4-7 eyes ⑩
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十五時半過ぎ。
特務課のメンバーは、薄暗い会議室の中に集っていた。そこにある空席は、入院中の城ヶ島と、インフルエンザのため休養している国後のものだ。
佐渡がプロジェクターの傍に立って、ホワイトボードに投影させた資料を指しながら、事件についての報告書を読み上げている。投影されている写真は、失踪した被害者の女性達と放火のあった現場の様子を写していた。
各メディアは、被害者達の勤務先をバーやキャバクラなどの飲食店として報道している。しかし国後の調査によって、それらは別の顔を併せ持つ店であることが既に判明していた。
報告書によれば、失踪した被害者は、全員が同一の性風俗店の従業員であるという。彼女たちは飲食店で勤務する傍ら、副業という形で違法風俗店で働いていたのだ。
被害者達は勤務先である店のオーナーとの間に多額の金銭トラブルを抱えており、彼女たちはその返済のために働き口を斡旋されていたと思われる。
放火の現場は全て、失踪した女性たちの勤務する飲食店が入居するビルであり、また彼女たちは皆、副業先へ向かう途中で失踪したということも判明した。
「――このうち一人については、焼け跡付近で採取された毛髪のDNAが一致」
佐渡が読み上げた報告書の一文で、能登が体を揺らし、椅子がギシッと悲鳴を上げた。彼はこの失踪事件が、明確に別の形へと変化しつつあることを察したのだ。
佐渡はさらに、毛髪を採取した現場付近でハンターの目撃情報があったと付け足す。彼がプロジェクターに映したのは現場付近の防犯カメラの映像で、そこにはインドラと思われる男の姿が数秒映り込んでいた。
「つまり、アナザーによる放火殺人とみて良さそうね」
誰もが理解しているそれを、アオイは敢えて口にした。
佐渡は頷いて応え、報告を続ける。
「これまでの犯行から、今回のアナザーは女性に対して強い執着を持っているものとみられます。被害者に共通して……」
(執着……)
佐渡の報告を耳にしながら、アオイは思考を内へと向け始めていた。彼女の脳裏にはルシエルの姿が浮かび、彼の言葉が蘇っている。
「君は、未来のイヴになる。新たな時代の幕開けだ。そのための子どもを産む。君は、可能性を宿した器なんだよ」
長野の山中、あの場所で、ルシエルは確かにそう言った。狂気に満ちた表情でアオイにそう語り掛けた彼は、彼自身抗うことの出来ない大きな流れの中に身を置いているようにも見えたのだ。それは、ある種の執着によるものだろうか。
(ルシエルは、私の居場所を初めから知っていたのかもしれない。だとしたら、どうしてあのタイミングで私の前に現れる必要があったの……?)
アドベンチャーニューワールド、そして長野での出来事を思い出し、アオイは視線を落とす。
佐渡は目聡く、アオイの変化に気付いていた。彼は報告を続けながら、アオイと彼女から少し離れた席の淡路とにさり気なく視線を送る。
淡路だけはそれに気付いたが、彼はなにも反応を返さずやり過ごした。
城ヶ島と能登が病院に担ぎ込まれたあの日から、佐渡は淡路に対して物言う視線を隠そうとしない。ラインを超えれば攻撃するぞと、彼の目はそう言っているのだ。
淡路はそれにも気付いていたが、彼はあえて佐渡の引いた境界線ギリギリの所に身を置き続けていた。現状、手が出せないのは互いに同じだ。だが機会さえあれば、いつでもそうする覚悟があるという意思表示である。
「――と、うちの調査員からの報告書は以上っす。次に、一課から提供された――」
佐渡は言葉を選んで、次の報告に移った。それは一課の捜査によるもので、被害者達の勤務シフトなどがホワイトボードには投影されている。
アオイはそれらを眺めながら、その目は投影された映像の向こうにルシエルの姿を見ていた。
(恐らくルシエルが、裏で糸を引いている。彼を止めることが出来れば、アナザーによる被害も――)
そう心の中で呟いて、アオイは直ぐに別の考えにも囚われた。アナザーが居なくなれば、自分はどうなるのだろうということだ。
全てのアナザーが消えれば、特務課は存在意義を失う。そうなれば、東條アオイの居場所は無くなるのだ。特務課を指揮し、アナザーを追うことこそが天下井に求められていることであり、それだけが東條アオイの存在意義だからである。
全てのアナザーが消えたら――?
不思議とそれを恐れていない自分に、アオイは気付いた。
アオイの脳裏で、ヒカルとリリカが笑う。それを眩しくも、寂しくも思いながら、彼女は目を細める。
弟の人生を見守りたいという思いは、変わらずにあった。しかし、しっかり者の弟と甘え上手な妹はもう、それぞれが生きる力を身に着けている。何時までも庇護が必要な歳ではないのだ。
アオイは佐渡の声を遠くに聞きながら、左前方に腰かけている淡路の肩に視線を投げた。
(ゼロにはならない。積み重ねたものは、残るもの)
ふと、アオイは疑問を抱いた。無意識に心の中に湧いたそれは、一体誰に、何に向けての言葉だったのか。
「――以上っす。東條さんから、なにか?」
「ええ。まず、今後のスケジュールと人員配備について……」
佐渡に声を掛けられて、アオイは即座に思考を仕事へと切り替えた。
(ルシエルを止める。私になら、それが出来る――)
ノートパソコンの影に隠れて、僅かに震えるアオイの手。本人すら自覚のないそれに気付いたのは、淡路唯一人だった。
アオイが決意を固める中、淡路だけは、彼女の内側に大きな変化が生まれつつあることに気付いていた。それに不吉の兆しを覚えながらも、淡路は顔に笑顔を貼り付けたまま、普段通りの彼を演じている。
「――失礼。今……?」
突然、アオイの言葉を佐渡が遮った。皮肉めいた笑顔と、途方もない呆れとが混ざったような表情だ。こういう時は、大抵アオイが無茶を言い始めた時と決まっている。
「今、話した通り。嘘の犯行予告を流して、件のアナザーを誘き寄せます」
アオイが言い切ったその言葉で、会議室内の空気は凍り付く。
能登が口元にグローブのような手を当てて、オロオロと困った様子で、アオイと佐渡とに交互に視線を送っている。
「そいつは勿論、聞こえたんですがね……」
一体なにから話せば良いだろうかと悩むような表情で、佐渡は額に手を当てている。
「前のバカとは違う。今回は、相手がアナザーっすよ」
佐渡が言うそれは、アドベンチャーニューワールドでアオイが囮になり、インドラを誘き寄せた時のことを指している。
「そう。今回のアナザーは、明らかにこれまでと違う。狡猾、それでいて獲物に対する執着がある。それを利用します」
さらにアオイは、今回の作戦は特務課のみで秘密裏に且つゲリラ的に行うと説明する。
「そいつは……俺には、民間人を囮にするように聞こえるんですがね?」
「そうね。アナザーとハンターとを誘きだすなら、その方が効率がいいでしょう?」
悪びれもなく、アオイは言い切った。
アオイと佐渡との間に、ピリッとした緊張が走る。
耐え切れず立ち上がろうとした能登を、淡路が制した。
休憩を挟もうと淡路が提案すると、佐渡がさり気なく腕時計に目を向けて、ネクタイを緩めるような仕草をする。
淡路がコーヒーの缶をひょいと持ち上げて、そして直ぐに空だと気付いた様子でそれを机上の角に戻した。
淡路のその仕草を見て閃いたのか、能登が茶を買ってくると提案し、ドスドスと音をたてて部屋を飛び出していく。彼は今、城ヶ島や国後の分まで自分が頑張るのだと使命感に燃えていた。
能登の足音がすっかり聞こえなくなってから、淡路は立ち上がり部屋を出ていく。
「嘘つき野郎だな」
部屋を出る間際、優に半分は残った缶の中身を飲み干す淡路の後姿に、佐渡はそう言葉を投げた。
部屋の中に二人きりになって、佐渡はアオイに背を向けてプロジェクターの置かれた長机に腰を降ろす。
アオイはスマートフォンの画面に触れて、次の佐渡の言葉を待った。
「考えてみりゃあ……今回は、こんなの要らなかったっすね」
今回は国後と城ヶ島が居ないのだと、佐渡は付け足す。
「そうね。でも、能登は居る。それに、特務課内でも賛否があったって形にしたいかな」
「『部下の必死な説得を押し切ったバカ上司』ってね。……俺の上司は、変な役ばかりやりたがる」
困ったなと、佐渡は溜息交じりに溢す。彼は胸のポケットを探ってタバコを口に咥えようとしたが、直ぐに部屋が禁煙だと思い出して、それを再びソフトケースの中に捻じ込んだ。
アオイの言葉に敢えて佐渡が反応して、他からの不満を逸らす。そのやり取りは、どちらから言い出した訳でもなく、これまでにも自然と行われてきていた。
「で、場所はどうします? もう、目星は付いてるんで?」
「まぁね。それは、大丈夫。人出が足りないから、佐渡は今回も現場の方へ出てくれる?」
「足りねぇどころの話じゃ……いや、もう止めときましょう。了解っすよ」
佐渡は今回の作戦について、アオイ直下の部下のみで行うということに不安を感じていた。たとえ作戦とはいえ、民間人への被害だけは食い止めなければならないからだ。しかし、彼らが抱えている末端の調査員を作戦に導入するわけにもいかない。
「ところで、一番重要な部分について、説明がありませんがね?」
テーブルから重い腰を上げると、佐渡はアオイの方へ向き直った。
「予告っすよ。普段なら、国後がやるところですが」
作戦の内容がこうである以上、あの熱血漢の復帰を待てないはず――佐渡は、言外にそう言っている。
さらに佐渡は、アオイが自分へ依頼するつもりでないことも察していた。そうでなければ、これまでのやり取りはそもそも発生していない。
アオイが手元のスマートをフォンを持ち上げて、画面を再び軽くタップした。
「――って訳で、特急でお願いしたいんだけど」
アオイの口調で、佐渡は彼女が誰かと通話していることに気付く。
「ああ。二時間後に連絡する」
スマートフォンから返ってきた声は、向島タカネのものだった。
通話を切ってスマートフォンを机上に戻すと、アオイは頬杖をついて佐渡の方へ視線を送った。
佐渡はその短いやり取りから、高田の件について向島が一枚嚙んでいることを察する。そしてアオイが、それを自分のカードに変えたということも。
「他に、なにか?」
首を傾げて、アオイは尋ねた。勿論相手の返答は、尋ねる前から分かり切っている。
いつものように演技がかった様子で軽く両手を上げて、佐渡は降参だと示してみせた。
会議室の外では淡路が扉の横に体を凭れさせながら、能登の帰りを待っている。彼は自席に置いてきたマイクで室内の会話を聞きながら、先程のアオイの様子を思い出していた。
胸を過ぎる、悪い予感。それを打ち消すことが出来ずに、淡路は宙を見つめるのだった。
次回は1月1日21時を予定しています。
※1月より月・水・金で更新していきます。




