4-7 eyes ⑤
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エレベーターの中。アオイと佐渡の二人はドアの方を向いて立ち、階数を示す電子表示が切り替わるのを眺めている。途中、佐渡が覗いた腕時計の針は、九時四十分を指していた。
二人は無言だったが、互いに心の中には様々なものを抱え込んでいる。
昨夜、公安一課長の高田の自宅には、フリーのジャーナリストを名乗る若者が押し掛けた。それを差し向けたのが佐渡であることを、アオイは理解している。指示してから半日も経たないうちの出来事に、彼女は佐渡という人間の怖さも改めて知ることとなった。
そして同じように佐渡も、東條アオイという人間についての認識を改めている。彼は、自分が利用されていることを理解した上で動いていた。
アオイから佐渡へ下した指示は、どこにも証拠が残っていない。結果だけを見れば、彼の独断行為だ。そうである以上、佐渡はアオイに背信を働くことが出来ず、後ろ盾である彼女の立場も守らざるを得なくなる。
元から佐渡がそうであったとはいえ、アオイが明確にしたことで彼らは互いの立場を再認識することとなっていた。それは彼らにとって、好ましいことでもある。
ドアが開いてアオイが先に外に出ると、エレベーターホールには人が集まっているところだった。その中に居たショートカットの女性が、アオイの姿を見るなり飛び出してくる。
アオイは、相手が友人のモモコだと理解するのとほぼ同時に、左の頬を叩かれていた。
佐渡がアオイの名を呼んでモモコとの間に割入り、モモコは傍に居た人間たちによってアオイから引きはがされる。
繰り返される罵詈雑言。友人からのそれを背に受けながら、アオイは佐渡に促されるかたちでその場を後にオフィスへと急ぐ。
「東條さん。冷やしましょう」
「いい。大丈夫」
「よかないっすよ」
強い口調でそう言うと、佐渡はオフィスに入るなり傍に居た能登に声を掛けて医務室へ向かわせた。
能登は巨体をドスドスと揺らして、血相を変えて走っていく。
アオイは自席に戻って腰を落ち着けると、深く息を吐いた。左の頬と耳とがビリビリと痺れていたが、彼女は自分がその痛みを感じることを嬉しく思っている。
モモコの怒りを受け止めることはアオイにとって義務やノルマのようなもので、そして憂鬱なそれが比較的早い段階で訪れたことに、彼女は安堵すら覚えていた。それを終わらせなければ、彼女は自分の仕事に集中出来ないと考えていたからだ。
佐渡はアオイの表情を見るうちに、彼女は敢えて避けなかったのだと察する。
「東條さん。……一本吸って、戻ります」
佐渡はそう言うと、アオイに背を向けてオフィスを出て行った。彼の表情は、飲み込んだ言葉の為に陰鬱だ。
オフィスに一人になって、アオイはクルリと椅子を回転させて窓の方へ視線を向けた。今日は、空の色がよく見えない。
「あーあ。痛そうですね」
後ろから淡路の声が聞こえても、アオイは彼の方を向かなかった。
淡路はアオイのデスクに腰を凭れさせて、手の中にあるコーヒーの缶をボールのように宙に投げたりキャッチしたりと遊んでいる。
冷やしましょうと淡路が言うと、アオイは、能登が氷を取りに行ってくれているのだと答えた。
淡路はアオイの傍へ行くと、持っていたアイスコーヒーの缶を左頬にそっと押し当てる。
アオイは、缶から頬に伝わる冷たさを心地よいと感じた。
「今は、これじゃないのが欲しいんだけど」
淡路の手から缶を受け取って、アオイはそれを頬に押し当てる。自分らしくない甘え方をした自覚はあった。
淡路はアオイの髪を撫でて、求められるまま彼女の頬に顔を寄せた。
アオイはガラスに映るそんな自分の姿が、どこか別世界の出来事のように思えている。
自分の仕事をするだけだと、アオイは心の中で言い聞かせていた。




