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ゲノム・レプリカ  作者: 伊都川ハヤト
Another

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260/408

4-7 eyes ⑪



 大粒の雨に打たれる窓を眺めながら、テーブルを挟んで二人の男女がコーヒーを飲んでいる。彼らの素性は明かされていないが、時折見せる仕草からは、二人が結婚を意識しているような関係にあることが窺えた。


「ほんっと、単調な映画よね~」


 テレビの中の男女を眺めながら、もう十五分は同じ構図だと、リリカが笑う。彼女はソファの上でクッションを抱えて、ココアの入ったマグカップを両手で包むように手にしていた。ココアには小さなマシュマロが四つ、雲のように浮かんでいる。


 ヒカルはリリカの隣でコーヒーを飲みながら、傍にあったクッションを頭の後ろへ回してヘッドレスト代わりに挟みこんだ。この映画を観る時は、可能な限り体をダラリとソファにあずけるのが好きなのだ。


 画面の中で、男が窓から視線を外し、腕時計に目を落とした。それから彼は何事もなかったように、また窓の外を眺める。


 画面に映る男の名前はシェーンといい、女はマリアといった。二人は映画が始まってからエンディングまでの約九十分を、こうして喫茶店でコーヒーを飲みながら窓の外を眺めて過ごす。


 ヒカルとリリカが産まれるずっと前に制作されたこの映画のタイトルは、『陽のあたる場所で』といった。リリカはこれを聞く度、嘘だと言って笑う。事実、映画の中で太陽が顔を出すことは一度もない。


 マリアがシェーンの方を見ると、それに気付いたシェーンも彼女の方を見た。そうして二人は数秒見つめ合って、短く「やまないね」と言葉を交わす。そうして二人はまた、窓の外の雨に耳を傾ける。


「この映画のセリフがあるところだけ集めたら、何分くらい? 三十分ある?」


「どうだろ……十五分あるかないか、かな」


 そんな映画を、アオイとヒカルは気に入っていた。殆ど画面に動きもなく、華やかさにも欠けた駄作扱いされているこの映画を、二人はもう優に二十回は観ている。


 画面の中。遠くから、店のドアが開くベルの音。程無くして、シェーンとマリアのテーブルの脇を、傘を手にした男性が足早に去っていった。彼が手にした傘は乱暴に畳まれていて、そこから滴った水滴で床には跡が残っている。


「ここの音楽が好きなんだよなぁ」


「ヒカル。いつもこのシーンで、それ言うよね」


 何回も同じことを言っていると、リリカは笑っている。


 しかし、リリカもいつも同じ言葉を返すのだと、ヒカルは心の中で笑っていた。


 リリカはアオイやヒカルがこの映画を観始めると、必ず傍へやってくる。そしてこんな映画はもう厭きたと言いながら、彼女はエンディングまで必ず観ていくのだ。


「ねぇ、一番好きなセリフってある?」


「そりゃあ、やっぱり『やまないね』かな」


「……シェーンのセリフ、殆どそれじゃない?」


「まあね。マリアも何回か言うよ」


「へんなの」


 ふふっと笑って、リリカはココアを口に運ぶ。


 ヒカルは何故か嬉しくなって、微笑んだ。


 リビングの時計は、十七時十六分を指している。


 アオイと淡路からは、帰りが遅くなりそうだと連絡があった。チャットで送られてきたメッセージには、「戸締りをして、夜は人混みには行かないように」とも書かれている。二人はそれを、インフルエンザが流行っているためだと理解した。


「ねぇ。結局、シェーンとマリアは何処へ行こうとしてたの?」


「あー。それね。アオ姉も言ってた。それ、永遠の謎」


「雨宿りで終わっちゃうもんね。この映画」


「そうなんだよ。急いでる素振りもないし、荷物も小さいし。でも、家に帰るだけだったら、ちょっとくらい濡れても向かいそうなもんだけどなぁ」


 シェーンは手ぶらで、マリアは座席の脇に小さなハンドバッグを置いている。二人の荷物らしきものはそれだけで、他にはなにもない。二人は、傘すら持っていないのだ。


「あ、分かったかも。実は、店の外に車が停めてあって~」


「あ~。中に、旅行の荷物がギッシリ?」


「そうそう。きっとね、二人は新婚旅行に向かってたの!」


 リリカの目は、キラキラと輝いている。

 ヒカルは少し考えて、二人が指輪をしていないことを指摘した。


「じゃあ……あっ! じゃあ、駆け落ち!」


 ロマンチックだと呟いて、リリカはうっとりした表情でクッションに口元を埋める。


 ヒカルは、以前、アオイも同じことを言っていたようだと思い出す。ただ彼女は、それをロマンチックだとは思っていない様子だったが。


 逃避行の割には余裕があると考えて、ヒカルはリリカにも同意を求めた。


「それは……たとえば、追われてる二人が、こんな雨の中を車で逃げるとするじゃない? それって、盛大に事故って、最後に悲劇っぽい音楽が流れて終わりでしょ? つまんない」


「まぁ、そうかもね」


「でしょ? だから、敢えてこの雰囲気なの。幸せそうなカップルが、実は秘密を……みたいな!」


 いかにもリリカの好きそうな漫画っぽい話だと、ヒカルは心の中で呟いた。


 画面の中で、マリアがシェーンの名を呼ぶ。


 シェーンはマリアの方を見て、彼はコーヒーカップに手を伸ばした。シェーンの手元で、カップとソーサーがカチャリと小さな音を立てる。


 マリアはなにか言いたげな顔で、しかしなにも言わずに微笑むだけ。

 シェーンもそれに、微笑みで返すだけだ。


「ねぇ、ヒカル」


 不意に名前を呼ばれて、ヒカルはリリカの方を見た。そして直ぐ、それがマリアの物まねだと気付く。


 コーヒーを噴き出しそうになったと、ヒカルは笑いながらリリカを咎めた。

 リリカは満足そうに、悪戯っぽい笑顔を見せている。


 画面の中。雨は、止まない。


「これ、最後にアオ姉と観たのっていつ?」


「アオ姉とは……もう一年くらい前かな。でも、アオ姉は一人で観てるっぽい」


 ヒカルは、時々DVDがプレーヤーにセットされたままになっているのだと言った。


「東條家って、映画の好みが独特なのよね~」


 音楽もだけれどと、リリカは心の中で呟く。ヒカルは自分の音楽の好みを、ありふれたものだと信じて疑わないからだ。


 独特だと言われて、ヒカルは彼が最近観た映画を指折り数えながら思い出してみた。


「最近だと……『エイリアンVSモンゴル力士』だろ? あと、『夕陽の丘』と『思い出のコーヒーショップ』とか」


「あ、『夕陽の丘』は良かった! 草原のダンスシーンが最高だったよね~」


 リリカは頬に手を当てて、顔をにやけさせている。


 ヒカルは、そんなシーンはあったかなと首を傾げた。『夕陽の丘』は、二時間半もの間、ただ男女がすれ違っているだけの映画だったと記憶している。


(「好きです」って一言いえば、五分で終わる映画だったような……)


 ヒカルはそう思ったが、隣でロマンチックな気分に浸っているリリカの手前、それを口には出さなかった。


「あと……なんだっけ? あの、サメと寿司職人が闘うやつ」


「なにそれ? そんなの観たの?」


「えっ! リリカも一緒に観たよ。あれだよ、最後は捌いて食っちゃうやつ」


「えー。……観てないか、記憶から消したかのどっちかかな~」


 それを聞いたヒカルがもう一度観ようと提案すると、リリカは露骨に顔を背けた。


 同じ映画を観たはずなのにと、ヒカルはリリカを不思議に思う。サメが宙を舞い、寿司職人が高速回転しながら大太刀を振るうシーンは圧巻で、思わず興奮したはずだ。


 同じ映画のことを考えながら、リリカはその嫌な記憶を再び忘却しようと努めていた。無駄に長い上に、その殆どが船の上で腕を組む頑固職人のアップ。サメは安っぽい合成で、音楽もガチャガチャと無駄に煩さい。あれは、そんな映画だったのだ。


 二人はヒマな時によく映画を観るが、ヒカルはアクション映画しか殆ど覚えていないし、リリカは恋愛やヒューマンドラマしか記憶に残していない。元々、好みが違うのだ。それでも二人は、気付けば一緒に映画を観ている。


 シェーンが三度目の「やまないね」を口にした。


 ヒカルとリリカは無意識に、シェーンと同時にそれを真似る。三人の発した「やまないね」というセリフが部屋に響いて、それは少しの間を置いて笑い声に変わった。


「もう、覚えちゃった」


「うん。僕も。多分、アオ姉もそうだよ」


「また三人で観る?」


「今度は多分、四人かな」


 リリカがヒカルの方へ視線を向けると、彼は画面を眺めながら微笑んでいた。ヒカルは、自分が発した言葉に気付いていないようだ。


 リリカは、ヒカルが先程の言葉を無意識に口にしたのだと気付いて、それを嬉しく思った。彼女の中で淡路は既に兄のような存在で、ヒカルも心の中では同じように思っていることに気付いたからだ。


 リリカは、代わり映えしない画面に向かって微笑む。

 ヒカルはそれに気付いて、同じように笑顔を見せた。


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