えたところで、また同じことが起きるだけだ。あなたの言う、賢人と愚者とを分ける線が、少し位置を変える位だ」


「ヒカル。君には、私の……!」


「いい加減にしてくれっ!」


 ヒカルの拳によって、二人の間を遮っていた台は砕けた。それは音を立てて足元に崩れ、辺りには舞い上がった砂埃が煙のように立ち込めている。


 やがて、互いの顔がハッキリと見えるようになってから、ヒカルは口を開いた。


「あなたは、僕にワザと言わせてるんだ。……そんなことくらい、僕にだって分かります。あなたは……先生は、何を考えているんですか?」


 ヒカルの目の端には、僅かに涙が光っている。それは限界に達した疲労が、彼の体にSOS信号を出させた結果のものだった。今のヒカルに必要なことは中林との議論ではなく、完全にストレスから解放された上で休息を取ることだけだ。


 ヒカルと向き合って、中林は微笑んだ。彼は今、体全体が満たされるような充実した気持ちでいる。


「簡単なことだ。ヒカル。世界には、愛が必要なんだよ」


 中林は、狂っている――。


 それを思いながら、ヒカルは自分も同じなのではないかと考え始めていた。こんなことが、現実に起きる筈がない。全てはベッドの上の出来事で、自分は事故にあったあの日から長い夢を見ているだけなのではないか、と。


 ヒカルは無意識に、シャツの胸元を掴む。目の前の全てが夢でないのなら、そこには大きな傷跡と中林によって埋め込まれた人工心臓があるはずだった。



――「あなたは……『彼女』を、ヒカルに埋め込んだのね……?」



 脳裏には、アオイの言葉が蘇る。姉の表情を思い出そうとしても、それは何故か叶わない。心が、それを拒絶している。


「あなたは……『彼女』の何を、僕に埋め込んだんですか……?」


 ヒカルは敢えて、そう尋ねた。


 中林は、胸に手を当てて答える。ハートだ、と。


「最初から、ずっと同じだ。最初から最後まで。これは、愛の話なんだよ」


 中林は、微笑んでいた。

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