4-3 月の裏側 ⑨
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第二東京タワー。その全高五五五メートルにも及ぶ巨大な電波塔には、様々な商業施設が併設されている。空港から比較的アクセスが良いこと、徒歩圏内に昔ながらの下町や神社仏閣が多いこともあって、外国人観光客の姿も多い。
その第二東京タワーで二月十四日から三月十三日まで催されているイルミネーションは、「宝石の海」と題されていた。
(……ガラス張りの回廊を抜けて第二展望フロアへ足を踏み入れると、一面に輝く夜景と鮮やかな光の演出があなたを迎え入れます。再考到達点四五十五メートルから眺めるその光景は、まさに『宝石の海』……)
第二東京タワーのリニューアル情報専用サイトの文言を心の中で読み上げながら、リリカは早くもウットリとした気持ちに浸っていた。キラキラしたものは、大好きだ。池でもなく湖でもなく、海というのもいい。ロマンチックに溢れている。
スマートフォンを胸に抱いて、リリカは目を閉じた。誕生日という、一年に一度の特別な日。ヒカルと二人でガラス張りの回廊を行き、辿り着いた先で二人は輝く大海のような光を見る。そして二人は、顔を見合わせて――。
(キス、しちゃったりして~!)
脚をバタつかせて、リリカは傍にあったクッションで顔を隠した。
最近、リリカの中では、ファーストキスに対する憧れが強くなり続けている。結果、映画を見ても、漫画を読んでも、ネットの体験談を漁ってみても、どのキスシーンも自分の理想とは少し違う様に思えて、悶々としていたのだ。
しかしここへきて理想のシチュエーションを見つけたことで、リリカの心は高揚していた。これはきっと、一生に一度の最高の思い出になるに違いない。
喉の渇きを覚えて、リリカはソファの上に座りなおしてダイニングテーブルへ目を向けた。
「お! 行ける、行ける!」
「東條君、もう少し右に! そうそう。バランス取れてるよ」
「スゲーな、東條」
飛び込んできた男子の声で、リリカは夢から現実に引き戻された。
ダイニングテーブルでは、ヒカルが大量のポッチーの箱を使ってタワーを築いている。スピーカーに切り替えた彼のスマートフォンからは、彼の友人たちがワイワイと盛り上がっている声が聞こえてきていた。
時刻は、もうすぐ十六時になろうというところ。
オンライン授業も終わり、部活も休止でヒマな彼らは、ヒカルがポッチータワーを積み上げる様子に娯楽を見出したようだった。チャットのビデオ通話機能を使って、彼らは先程から楽しそうに騒いでいる。
「ヒカル。こうなったら限界を目指そうぜ!」
「東條君。その右端に、調整かけておこうよ」
「ってか、東條。ポッチー屋さんじゃん」
キャッキャと楽し気な様がまるで小学生のように見えて、リリカは目を逸らし、クッションを抱いて顔を埋めた。先程までのロマンチックな気分が、台無しだ。
自分は誕生日に宝石の海を眺めながら最高のキスがしたいだけなのに、その相手は今、職人のような真剣な眼差しで菓子の箱を積み上げている。
(あーあ。アオ姉たちは、全然違うんだろうな~)
ソファに横になって、リリカはスマートフォンを眺めた。画面には、皆でイチゴ狩りを楽しんだ時の写真が並んでいる。そこには自分とヒカルの写真だけではなく、アオイと淡路が顔を寄せているものもあった。
淡路と二人で写っている時のアオイは視線を逸らしたりムクれたりしているが、リリカにはそれが照れ隠しに思えている。アオイは「どうせ言っても無駄」や「勝手に撮られるよりマシ」と言うが、彼女の性格からして、本当に嫌だったら写らない筈だ。
(大人って、どこでキスするのかな)
映画や漫画を思い出して、それからリリカは、それらはフィクションだと自分に言い聞かせた。キスで目覚めるのはお伽話だから素敵なのであって、現実では寝起きの口内環境の方が気になってしまう。
(アオ姉は、すっごく昔のことみたいだった……)
リリカは、アオイにファーストキスの思い出を尋ねた時のことを思い出した。
「あーあ。アオ姉みたいにキスしたい……」
胸に手を当てて、リリカは祈るような姿になる。
急にバタバタバタっと音がして、ヒカルや彼の友人たちの絶叫が耳に入り、リリカはダイニングの方へ目を向けた。
ダイニングテーブルでは、ヒカルがポッチーの箱に埋もれて突っ伏している。彼の口からは、単なる遊びとは思えない程に真剣な、それでいて悲しみに満ちた声が発せられていた。
スピーカーの向こうからは、ヒカルと悲しみを分かち合う声。それと同時に、再起を願う声も聞こえている。
ヒカルは頭を抱えているが、その左手はポッチーの箱を求めていた。
見ているのも馬鹿らしくなって、リリカの視線は再びスマートフォンへ。彼女の掌には、夢の世界が広がっていた。




