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ゲノム・レプリカ  作者: 伊都川ハヤト
Another

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229/408

4-5 Brother ⑥



 同時刻。


 ベッドの向かいにある備え付けのデスクの前に腰かけて、アオイは開け放ったカーテンの向こうを眺めていた。窓の外では、木々が揺れているのが見える。今日は夜から雪予報で、気温は既に下がり始めていた。


 デスクの上には、背の高い口の細いグラスにバラが一輪挿されている。淡路からバレンタインの日に贈られたものだ。


 バラは、あの日はまだ大分閉じていた。飾り始めた当初は少し下を向いて見えたが、今は見事に開いて華やかな香りを漂わせている。部屋が寒かったか、或いは、上等な花瓶ではなくグラスに挿されて落ち込んでいたのかもしれない。


 バラの方へ首を傾けて、アオイは花びらを指で軽く突いてみた。トントンと触れた爪の先に赤い色がのるように見えて、彼女はそれをルビーのようだと喜ぶ。


 久しぶりに家に一人になって、アオイはまず掃除を試みた。しかし東條家はリビングからキッチン、風呂場からテラスに至るまで既に弟の手によってピカピカに磨き上げられた後で、そこにアオイの入る隙はなかった。


 冷蔵庫には夕飯の下ごしらえを済ませた食材が詰められていて、靴は磨かれた後。キッチンの換気扇やふろ場の排水溝は掃除済みで、乾燥の終わった洗濯ものは畳まれ、シャツにはアイロンが掛けてあった。よく出来た、出来すぎた弟に、アオイは完敗したのである。


 指を折りながら、アオイは弟があと何年で社会へ出ていくだろうかと数えてみた。そして時間の速さを思い、彼女は溜息を漏らす。そこには、喜びよりも寂しさが込められている。


 現在、アオイは特務課に身を置くことで、課長の天下井から彼女の過去の隠蔽と今の生活とを保障されていた。アナザーに自分の生活が支えられている――それを自覚しているからこそ、彼女は一日も早く今の生活から離れることを望んできた筈だった。


 しかし歳を重ねるごとに、弟やリリカと過ごすうちに、アオイは自分が定めたはずのゴールを動かし続けている。


 一人で眠れるようになるまで。

 一人で、暮らしていけるようになるまで。

 せめて、大人になるまで――。


 そして今アオイは、その先のヒカルの人生も見守りたいと強く願うようになっている。その感情は当たり前のものだと、必死で自分に言い聞かせようともしていた。


(私たちは、もう見捨てられている……)


 アオイの脳裏には、コアトリクエの歌とそれに応える空からの声が蘇っている。


 コアトリクエは、天の存在に人類を進化させる術を尋ねていた。しかし天は、それに拒絶を示している。人類という種族の進化は、彼らの期待値を遥かに下回っていたのだ。


 だからルシエル――それは別の名を中林といったが、アオイはそれを知らない――は、それによらず人の手によって人類を進化させることを目指している。アオイはそれを知ったあの日から、自分がどうすべきかを考え続けていた。


 ベッドの方から短い振動が聞こえて、アオイは顔だけを傾けた。チャットのようだ。


 傍へ行ってベッドに寝転がると、アオイはスマートフォンでチャットの内容を確認する。相手はモモコで、そこには先日のお詫びがグダグダと書かれていた。


 アオイは後回しにするのも面倒で、直ぐに返信する。





 アオイ:大丈夫。疲れもあったんじゃない? 眠れてる?


 モモコ:ありがと! でも全然平気。そういや、向島と帰ったって?


 アオイ:送ってもらっただけ。向島にも謝っときなさいね。


 モモコ:なんだ。向島のマンションじゃないんだ? あいつも結構、真面目よね。




 

 思わず溜息を漏らして、アオイはスマートフォンを枕の下に押し込む。仕事だけでも一杯一杯な上に、これからの人生についても考えなくてはならない。そんな状態で、色恋がどうこうと考える余裕は最早なかった。


 ふと、アオイはあの日、向島にキスされたことを思い出す。


 あの日、アオイは向島の車に傘を忘れていた。それを取りに行かなくてはと分かっているが、自分から連絡をすることが出来ないまま、もう二日を過ぎている。


 そしてそれが分かっているかのように、向島からアオイへの連絡もなかった。彼は、アオイが連絡してくることを待っているのだ。 

 

 布団の中に潜り込んで、アオイは毛布を顔の上まで引き上げた。頭の中では、ふて寝より有意義な時間の使い道が並んでいる。しかしベッドの中は暖かいし、既に眠い。


 先日着ていたコートのポケットには、淡路から受け取った戸籍謄本が入ったままだ。アオイはそれを思い出してクローゼットに意識を向けたが、既に体はベッドに囚われている。


 どうせ休みの日にしか着ないコートだと、アオイは自分に言い訳を始めていた。次の休みの日に、どこか外で処分すればいいのだ。幸い、よくできた弟は気を遣って、姉の部屋までは掃除しないのだから。


 そう考えた時にはもう、アオイはスヤスヤと夢の世界に飛びだっていた。

  


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