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ゲノム・レプリカ  作者: 伊都川ハヤト
TO BE (前編)

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5-3 「疑」、或いは「欺」 ⑥

 *

 


 昼休憩のために職員室を出た上川を追いかけて、南城は彼に声を掛けた。振り向いた上川の表情は、大分老け込んで見えている。数日前から学内で起きている幾つかの事件のうち、実に二件が彼のクラスで起きているのだ。無理もないと、南城は上川に同情する。


 上川は南城に頭を下げて応えると、側頭部をポリポリと掻いて、それから彼女と連れだって食堂へ向かった。


 食堂は、営業していなかった。ガランとした室内に他に人はなく、時折、自販機が小さくジーっと音を立てている。


「こんなことは、初めてですよ……」


 崩れるように椅子に腰を下ろして、上川はポツリと呟いた。定年間際の彼は、皺くちゃの手で何度も顔を拭っている。


 南城は上川の前に座って彼の表情を眺めながら、はやる気持ちを抑えようと必死に手を握り締めていた。尋ねたいことは幾らでもあったが、目の前の疲労困憊した老人を責め立てる訳にもいかない。


 暫く空を見つめて、それから上川は東條ヒカルの話をした。


「えー、彼は、お姉さんと二人暮らしでね。それで今……えー、連絡が取れなくて。お姉さん、ちょっと変わった……大変なお仕事だもんだから」


 上川はアオイの仕事内容を濁したが、南城はそれを知っていた。彼女は、今は余計な混乱を避けるために、東條アオイと知り合いであることは口にしなかった。


「親戚の家に、身を寄せているのでは?」


 南城が尋ねると、上川は首を少し傾けて苦い顔を見せた。


「えー、ご親族はね……その、彼には……。地震の……」


 上川はまた言葉を濁したが、南城にはその先が伝わっていた。十年以上前のあの大地震によって、東條家は二人きりになってしまったのだ。


 アオイから聞かされていなかった彼女の事実を知って、南城は胸を痛めた。両親が居ないことは知っていたが、他に頼る親族が居ないとは思っていなかったのだ。アオイが弟を育てるために、たった一人で必死になってきたことを思うと、南城には言葉もなかった。


「マンションまで行ってきたんですよ。えー、お隣が、泉さんでね。中野先生と。でも、彼女も居なかった」


 南城が泉リリカの家族についても尋ねると、上川は困り果てた様子を見せた。


「中野先生が連絡してくださってますよ。でも、海外でしょう。全然、繋がらない」


 リリカの担任の中野は、地震のあった翌日から何度も連絡を試みているが、母親には一向に連絡がつかないのだという。父親は早世していて、祖父母も居ない。叔父や叔母などの他の親族については、学校レベルでは分かる筈もない。


「無事でいてくれれば……」


 呟いて、その先の不吉な予感を掻き消すように、上川は目頭を押さえて目を閉じる。心労が祟って疲れ切った彼の顔には影が落ちて、それは見る者を不安にさせるほどだった。


「西園寺さんも……」


 言いかけて、上川は慌てて言葉を呑み込んだ。南城を始めとする高校一年生の担任に伝えられているのは、中林という教師の失踪と、東條ヒカル、泉リリカと連絡が取れていないことの二点のみだということを思い出したのだ。


 西園寺アンズという女子生徒の行方が分からなくなっている件については、北上を始めとする数学、国語、英語の主任達が調査を行っている。まだ全てが明らかになったわけではないが、どうやら想像していた以上に複雑な話となっているようだ。


 上川は深いため息を付くと、飲み物を買いに立ち上がった。


 フラフラと歩く上川を目で追って、南城はその向こうから近付いてくる大男に気付く。北上だ。北上は何時もと同じ黒のスリーピース姿で、機械のように歩いてくる。今の南城には、その様子が不思議と救いに思えた。


 北上と顔を合わせると、上川は寂しそうな笑顔を見せる。そこに込められている感情は、様々だった。北上はいつも通りの無表情で、上川に頭を下げて応える。


「南城」


 上川の隣で飲み物を買うと、北上はそのうちの一本を南城の前に置いた。暖かい緑茶だ。


「いいのか? ありがとう。……お前、さっき何やってたんだ?」


 南城は、北上が職員室で突然立ち上がった時のことを尋ねている。


「仕事だ」


「……だろうな。皆そうだよ」


 相変わらず言葉が足りていないなと、南城は北上に呆れている。


 そんな二人の会話を背中越しに聞きながら、上川は僅かな癒しを得ていた。上川も、北上と南城が交際していると思い込んでいるのだ。彼は、若いカップルの何気ない遣り取りを微笑ましく思っている。


 しかし、若いカップルという単語で、上川はまた東條ヒカルと泉リリカのことを思い出した。彼はどうにもやるせない気持ちで食堂の端まで歩いて行くと、窓の外を眺める。昨日の雨を引き摺っているのか、空はどんよりと曇っていた。


 それからまた席に戻ろうとして、上川はふと、食堂のテレビモニターに気付く。食堂の天井の隅に備え付けられたそれは、普段はニュースが流れているか、学内広報が淡々と表示されているだけのものだ。


 上川はそのモニターの下まで行くと、柱に備え付けられたリモコンのスイッチに触れた。特になにか観たい訳ではなかったが、ニュース番組に生徒の名前が出てしまうのではないかと思うと、観たくはないが、観なくてはならないという複雑な思いに駆られた。


 北上と南城はモニターの方へ顔を向けて、次々に切り替わる画面を眺めている。彼らも表情には出さないが、上川と同じような気持ちを抱えているのだ。


 チャンネルは、直ぐに一つの番組に固定された。そこでは医学博士という肩書の男性と、初老のキャスターとが真剣な表情で会話している。画面の右隅には、「どうする? 新型感染症対策」というテロップが赤字で表示されていた。




「――インフルエンザの大流行に続いて、とんでもない病気ですよね。脳が溶けていくって。これ、本当なんですか? 先生」


 初老のキャスターは、目を見開いている。


「はい。既に海外では報告がありましたが、今回、国内でもですね、都内の病院で初めて確認がされました」


「脳が溶けていた?」


「……というよりも、脳以外の臓器についても、一部溶解が見られたと」


「感染する?」


「そのような報告があります。海外では、実際にそういった事が起きていると聞いています」


「これは、一体どういう……。例えば、インフルエンザのような感染症なんでしょうか? 仮に、空気感染するとしたら、大変な事になりますよね?」


「感染経路については諸説あります。ただ、恐らく、空気感染するようなものではないのではないかなと」


「先生。ちょっと、インフルエンザの話に戻りますけれど。今回ね、今回のインフルエンザは、後遺症についての報告が後を絶ちませんよね? この脳が溶けるっているのは、その後遺症ではない?」


「私は、全く別だと考えています。こういったものは過去にも例が無く……」




 テレビの向こうで行われている会話の余りの突飛さに、皆は言葉も出ない。


 上川は疲れた様子で溜息を漏らすと、卒業式は延期だろうと心の中で呟いた。


 北上と南城はモニターを眺めながら、上川とは違う考えを思い浮かべている。それは世間を騒がすこの奇病が、アナザーによるものではないかということだった。


(もしもこれが、水の核のように無限に力の供給を可能とし、コアトリクエのように広範囲に影響を及ぼすタイプのアナザーだとしたら……)


 起こりうる最悪の事態を想定し、南城は身震いする。万が一にもそうなっては、自分に近しい者たちにも被害が及ぶことは避けられないだろう。


 そしてこの時、北上も同じことを考えていた。唯一、北上が南城と異なるのは、彼が如何にしてアナザーの注意を自分に向けさせるかについても考えていたことにある。彼はアナザーを探すよりも、アナザーに自分を探させる方が効率が良いと考えるようになっていた。


(不本意だが……試してみる価値はある)


 北上は脳裏に、いつかの淡路との会話を思い出している。自ら、アナザーを生成するということ。それが実現すれば、アナザーのメカニズムを理解することにも繋がるのだ。


 不穏なニュースを告げるテレビモニターを見つめながら、北上と南城は静かに覚悟を固めていた。

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