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ゲノム・レプリカ  作者: 伊都川ハヤト
Another

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218/408

4-4 Liar ③



 二〇×二年 二月 十七日 木曜日


 二十時過ぎ。ヒカルはソファでニュース動画を聞き流しながら、手元ではせっせとレースを編んでいた。


 ニュースキャスターは、桜見川区で起きた連続放火事件を伝えている。それはどちらも、繁華街にある雑居ビルの屋上で起きているということだった。


 さらにキャスターは、放火事件のあったビルの飲食店で勤務していた女性達が、行方不明になっていると伝えている。警察は、放火犯と行方不明となっている女性たちとの間に関連があるものとみて、捜査を進めているということだ。


 怖い事件だなと心の中で呟いて、ヒカルはリリカとアオイを心配する。リリカは今、風呂に入るため自宅に戻っていた。アオイは、今日も仕事で遅くなると連絡が入っている。


 ニュースでは放火事件として繰り返し報道されていたが、ヒカルはこれにアナザーの関与を疑い始めていた。何故だか、奇妙な予感がしているのだ。


 暫くして、リビングの扉が開いて淡路が帰宅した。


「戻りました。あれ、ヒカル君だけ?」


「おかえりなさい。リリカは風呂です。……姉は?」


「入れ違いになったかな。アオイさんも、直ぐに戻ると思うよ」


 ヒカルに笑顔を見せると、淡路は台所で水を口にしてから、着替えてくると告げてリビングを出て行った。


 ヒカルは手元のレースを切りのよいところまで編んで、それからキッチンで淡路とアオイの夕飯の準備に取り掛かった。


 今日のメインは、サーモンの香草パン粉焼き。サーモンの賞味期限が今日までだったのと、パン粉を使い切ってしまいたかったのでこのメニューになった。それ程手間は掛からないがリリカが喜ぶので、東條家では鉄板メニューになっている。


 スープを温めていると、着替えを終えた淡路が台所へ顔を出した。


「ごめん、ごめん。やるよ。なにか、作業してたろう?」


 淡路は、壁にかかったエプロンを手に取っている。


「いえ。切りがいいところまで、終わったので」


 なにを作っていたのかと尋ねられたので、ヒカルは付け襟だと答えた。


 淡路は、聞き慣れない単語に首を傾げる。


 ヒカルは形状を簡単に説明して、それから後で画像を見せると話した。


「リリカが、春物のワンピース買ってきたんです。でも、『もう少しクラシカルな感じがいいの!』って。なんか、古いドール? みたいなイメージらしくて」


「それで、作ってあげてたのかい? ヒカル君は、本当に……」


 その先の言葉を、淡路は飲み込んだ。「リリカのことが好き」だとか、「手先が器用」だと、続ける言葉は幾らでもあった。しかし淡路の頭の中には、「尻に敷かれている」や、「甘やかしが過ぎる」といった言葉が浮かんでいる。


 だが何事も、当人同士が幸せならそれでよいのだ。


 ただいまと声がして、アオイが帰宅した。アオイはキッチンに仲良く並ぶヒカルと淡路を見て、笑顔を見せる。彼女は帰宅間際に憂鬱な会議を終えたばかりで滅入っていたが、自宅に戻って元気を取り戻していた。


 いい匂いだと、アオイは笑う。それから、直ぐに着替えてくると言って、アオイはリビングの隣の自室へ向かった。


 そのアオイの後姿から、淡路は僅かな変化を読み取った。どうやら、面倒なことが起きている。彼には、アオイの気を滅入らせるものの正体に予想がついていた。


 自室へ戻ると、アオイはスマートフォンを眺めて着信をチェックする。仕事に関連するメールが数通と、友人のモモコと向島タカネからチャットが入っていた。


 アオイはジャケットを脱ぎながら、先ずは向島からの内容を確認する。そこには先日のチョコレートの礼と、食事に誘う内容が書かれていた。アオイはこれに、「仕事が片付いたら」と返信する。


 次にアオイは、憂鬱な面持ちでモモコからの内容を確認した。メッセージには、「相談」や「近々飲みに行きたい」という文言が並んでいる。さらにモモコは、店を『Winter Rose』と指定してきていた。それは、向島の弟の店だ。


 モモコは、アオイの所属する特務課ではなく一課の所属である。真っ当なルートで公安に配属になっただけあって優秀で、快活な性格から友人も多い。ただ彼女には、少し悪い癖があった。


 モモコは、一課の高田課長と不倫関係にある。本人から聞かされた訳ではないが、アオイはそれに気付いてしまった。恐らく、モモコの言う相談とはこのことだろう。


 モモコは以前から、既婚者や彼女持ちばかりに手を出す悪い癖があった。本人は無自覚のようだが、自分が幸せになれそうにない相手ばかりを選んでいるのだ。


「ワカッタ。ジカンヲ、ツクル……」


 耳元で打っていた文言を読み上げられて、アオイは慌てて振り返る。


 アオイの後ろには淡路が立っていて、彼は彼女が振り向くなり腕を回して抱き寄せた。


「ちょっと! いつの間に……! ……ヒカルは?」


 トイレですよと、淡路は答える。

 淡路は腕の中で暴れるアオイを連れて、そのままテラスへ向かった。


「寒いんだけど」


「寒いですねえ。でもほら、今日は月が綺麗なんです」


 アオイを抱えたままテラスのベンチに腰を下ろして、淡路は空を見上げる。今日は満月だ。


 アオイは、ヒカルが直ぐに戻ると言って、淡路の腕から抜け出そうとする。しかし淡路の腕は、彼女を離さない。


「捜査、他所へ移りました?」


 淡路が耳元で囁くように言ったその言葉で、アオイはピタリと動きを止める。


 アオイは帰宅間際に、今回の事件から特務課が外されることを聞かされていた。一連の事件は単なる放火事件で、アナザーの関与は認められないというのが理由だ。


 淡路はまだそれを正式に聞かされていなかったが、報道内容が規制されていないこと等から気付いた。恐らく、他のメンバーも同じだろう。


「……桜陀会ってあるじゃない? あそこ、最近また他所と揉めてるらしいの。だから、それだろうって話」


 指定暴力団、桜陀会。そのフロント企業が、放火のあったビルに入居しているという。


「勿論、城ヶ島と能登の話もしたんだけど。大方、ヤ―さんに圧かけて、嫌がらせされたんだろって。……それだって、大問題なんだけどね」


 アオイは溜息を漏らして、体を淡路の方へ預けた。


 あの日、城ヶ島が佐渡に送ろうとしていたメッセージには、「巨大な黒い影」や「鳥のような」という文言が残っていた。しかしそれも、他に目撃者がなく証拠としては不十分だ。


「あの一件以来、高田の圧がキッツい。嫌われちゃって、大変」


 アオイは、笑う。彼女の言うあの一件とは、昨年末にアドベンチャーニューワールドで起きた事件のことだ。


 あの時、特務課は一課の指示で動くことを命じられていたが、結果として独断で動くことになった。一課の高田課長は、その時のことを根に持っている。


「好かれても、困りますよ」


 いいじゃないですかと、淡路は笑う。

 その通りだと、アオイも笑って返した。


 アオイは今回の件を、皆にどうやって話そうかと悩んでいた。しかし淡路から先に話を振られたことで、彼女の心は軽くなっている。


「これで、また少し落ち着きますよ。あ、今度は、何処へ見に行きましょうか?」


 淡路が、左手をアオイの手に重ねている。

 指輪のことだと、アオイは察した。


「指輪に拘るのは……プロポーズがしたいから?」


 アオイは最近、そう考えるようになっていた。考えてみれば、口約束とはいえ婚約を提案したのは自分だ。しかし淡路には、男性の中には、自分からプロポーズしたいという考えがあるのかもしれない。


「でも、本当に結婚するのは無理。それは、あなただって同じなんじゃないの?」


 アオイは、「淡路」というのが彼の本来の名前でないことを知っている。今の彼の全ては、仕事のために用意されたものだ。結婚して戸籍を動かすことは、難しいだろう。


 淡路はアオイの言葉を聞きながら、顔には笑顔を浮かべていた。アオイの推測は概ね正しかったが、不可能を可能にする方法がない訳ではない。それでも淡路が無言でいたのは、アオイの本当の不安が彼女自身の出自にあると気付いていたからだった。


「アオイさん。ダイヤは、お嫌いじゃないでしょう? ピアス、ダイヤが多いですよね。単純に、デザインが好みでなかったとか?」


 アオイは、淡路が話を戻すのに気付いて呆れた。


「そうじゃないけど。……ダイヤも花束も貰ったから、もう要らない」


 アオイは淡路に、世界で一番大きな花束と一番輝くダイヤを貰ったと主張する。


 淡路は、輝くダイヤというのが、長野で見た朝日のことだと理解した。しかし彼には、世界で一番大きな花束というものには覚えがない。


 アオイはそんな淡路の様子に気付いていたが、彼に答えを教えようとはしなかった。アオイはアドベンチャーニューワールドで眺めた花火を、花束のように思っていたのだ。


「最高に綺麗なものは、もう貰っちゃったから。あれくらいじゃないと、もう要らないの」


 わざとそう言って、アオイは話を終わらせようとする。これなら、当分はなにも出来ないだろうと考えたのだ。


 すると淡路は、左手をアオイの左手の下に滑り込ませて、それを空へ掲げた。


「じゃあ、世界で一番大きな真珠はどうですか? ほら」


 アオイの左手の指には、空に浮かぶ月が乗っている。


 淡路はアオイに頬を寄せて同じ目線で空を見ながら、彼女の左の薬指の上に月を乗せた。空に浮かぶ満月は白く透き通っていて、淡い輝きを指に投げている。大粒のパールだ。


「……その口は、どうしてそんなに回るの?」


 まるで呆れたように言ってみせたが、アオイの顔は真逆の表情をしていた。一瞬、本当に綺麗だと感じた自分を、アオイは単純な女だと恥ずかしく思っている。


「ロマンチストなんですよ、僕って」


「嘘つきじゃなくて?」


「それは、お互い様です」


 二人は、頬を寄せたまま笑う。

 それから二人は少し頬を離して、互いの顔を見た。


「――ゴハンですけど?」


 二人の間に、割り込む声。


 アオイが慌てて振り向くと、そこにはヒカルとリリカが立っていた。リリカは頬に手を当てて顔を赤らめていて、ヒカルはひきつった笑顔を浮かべている。


 アオイは思わず、肘で淡路を小突いた。彼が、二人の存在に気付かない筈がないのだ。


 淡路はいつもの笑顔で、困った様子を繕っている。


「いいな! いいな! 私も、今のやりたい!」


「はいはい。降りてー、離れてー」


 キャッキャと騒ぐリリカには反応せず、ヒカルは淡々と淡路からアオイを引きはがした。


 言い訳を考えているアオイの腕にリリカが飛びついて、興奮した様子でぴょんぴょんと跳ねている。


「ヒカル君、酷いなあ。いいところだったのに」


「そうでした? あ、じゃあ僕が代わりましょうか?」


 ひきつった笑顔のまま、ヒカルは淡路の膝の上にドカリと腰を下ろした。


「わー。つき、きれーい」


 ヒカルは、死んだ魚のように濁った目で空を見上げている。


 私もやると言って、リリカが淡路の首元に抱きついた。


「あ! ちょっと淡路さん! リリカから離れてください!」


「あれ、僕が離れるのかな」


「すごーい。月キレイ!」


 三人が動く度に、テラスに置かれたベンチはギシギシと音を立てている。


 淡路は困ったように笑い、ヒカルはムスッとした表情。リリカは声を上げて笑い、空に向けて手を伸ばしている。


 ワイワイと賑やかな三人をみて、アオイは思わず声を上げて笑った。

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