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ゲノム・レプリカ  作者: 伊都川ハヤト
Another

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4-2 愛のかたまり ⑧

 *



 十八時半。


 ヒカルはゲームを止めて、ソファで調べ物をしていた。彼がタブレットで調べているのは、ネイルアートの種類や流行についてである。ネットショップに出品したネイルチップの売れ行きが良いので、これを機に調べてみようという気になったのだ。


 しかし調べ物は、ヒカルが思う程は進んでいない。


(あ、またやったな……)


 キッチンからの異音を耳で拾うも、ヒカルは必死でそちらを見ないように努めている。見るのが怖いのだ。


 キッチンは既に三時間近くリリカによって占拠されているが、一向に明け渡される気配がない。バレンタインチョコを作っているのだろうと予想は出来ているが、それにしては物騒な音が幾度も聞こえてくるのだ。


 ヒカルが聞く限りでは、リリカはマイク付きのイヤフォンで友人たちと相談しながら、チョコレートケーキのようなものを焼いている。しかし、どうもそれが上手くいかないらしい。


 普段、リリカのSNSを彩る完璧な料理の数々は、ヒカルが作成している。ネットでのリリカ――それはリリィの名で知られている――は、完璧な少女であるべきというのが彼女の理想だ。完璧少女は、料理も完璧でなくてはならない。


 そのリリカが料理の出来ない自分の姿を友人に晒していること自体が、ヒカルにとっては驚きでもあった。色々な意味で外面だけは完璧な彼女が、そうまでして作ろうとしているケーキ。それが自分のためだと思うと、とてもキッチンを明け渡せとは言えない。


 トイレに立って、ヒカルはついでにチラリとキッチンを盗み見る。中ではリリカが、オーブンを親の仇のように睨みつけていた。


(どうしよっかな……今からゴハン炊くのもなあ……)


 トイレの中で、ヒカルは溜息を漏らす。


 姉たちが帰宅するまでに夕飯の準備を終えてしまいたいのだが、リリカの作業はまだ終わりそうにない。ヒカルは既に空腹を覚え始めていて、頭に冷蔵庫の中を思い描きながら、手早く作れるメニューを考えている。


「――やだ、なんで……?」


 再びリビングへ戻ったヒカルの耳に、弱々しいリリカの声が飛び込んできた。


 恐る恐るキッチンを覗き込むと、リリカが背を向けて立ち尽くしている。友人たちとは通話を終えたようで、調理台の上にはイヤフォンが転がっていた。


 グスッと、リリカが小さく鼻を鳴らす。


 泣いているのだと気付いて、ヒカルは後ろからリリカに声を掛けた。


 しかしリリカは、直ぐには振り向かなかった。


「リリカ。あの、それさあ、僕に作ってくれてる……んだよね?」


 盗み聞いていた会話からそうであることは明白だったが、ヒカルは保険を掛けた。五歳の時から一緒にいる幼馴染だが、ヒカルはリリカからバレンタインチョコを貰ったことがない。自惚れかもしれないと、彼はこの状況でも不安に思っている。


 リリカは背を向けたまま頷いて、それから左手で目元を拭った。


「驚かせようと思ったの。でも」


 リリカの声が、僅かに揺れる。


「全然……上手に出来ないの……」


 普段の勝気なリリカからは想像できない程の、しおらしさ。少し驚きつつも、ヒカルはそれを可愛いと思い彼女に近づいた。


「いいんだよ。どんな見た目だって、美味しいし嬉しいよ。リリカが一生懸命作ってくれたって、僕知ってるよ」


 ヒカルは、夕飯の支度だとか、キッチンの掃除のことばかり考えていた自分を反省する。恋人になった自分に、普段は我儘放題のリリカが精一杯気持ちを伝えてくれようとしているのだ。


 ヒカルの優しい声に安心したのか、リリカが振り向く。その手には、黒い消し炭の乗った皿がある。


(あ、思ったより酷いな)


 リリカの目の端に今にも零れそうな涙を見て、ヒカルは頬の内側を噛んで覚悟を決めた。


 消し炭の一つを手に取ると、ヒカルはそれを口に運ぶ。この世の苦みを集約したような、ジャリジャリした塊。口の中一杯に広がった味は、ヒカルの意識を飛ばしかけた。だが彼は、愛と気合でその苦行を乗り切ってみせる。


「リリカ。ありがとう」


 ヒカルは、微笑む。口の中は、真っ黒だ。


 皿を調理台の上に置くと、リリカはヒカルに飛びついた。


 ヒカルは調理台と流しを見ないように努めながら、先程の苦さ辛さもすっかり忘れてリリカをぎゅっと抱きしめる。彼らがそうするのは、あの日以来のことだ。


「ありがとう。私、もっと料理出来るようになるから」


「ゆっくりでいいよ。一緒に、少しずつやろう」


 リリカが腕の中に居ることを、ヒカルは幸せだと感じた。ようやく恋人らしいことが出来たことに、彼は満足している。


 この流れなら自然にキスできるのではないかと期待して、ヒカルはそっとリリカの方を見た。


「じゃあ私、これから夕ご飯作るから。ヒカルは買い物ね!」


 ヒカルはまた、頬の内側を噛んだ。


「でもリリカ、疲れたんじゃない? こんなに頑張ってもらったのに、夕飯も作らせたら悪いよ」


 僕がやるよと、ヒカルはハッキリと口にする。

 しかしリリカは、譲らない。


「今日は、オムライス作るって決めてるの。レシピも調べてあるし、チキンライス作って卵巻くだけでしょ?」


 ヒカルは買い物に行ってと、リリカは言う。


 ヒカルは一緒に作ろうと提案したが、リリカは頑なに首を縦には振らない。


「えっと……ちなみに、なに買ってくるの? 卵?」


「んーん。ポッチー」


 ポッチーとは、細長いビスケットをチョコレートでコーティングした人気の菓子だ。


 まだチョコを食べるのかと、ヒカルは困惑した。元々彼は、甘いものが好きではない。


「あー。限定とか出てたっけ? じゃあ、ゴハン作ったら直ぐに買いに行くから……」


「もう! 違う。そうじゃなくって」


 ぎゅうっと抱き着いたまま、リリカはヒカルを見上げる。


「しないの? ポッチーゲーム」


 それは一本のポッチーの両端を咥えて、互いに少しずつ食べて行くゲームだ。


 リリカの潤んだ目が、ヒカルを見つめている。


 健康的な夕食への渇望と、キスできるかもしれないという淡い期待。


 ヒカルは、夕飯を諦めようと決意した。



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