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ゲノム・レプリカ  作者: 伊都川ハヤト
Another

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4-9 「情」 ⑦



 二十一時十八分。

 第二東京タワー。四五〇階。


 突然、現れた白衣の青年――それは「中林」と「ルシエル」という名を持っている――を前にして、ヒカルとアオイはそれぞれ別の感情を抱いていた。ヒカルは尊敬と感謝とを。そしてアオイは、恐怖と憎悪とを――。


 アオイは、一連のアナザーによる事件の裏には、このルシエルが関与していると考えている。ルシエルが此処へ来ることは予想出来ていたが、しかし彼が第三者の前に姿を現すことは想定になく、それはアオイの不安を掻き立てていた。


 なによりアオイが驚いているのは、弟のヒカルが、ルシエルの姿を見て安堵したような表情を見せたことだった。


「先生!」


 ヒカルは、ルシエル――ヒカルにとっては中林だ――に笑顔を見せた。彼の中では、中林が自分の身を案じて駆け付けてくれたように思えている。


「ああ。ヒカル。君が無事でなによりだ」


 中林は、目を細めた。


「……どういうこと?」


 アオイの声は、擦れかけて上ずっていた。弟の眩しい笑顔が、今は彼女に鳥肌を立たせている。


「ごめん。そうだね、ちゃんと説明しないと」


 ヒカルは姉の様子を不思議に思いながらも、彼女にしっかりと向き合って、自分の胸に手を当てた。


「実は……僕は、この中林先生に命を助けて貰ったんだよ。心臓を貰ったんだ」


「……ヒカル? なにを……」


 弟の口から飛び出した突飛な一言に、アオイは酷く混乱している。彼の言葉は、あまりにも非現実的だ。ヒカル自身、それに気付くことの出来る年齢だというのに。


 中林は深く何度も頷きながら、姉弟の会話を眩しそうに眺めている。


 ヒカルもアオイも、そんな中林の視線に気付いていた。ヒカルはそれを温かく感じ、アオイはベッタリと張り付くような不快なものとして捉えている。


「僕、昔、事故にあったよね。それで……」


「なに言ってるの? そんなことなかったでしょ?」


「アオ姉。違うんだよ。事故にあって、それで死にかけて……。でも、先生が僕を助けてくれたんだ」


「そんなこと、ある筈ないでしょう……!」


 ヒカルの両腕を掴んで、アオイは彼の顔を見つめた。彼女の目に映る弟の表情は、まるで夢でも見ているようだ。


 ヒカルは姉の必死な形相に違和感を覚えながらも、それは単に驚きや心配からくるものだと理解した。生死の境を彷徨うような事故にあっていたと知れば、そしてその事実が今まで知らされていなかったのだとすれば、驚き心配するのは当然だ。


(でも……僕……入院してなかったっけ……?)


 事故の後、ヒカルは自分が数週間入院していたように記憶している。それが確かなら、一連のアオイの発言には矛盾がある。なにより、アオイがヒカルの入院した事実を覚えていない筈がない。


 更にヒカルは、数分前の中林の言葉にも違和感を覚えていた。中林は二人の前に現れた時、二人に「イリス」と呼びかけ、そして過去を懐かしむような言葉を口にしていたのだ。


 ヒカルは助けを求めるように、中林に視線を送った。


 中林はヒカルの視線に、笑顔で応える。


 ヒカルは中林が笑顔で満足そうに何度も頷くのを見て、やはり自分は間違っていないのだと考えた。姉の様子がおかしいことは気にかかったが、それは混乱しているだけで、一時的なものだ、とも。


 アオイはこの時、ヒカルの目に確かな疑問の色が生じ、そしてそれが消えていく様を見ていた。


「なにをしたの……?」


 ヒカルの腕を掴むアオイの手は、ガタガタと震えていた。スーツの破けた隙間にアオイの爪が跡を残していたが、ヒカルはその痛みに気付いていない。


 アオイはヒカルの胸に視線を注ぎ、ヒカルは青ざめた姉を不思議そうに眺めている。


 中林は白衣の内側に手を滑り込ませると、取り出した銃を二人に向けて突然発砲した。


 アオイが銃声に気付き、視線を向ける。

 この時、ヒカルは既に行動を完了させていた。


「――素晴らしい」


 幸福のあまり蕩けそうな笑顔を浮かべて、中林は手を叩いている。


 ヒカルは咄嗟にアオイの前に飛び出して、左の掌で弾丸を受け止めていた。スーツを身に着けている時ならば当たり前のそれを、彼は今、素手で行っている。


 甲高い音と共に床に落ちた弾を目で追って、それからヒカルは掌を眺めた。左手は視界の中で小刻みに揺れていて、彼は周りの音も遠くなったように感じている。


 アオイは震える弟の背中越しに、気味の悪い笑顔を浮かべる白衣の男を見た。


「あなたは……『彼女』を、ヒカルに埋め込んだのね……?」


 アオイの声は、怒りで震えている。


 ヒカルは背中で姉の言葉を受け止め、正面からは恩師が幾度も頷く様を見た。


 自分がなにをしたのか分からぬまま、自分が何者か見失いながら、ヒカルの目からは不思議と涙が溢れていた。彼は事態を理解出来ていなかったが、それでも薄らと、自分が人間ではないという事実に気付いてしまったのだ。


「先生。僕は……」


 捻り出すような、か細い声。


 それに応えたのは、中林の狂ったような笑い声だった。中林は大きく反り返って、楽しくて仕方がないという様子で笑っている。


 中林の背後で、エレベーターの扉が開く音がした。


「――目を閉じて」


 突如聞こえてきた新たな声で、アオイは反射的に目を閉じ、ヒカルは目を見開く。


 声と同時に聞こえてきた銃声と共に、中林の体はバタバタと踊った。


 体中から血を流して倒れる中林。


 ゴツゴツというブーツの音。


「お迎えに上がりました。アオイさん」


 床に転がっている中林の背中を踏みつけて頭部に銃弾を撃ち込むと、淡路は微笑んだ。彼の視線の先には、目を閉じたままのアオイの姿があった。

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