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ゲノム・レプリカ  作者: 伊都川ハヤト
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270/408

4-8 (痛いくらい)愛してる ⑨



 二十時五分。


 パラパラと乾いた音。続いてキンッと甲高い音をさせながら、コンクリートの上には空になった薬莢が散らばっていく。


 淡路は片膝をついた姿勢で銃を構えながら、壁を背にアナザーと対峙していた。彼はまだ、地下の駐車場に居る。


 前方の影が動かなくなったことを確認して、淡路は周囲を警戒しながら立ち上がった。


(これで二体)


 腐臭を撒き散らしながら溶けていくアナザーを遠目に、淡路は前髪をかき上げる。


 数分前。地上階へ向かおうとした直後、淡路はアナザーに襲われている家族を発見、保護していた。彼らは既に、淡路の誘導によって地上への避難を完了している。


 淡路は他にも取り残されている人間が居ないか確認を進める中で、奇妙なものを目にしていた。身体を欠損した人間が、時間の経過とともに化物に姿を変える。その姿は、淡路が知る限り、アナザーと呼ばれているものだった。人が、アナザー化しているのだ。


 それについては、佐渡からも同じ情報がもたらされていた。第二東京タワー付近で起きたアナザーによる事件の被害者が、僅かな時間でアナザーと化したのだという。その被害者は、直ぐに佐渡によって処理されたということだった。


 第二東京タワー付近では既に同様の通報が相次いでいて、能登が所轄の刑事達と協力しながら対応に注力している。


 無線では引っ切り無しに「保護」、「確保」という言葉が飛び交っていた。それを耳にする度に、淡路は脳が芯から乾いていくような、冷静になっていく自分に気付く。


 皆は本当に、まだ救えると考えているのだろうか――?


 その疑問に対する淡路の答えは、一つしかなかった。


 不意に、遠くから近付くエンジン音に気付いて、淡路は手にしていたサブマシンガンをコートで隠し、傍にあった車の陰に身を潜める。この地下駐車場に居た人間は、既に地上階へ避難を行っていた。そんな中、わざわざ此処へやってくる人間は限られている。


 淡路はその独特なエンジン音に耳をすませるうちに、それが向島の車だと気付いた。車は直ぐに地下の駐車場内に進入し、淡路とは離れた壁際に停車する。流線型のボディに、特徴的な丸いヘッドライト。ドイツ製のその車から降りてきたのは、やはり向島だった。


 向島はマフラーを首に掛けてロングコートを羽織った姿で、特務課の無線を手にしている。地上階へ続くエレベーターに向かって歩いていくその姿には、緊迫した状況には似つかわしくない余裕すら感じられた。


 どうしたものかと、淡路は心の中で呟いた。向島は、特務課の欠けた人員を穴埋めするため――それも限りなく善意で――やってきたのだろう。


 向島に背を向けて、淡路は脱力させた体を車体に預けた。彼にしてみれば、味方の人数は問題ではない。闘い慣れていない者に現場をうろつかれる方が、遥かに面倒なのだ。


 本音を言えば、淡路は、このまま向島を行かせてやっても良いと考えていた。だが万が一のことを考えると、自分が見逃した状況を隠蔽する必要がある。


(これだから世間知らずのボンボンは……。あーあ。勝手にどっか行ってくれねぇかな)


 今この場に出てくれば見逃してやるのにと、淡路はアナザーの出現を願う。


 淡路は考えることを放棄して、前方に停車している車の窓ガラスに目をやった。彼はガラス越しに向島の動きを確認しようとして、そこに別の人物が映っていることに気付く。


 音もなく向かってくる、見覚えのあるコート。


 淡路の体は、反射的に動いていた。素早く体制を整えると、淡路は車の陰から向島の頭の高さを狙って壁をなぞる様に銃撃する。


 伏せろと、聞き覚えのある声。


 向島は後ろから飛び出してきた男に腕を引かれ、二人は淡路の視線を避けて物陰に飛び込んでいく。


 淡路は無意識に、笑みを浮かべていた。




 ――地下駐車場。


 佐渡は向島を連れて、自動ドアを潜った先のエレベーターホールへ駆けこんだ。向島の身をエレベーター脇の壁に隠すようにして屈めさせ、佐渡は銃撃のあった方向に目を向ける。相手は、分かり切っている。


(ついに尻尾を出しやがったな)


 佐渡は潜んでいる淡路との大体の距離を測りながら、死角を移動し、さり気なくエレベーターの昇降ボタンに触れた。


 本当に撃つ気があれば、脚を狙っただろう。頭の高さを狙ったということは、別の思惑があるからだ。佐渡はそう考えて、直ぐに向島を逃がすことにした。淡路の本当の狙いが、自分にあると考えたのだ。


「お前は、東條の……」


「ええ。そうっすよ」


 突然現れた佐渡の姿を見ても、向島にはそれほど驚いた様子はなかった。それは佐渡の目に、肝が据わっているというよりも、状況を理解していないものとして映る。


「悪いんですがね、向島さん。火、持ってます?」


 佐渡は胸ポケットからタバコを取り出すと、一本摘まんで口に咥えた。


「そんなもの……」


「持ってるわけ、無いっすよね」


 向島の頭の後ろを素早くガツンと殴りつけると、佐渡は気を失った向島の体を担ぎ、到着したエレベーターに彼を乗せた。それから佐渡は無線で能登を呼び出すと、向島が倒れていることを伝え、至急病院へ運ぶようにと指示する。


 無線が切り替わった直後、佐渡に応えるように、自動ドアの向こうでは数発の銃弾が天井の照明を撃ちぬいた。


 淡路は、佐渡がわざわざ無線で連絡を入れた意味を察している。この時、佐渡には、向島の名前を出すことで、アオイが無線に反応するのではという淡い期待があった。だがアオイは、無言を貫いている。


 アオイのそれが単に無視しているだけならば、佐渡にとってなにも問題はなかった。全て終わった後で、少々長めの説教をするだけで済むからだ。しかし無線に出ることが出来ない状態にあるのであれば、話は変わってくる。


「出て来いよ、ゴースト」


 佐渡はコートの内側に手を入れると、銃を構えた。彼の額には、薄らと汗が光っていた。


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