1-6 ワールド・オーダー ③
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二〇×一年 十月二十七日 水曜日
解体作業中のマンション跡地。
ガスマスクを身に着けた北上が塀を飛び越えて敷地内に侵入すると、そこには既に先客がいた。キツネ面のハンターだ。
キツネは北上に気付いていたが、その目は前方の暗がりに向けられたまま、刀を構えるでもなく、何か思案している様子でその場を動こうとしない。
その様子を見た北上は、この場にいたアナザーは既に倒された後なのだと理解した。
「君か?」
「違う」
キツネは短く、冷たく答えた。一緒にするなとでも言いたげな、苛立ちを抑えるような声だ。
「核すら残っていないよ。加減も分からず、力を誇示するために使っているような印象だ。恐らく、あの少年でもないな」
北上とキツネは今、同じ少年の姿を思い浮かべている。シルバーのスーツに身を包んだあの少年は、あれ以来どの現場でも見かけていない。
「これで、五件目」
キツネの呟きで、北上はキツネも自分と同じ状況にあることを知った。
桜見川中央公園での戦闘からここ数週間の間、二人は、ただ一つとして核を手に入れることが出来ていない。気配を察知して現場へ赴いた時には既にアナザーは消滅していて、そこには破壊の跡だけが残されているのだ。
北上は公園での一件を思い出しながら、状況が次第に変化していることについて考えを巡らせていた。欲望に任せて人を襲う、獣のような存在であった筈のアナザー。北上はそれらが、知恵をつけ始めているように思う。
そして姿の見えない第四のハンターらしき存在も、北上には脅威と感じられていた。現場に残された跡からは、強い破壊衝動が見て取れる。
「キツネ。俺と、組まないか」
「組む?」
キツネの声のトーンは、否定的だ。
「嫌か?」
「嫌も何も、互いに目的が同じ以上、最期が見えている。後ろから撃たれては敵わん。……なにより、合う気がしないよ。お前とは」
「何故だ?」
振り向いたキツネ面の奥で、微かに笑う声がする。
「お前とは、趣味が合わん」
キツネがそっと指さすのを見て、北上は先ほどの言葉がガスマスクのことを指しているのだと気付いた。
北上がガスマスクを身に着けているのは、正体を隠すことが出来るからだけではなく、アナザーが放つ臭気にも耐えることが出来るという合理的な理由からだった。
そんな北上にしてみれば、キツネの面こそ、どこか浮かれているような印象だ。それは確かに顔を隠すことが可能だが、祭りの夜店を連想させるようで、こうした戦いの場にはそぐわないように感じられる。
北上とキツネとは、公園の一件で初めて互いの存在を知ることとなった。あの時彼らは互いの風貌に絶句して、背を向けあっていたのだ。
「次は必ず仕留める。その時は、邪魔をするなよ」
言い残して、キツネは暗がりに消えていく。
北上も咄嗟に何かを言い返そうとして、しかしうまく言葉が見つからず、彼はただ虚空を見つめた。いつも、言葉が出てこない。
警備や警察が駆け付ける前にと自分に言い聞かせ、北上も現場を後にする。
ビル陰で普段のスーツ姿に戻ると、北上は自宅へ向けて歩き出した。左手の古い革鞄には必要最低限の荷物だけが詰められているのだが、仕事終わりに駆け付けたということもあり、今日がまだ週の半ばであることもあって、それはやけに重く感じられている。
夜の匂いに鼻をくすぐられて顔をあげると、そこにはまばらな星空があった。
満天には程遠い都会の空でも、その下に幾千もの生活があるのだと思うと、それは何より美しいものとして北上の目に映る。
(次……か)
キツネの待ち望む、次の闘い。それは北上にとって、出来ることなら永遠に在っては欲しくないものだった。




