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ゲノム・レプリカ  作者: 伊都川ハヤト
Another

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250/408

4-7 eyes ①

七、eyes


 二〇×二年 二月 二十二日 火曜日


 深夜。時刻は、日付が変わったばかり。生物準備室の地下の暗がりで歌いながら、中林は過去を思っていた。その歌は、コアトリクエの残したものだ。


 コアトリクエの歌は、その存在が消えたことで芸術と化した。全ては芸術の前の尊い犠牲だったと、中林は歌を口ずさみながら彼らに敬意を払う。


 人類という存在が見捨てられていることには、中林も気付いていた。浅ましさ故に裏切り、もたらされた福音も与えられた知恵の実も貪るように喰らい尽くす。そんなものに、今以上の価値があるだろうか。


 それでも中林は、人類という存在を諦めてはいなかった。彼は人を愛していたし、彼自身も人だった。なにより中林は、人類の持つ進化の可能性をまだ信じている。


 風を求めて生物準備室の地下を抜け出すと、中林は校舎の屋上へ向かう。東京の空に、星は疎らだ。初めは寂しく、息苦しさえ覚えたこの街を、中林は好むようになっていた。街は誰にも無関心で、誰にでも居場所を与えてくれる。


 中林は無意識に、「イリス」と名前を口にしていた。かつて共に時間を過ごしたその娘は、名前を変え、髪と瞳の色を変え、この街で別人としての人生を歩んでいる。中林は、それを見守り続けてきた。


 不意に目の裏に蘇った光景に苦悶し、中林は思わず掌で目を覆う。それは気味の悪い笑顔を浮かべた一人の男の姿で、彼はイリスとの再会を必ず邪魔しにやってくる悪しき者だった。


 美しい思い出が汚されていく――それに耐え切れず、中林は嗚咽をもらす。自分が何故このような思いをしなくてはならないのかと、彼は酷く心を痛めている。


「――なんだい? 嫌なものを見たね……」


 中林が指の隙間から見た先には、南城ケイイチロウの姿があった。彼は女性物の着物に身を包んで、口には紅を塗っている。


 ケイイチロウは中林に近付くなり、彼の首を掴んだ。中林の体はケイイチロウによってまるでゴミの様に投げられ、屋上を取り囲んでいるフェンスに激突する。


「苦労したよ。お前さん、気配というのが探りにくい。何故だろうねぇ」


 カランコロンと下駄の音をさせながら、ケイイチロウは地面に横たわる中林の方へ歩み寄る。


 中林は背中を強打し、首にも火傷を負っていたが、それらは既に治り始めていた。


「ハンターという奴らに接触したよ。それも、三人も」


 ケイイチロウは中林の前まで行くと、彼に向けて火を放った。


 一瞬の間を置いて、中林の身に付けている白衣が燃え上がる。


 ケイイチロウは、小首を傾げた。中林はこの状況にあっても、焦りや恐怖を感じていない。彼は自分の身に起きている出来事を、他人事のような目で眺めている。


「お前さん、なにを隠している? 秘密主義者は嫌われる。違うかい?」


 ケイイチロウは、中林の負った傷が治り始めていることに気付いた。中林もそれに気付いたが、彼は口を噤んでいる。


 脅しても無駄だと悟り、ケイイチロウは笑う。それから彼は袖を払うと、中林の体の炎を消した。


 中林は地面の上に座りなおすと、燃え残った白衣を手で押さえた。彼の白衣の胸にはヒカルとの通信機が入ったままだ。通信機は投げられた時の衝撃からか、動かなくなっている。


「老人には、手荒すぎる歓迎だ」


 中林は背後のフェンスに凭れて、ケイイチロウに視線を投げる。ケイイチロウは、殺意を抑えようとしていない。この様子では、誰かが駆け付けるのも時間の問題だろう。


「老人、か。狸め。お前の体、普通ではないね。お前さんも、核とやらを飲んだのかい? だとしたら、ここで狩ってくれようか」


「核など飲んでおらん。……話をするなら、もう少し力を抑えてくれんかね? 彼らが駆け付けては……」


「狩るだけ。それだけだ」


 ケイイチロウの濁った目は、真っすぐに中林を捉えている。


 数日前とは異なるケイイチロウの様子に気付いて、中林は感嘆の声を上げた。短期間で複数の核を取り込んだが、ケイイチロウはそれに呑まれることなく見事に適応している。


(やはり、これまでの誰よりも適性がある……)


 中林は堪えきれず、音を漏らすように歪な笑い声を上げた。


 ケイイチロウは中林の頭を殴りつけて、彼を黙らせる。


「インドラがね、あの小僧を庇ったんだよ。可笑しいねぇ? 神になるのが目的ならば、何故、奴らは共闘する?」


 ケイイチロウは中林の首元を掴んで、彼の目を見ようとした。しかし中林の目は何処か別の場所を見ていて、口元には薄笑いを浮かべている。


「お前さん、僕を……奴らに狩らせようとしていないかい?」


 ケイイチロウはそう囁くと、中林を再び殴りつけた。しかし中林の表情は変わらず、それがケイイチロウの怒りを煽っている。


 中林は口から吐いた血を掌に溜めると、それをケイイチロウの目に向けて放った。そしてケイイチロウが怯んだ隙を見て彼の腕から抜け出すと、中林は校舎へと逃げ込む。


 ケイイチロウは目元を擦りながら、怒り狂って周囲を焼いた。炎が上がる中、彼は両眼を抑えたまま、肩を大きく上下させる。


 中林は校舎の中を素早く移動して生物準備室の地下に戻ると、校内に仕掛けてある彼の「目」を移動させて屋上の様子を窺った。パソコンのモニターには、怒り狂うケイイチロウの姿。そしてそこに近付く、もう一つの影がある。


 影はケイイチロウの傍に降り立つと同時に、彼の上に光の筋を落とした。雷だ。直撃を受けたケイイチロウは、悲鳴を上げてよろめく。


 インドラの名を叫んで、ケイイチロウは目元を手で覆ったまま人の気配のする方へ炎を放つ。雷に貫かれた衝撃から、彼の体は痙攣している。


 インドラは怯むことなく炎に飛び込んで、ケイイチロウとの距離を詰め、拳を振るった。しかしケイイチロウは寸での所で宙に逃げ、そのまま炎の翼で空を駆けていく。


 インドラも直ぐに追いかけたが、中林の「目」はその先を捉えることは出来なかった。


(あの速さでは、インドラとて追いつけまい)


 中林は白衣を脱ぎ捨てて、部屋の隅にあるロッカーから替えの白衣を取り出し身に纏う。


 周辺にはキツネも来ているのではないかと考えたが、今の彼女はどちらとも交戦を避けるだろうと予想されたため、中林はそれ以上彼らの戦闘を追うことはしなかった。


 どさりと椅子に腰かけて、中林は宙を仰ぐ。彼は再び、イリスと、目の裏に浮かぶ少女に呼びかけた。


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