4-9 「情」 ②
*
同時刻。
第二東京タワー。その二階部分に該当するデッキの上で、インドラ――北上はアナザーを相手に立ち回っていた。少し離れた場所では、キツネとケイイチロウとが激しい闘いを繰り広げている。
時折、北上の元には、彼らの発する熱波や冷気が届いていた。それらはチリチリと空気を揺らして、アナザーの放つ臭気を纏う風を生む。
北上はその不愉快な風の中で、前から後ろから、次々にやってくるアナザーを無心に相手している。彼の目に映るアナザーは、常になにかを求めているように見えた。そして彼らの欲するものは、北上の中にあるようなのだ。
不意に、正面から抱きつくように飛び掛かってくるアナザー。
北上は膝を真上に持ち上げ、アナザーが反応するのに合わせて軸足をずらし、半円を描くように蟀谷に向けて蹴りを叩きこむ。続けて、振り向きざまに足刀を蹴り込み、背後から現れたアナザーが前に出そうとしていた膝を踏壊する。
足の裏に伝わる不快な感覚と、悲鳴を上げて沈んでいくアナザーの姿。
北上は横から襲い掛かるアナザーの攻撃を受け流し、目を逸らさずに、人差し指から小指までの四本の指を、そのアナザーの鳩尾に素早く撃ち込んだ。
(地獄というものがあったなら、こんな臭いがするんだろうか――)
北上はドロドロに溶けて消えていくアナザーを眺めながら、身に着けているベストについたアナザーの体液を手で払った。
「派手にやってますね」
近づいてくる聞き覚えのある声の方へ、北上は目を向ける。
淡路だ。
淡路は軽やかな足取りで、北上の元へと駆けてきた。
「流石、先生。殆ど片付いていますね。タワーの周辺も、直に落ち着きそうです」
淡路はいつもの笑顔で、周囲を見回している。
北上は淡路の言葉で、ようやく、自分の周囲から小さなアナザーの反応が消えたということに気付いた。彼の足元は、夜空よりも黒いアナザーの体液で塗りつくされている。
軽い疲労を覚えて、北上は息を整えた。
(一際大きな反応が、あと二つ)
北上は、空中のケイイチロウへと視線を向ける。残りのアナザーの反応の内、一つは彼で間違いなかった。だがもう一つについては、全く見当がつかない。
もう一つの巨大なアナザーの反応は、時折、気配が感じられなくなることがあった。それは電灯が明滅するように、現れたり、消失したりを絶えず繰り返している。
北上は淡路に、ケイイチロウとは別のアナザーがいる可能性を告げた。
淡路は無言で頷くと、タワーを見上げる。彼はタワーの展望台から立ち上る煙を眺めながらなにか呟いたが、それは北上の耳には届かなかった。
「……おっと、お出ましですね」
淡路が指す方には、タワーに向かって飛行中のヘリコプターがあった。
「マスコミですよ。いやぁ、困ったなぁ」
ワザとらしい口調でそう言って、淡路は笑う。更に彼は、此処へ来る途中に、うっかりドローンを撃ち落としてしまったと言った。あれは報道機関のものだったのかもしれない、とも。
「私に、なにをしろと?」
「嫌だなぁ。お分かりでしょう」
「……あれは、アナザーではありませんので」
「だから、ですよ。僕みたいな立場の人間には、手が出せない。まぁ、要は、やり方です」
(……軽く言ってくれる)
笑顔の淡路から目を逸らし、北上は溜息を漏らした。
本来の目的であるケイイチロウは、キツネが相手をしている。既に北上は、機を見てそこに割入るつもりでいた。彼はその結果として、キツネとは完全に敵対することも理解している。
(だが最早、これ以上アレを放置出来ない)
北上の目が、空を舞うケイイチロウを捉える。北上は、想定以上の犠牲者を出してしまったことを悔やんでいた。
「……一時的にですが、恐らく、多くの目を誤魔化すことは可能です」
「流石、先生。助かりますよ」
北上は調子の良い淡路に少し不満を覚えたが、それを表情には表さなかった。正確には、上手く表すことが出来なかったのだ。だが例え出来ていたとしても、身に着けているガスマスクのために、それは淡路に伝わるはずもなかった。
北上は淡路に、周囲に混乱が生じる可能性を伝える。
淡路はその言葉で、北上がなにをしようとしているか察した様子を見せた。
「それじゃ、よろしくお願いします。サクッと終わらせて、お互い、早く帰りたいものですね」
北上は、淡路の言葉に心から同意した。
「……お急ぎですか?」
淡路が腕時計を眺めているのを見て、北上は問いかける。彼は、淡路を始めとする公安の予定について尋ねたつもりでいた。アナザーの対応について、彼らが秘密裏に進めているものがあるのではないかと疑問に思ったのだ。
「そうですね。……僕、この後デートなんですよ」
淡路は、目元をクシャッとさせて笑っている。
北上は呆れて、「そうですか」と返した。
淡路は北上には構わず、アオイからホテルのリクエストがあったのだと嬉しそうに口にしている。勿論、淡路は、アオイが本気で彼にリクエストしたつもりでないことは分かっていた。互いの無事を願って交わされた他愛ない約束を、彼は嬉しく思っているのだ。
「ま、そんな訳で、よろしくお願いしますよ。先生」
自分はタワーに用事があるのだと言い残して、淡路は北上の元を去っていく。
北上は何とも言えない気持ちでそれを見送って、それからタワーを見上げた。
タワーのすぐ傍では、ケイイチロウとキツネの他に、黒い小さな塊が忙しく動いている。北上は、恐らくそれもドローンだろうと理解した。個人の物か、メディアの物かは判断が出来ないが、どちらにせよそれは直に焼かれるか、切り刻まれるかするだろう。
時間が経つにつれ、混乱が治まるにつれ、周囲には再び人の気配が増えつつあった。それらはマスコミや消防などの他、何処の現場でも必ず現れる野次馬である。
闘う術のない民間人が、此処へやってきたら――それは、先程のようなアナザーを再び生むこととなるだろう。
北上はケイイチロウを見て、口元にグッと力を込めた。
(悪いが、しばらく時間を稼いでもらう)
キツネに向けてそう呟くと、北上は意識を集中させ始めた。




