4-10 グッドバイ ②
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第二東京タワー。四四五階。
ヒカルとアオイは、動力を失ったエレベーターの前に居た。
三五〇階への直通エレベーターは動きを完全に停止して、扉を固く閉ざしている。フロアの中は暗く、煙が充満していて、それは二人から視界と思考力とを奪いつつあった。
非常灯すら点いていない中で、アオイは非常階段を探して目を忙しなく動かしている。上階とはフロア内の配置が異なっていて、階段は二人から離れた位置にあった。
その隣で、ヒカルは窓の向こうを眺めている。彼は中林の姿が視界から消えたことで、若干の落ち着きを取り戻していた。ただ、先程抱いた疑問や迷いは、決して消えてはいない。
(家に……帰りたい……)
ヒカルの脳裏には、リリカの姿が浮かんでいる。
街は暗闇に包まれたままで、リリカの待つ家はその中にあった。真っ暗だと怖いと言って眠れないリリカのことを思い、ヒカルは傍に居てやりたいと考えている。
「アオ姉。……アオ姉は、高いところ平気だったよね?」
窓を見つめたまま、ヒカルが問い掛ける。
アオイは振り返って、弟の後頭部に視線を送った。
ヒカルはアオイの視線には気付いていたが、なにも言わず、繋いでいた姉の手を解き窓の方へ近づいていく。そうして彼は、迷いもなく強化素材の窓ガラスを素手で叩き割った。
ヒカルの予想した通り、左の拳は痛みも感じず、怪我一つ負っていない。ヒカルは自分が唯の人間ではないということを、再び自らの力で証明していた。
割れた窓から風が入り込み、煙が吹き返してフロアの中を満たす。
アオイは両腕を顔の前にかざして、その隙間から弟の背中を見ていた。
「ビルの百階分位って、何メートルくらいなんだろう――?」
状況に似つかわしくない、呑気な言葉。
アオイは耳を疑い、ヒカルに視線で言葉の意味を問いかける。
ヒカルはアオイの目が自分に何か尋ねていると気付いたが、それには気付かぬフリをして、素早く彼女の元に近づきその体を抱え上げた。
グラグラと地面が揺れるような感覚に襲われて、アオイは思わず小さな悲鳴を上げる。
「えっと……上手く行かなかったら、ごめん」
不安を誤魔化すようにニコリと笑って、ヒカルはアオイを抱えたまま勢いをつけて窓から外へ飛び出した。
体が落ちていく感覚に囚われて、冷たい風と様々な音とに聴覚を奪われて、アオイは弟の体にしがみ付きながら目を閉じる。
ヒカルはアオイの体を大事に抱えながら、目を凝らして、夜の中に薄らと光るタワーの輪郭を捉えていた。
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