4-7 eyes ⑫
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十九時。
運転席から伸びてきた手を軽く払って、アオイは信号が青になったことを告げた。
淡路は溜息交じりに、左手をハンドルへ戻しアクセルを踏む。
淡路の漏らした溜息が半ば演技、半ば本心だったことに気付いて、アオイは多少の居心地の悪さを覚えた。
「――全部、聞いてたんでしょ?」
アオイは、窓の外を流れる光の粒を眺めている。
淡路はなにも応えず、アオイの次の言葉を待っていた。彼はアオイの欲している答えを理解していて、今はそれを敢えて返さない。
アオイは横目で淡路を見て、それから直ぐに視線を窓の外に戻した。
「……先に言わなかったのは、私が悪かったと思うけど。……でも、今回は仕方ないところもあって」
口がもつれるような感覚のために、アオイは一度言葉を切って、少し間を置いてから再び言葉を続けた。
「だから、だから……なんだっけ。なんて……。あの、だから、ワザとじゃなかったって言いたくて」
アオイが言葉を言い終わるのとほぼ同時に、車が横断歩道の前で停車した。
学生が三人、赤くなった顔で愛想よく頭を下げて、足早に道路を横断していく。
返ってくる無音に、アオイは無意識に視線を落としていた。彼女の目には腕時計が映っているが、時計の針には焦点が合っていない。
白蝶貝の文字盤が、淡い光を放っている。いつか何処かで眺めた光。その光に重なるように、アオイの視界に淡路の手が滑り込んだ。ゴツゴツして、やや色の黒い骨ばった手だ。
アオイは運転中だと小声で咎めながらも、先程のようには払わずに、その手を眺めている。そこにはまるで、彼女が欲しかった言葉が込められているようだった。
「そろそろ着きますよ」
「ありがとう。あ、入れなくていいの。傍へ着けてくれる?」
駐車場へ向かおうとする淡路に声を掛けて、アオイは車を路肩に停めるように言った。
淡路は嫌な予感を覚えつつ、車を端へ寄せる。
「まだ帰りたくないって言うから……僕はてっきり、嬉しいお誘いだと思ってました」
「『帰りたくない』なんて、言ってない。『まだ帰らない』とは、言ったけど」
ハザードを焚いた車の中。カバンを膝に載せてゴソゴソと中を確認するアオイに、淡路は笑顔を向けた。分かってはいたのだが、やはりアオイは良からぬことを考えている。
「作戦は、明日でしたよね?」
淡路は、窓の外を指す。そこには、鉄塔の一部だけが見えている。
二人は今、第二東京タワーと呼ばれる巨大な電波塔の下にいた。
少し前にリニューアルを終えたばかりのタワーを目指して、路上にはカップルや家族連れの姿が多くある。二人を乗せた車は、そのすぐ脇に停められていた。
アオイが提案した作戦は、明日、二月二十三日の十九時半に決行を予定している。犯行予告の手配は向島が行い、特務課のメンバーは明日に備えて各自準備を進めているところだった。
「多分、私が今考えていることは、あなたも考えたことがあること。……ねぇ、今、何時?」
「十九時十八分」
淡路は腕時計を確認して、そう答えた。それから彼は、アオイが短い言葉で伝えようとしたその意味を理解して口を噤む。
アオイは時計が遅れていると独り言ちて、時間を合わせている。
「ね。まぁるい、白いバスタブ。あるじゃない?」
「丸?」
「そう。お花を浮かべたり」
「……夜景もつけましょうか」
ベタだと笑って、二人は抱擁を交わす。
「それじゃあ。あと、ヨロシクね」
「行ってらっしゃい。お迎えにあがりますよ」
アオイは車を降りて、軽く手を上げ、淡路に応える。
淡路はアオイが歩き出すのを見て、名残惜しさを振り切るように車を発車させた。
淡路が離れたことを確認してから、アオイは再び時計に目を落とす。時刻は、十九時二十三分。ヒカルとリリカは夕食の時間だろうかと、アオイは歳の離れた家族を思う。
(何時までも待ってる側っていうのは、性に合わない。そうでしょ?)
アオイは、眼前の巨大な鉄塔を見上げた。
「始めましょうか。ルシエル」




