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ゲノム・レプリカ  作者: 伊都川ハヤト
Another
199/408

4-2 愛のかたまり ⑦



 十七時。


 アオイは慣れた様子で、『Winter Rose』の扉を開いた。大通りから一本入ったところにあるその店は、知らなければ店と気付かれない程に風景の一部と化している。


 アンティークなベルの音に誘われて、店の奥からはモップを手にした男が姿を見せた。よく見知ったその顔は、アオイに気付くなり柔らかな笑顔を見せる。


「アオイちゃん! 久しぶりだね」


 まだ準備中なのだと、男は言う。彼は向島と全く同じ顔、よく似た声をしていたが、その表情や物腰は正反対だった。男の名は、向島ホマレ。向島の双子の弟である。


「忙しい時にごめんね。ちょっと、お願いしてもいい?」


「勿論! もしかして、兄さんに?」


 ホマレは目聡く、アオイの手に紙袋を見つけていた。


「そう。ホマレ君にも」


 アオイが微笑むと、ホマレは笑顔で応えた。


 カウンターへ行くと、ホマレは掃除のために上げていた椅子を一脚下ろしてアオイを呼ぶ。


 車で来たのかと、ホマレが尋ねた。

 アオイは、電車だと答える。そしてすぐに、まだ予定があるのだと付け足した。


「じゃあ、ノンアルコールだったら飲んでくれる? 折角来てくれたのになにも出さないんじゃ、僕が嫌だよ。ね? アオイちゃん」


 いつものように甘えた声でそういうと、ホマレはアオイの返事を待たずにカクテルを作り始める。


 アオイは椅子に腰かけると、カウンターの上に箱を並べて置いた。一つはホマレ、もう一つは兄の向島タカネへのプレゼントだ。


「メッセージカードの付いている方を、向島に渡して欲しいの」


「りょーかい! いいな、兄さん。僕には、カードは無しだもんなあ」


 ワザと不貞腐れるような顔をしてみせると、ホマレはアオイの前に手際よくグラスを差し出した。


 カクテルグラスは、淡いピンク色の液体で満たされている。


 開店前の忙しい時間に邪魔をしているという意識もあって、アオイはそのカクテルについて詳しくは触れずに、礼を述べてから口を付けた。


 ホマレはアオイの気持ちに気付いて、それを嬉しくも寂しくも思っている。長く友人という関係でいる二人だが、アオイからホマレに甘えるようなことはなかった。彼女は二人の間に、ハッキリと線を引いている。


「わあ! これ、いいの?」


 アオイからホマレに贈った箱の中には、チョコレートが丁寧に詰められていた。煌びやかさには欠けるが、上品な美しさがある。


「ホマレ君は、甘いもの好きだったもんね。まあ、沢山貰うと思うけど」


「そんなことないって。常連さんは、僕が受け取らないって知ってるしさ。それに、僕が好きになる子は、みんな兄さんの方を好きになっちゃうんだよなあ」


 ホマレは、理解できないという様子で首を傾げてみせた。

 アオイは、微笑みを返す。


 向島と同じ顔で、ホマレはよく喋り、人懐こくよく笑う。アオイはそれを見る度に、かつて自分が向島を好きだった理由が、彼の見た目ではないのだと気付くのだ。


 ホマレはアオイの視線から、それに近いことを常々感じ取っている。彼は兄程の音楽的な才能にも勉学の素養にも恵まれなかったが、人の機微を感じ取ることには長けていた。


「アオイちゃんはさあ、本命チョコは誰にあげるの?」


「そんな相手が居ると思う? 今だって、連勤記録更新中なのに」


 恋人を作る時間もないと、アオイは溢してみせた。


 兄はどうかと、ホマレは尋ねる。

 アオイは、首を横に振った。


「前にも言ったでしょ。彼、私のことは、そういう風には見てない。……分かるもの」


 髪を耳に掛けて、アオイはグラスを口に運ぶ。


 体を前に乗り出してカウンターの上に腕を乗せると、ホマレはアオイの方へ顔を寄せた。兄の話をする時に、アオイは度々目を伏せる。ホマレは、その仕草を見るのが好きだった。


「好きだって言ったら、兄さんは大喜びすると思うなあ」


「でも、いつかは気付く。賢い人だもの」


「だからって……そうだとしてさ、兄さんが、アオイちゃんから離れたりするかな?」


 アオイの視線が、余韻をもって真横に流れる。それは迷いを払うようにも、まだ迷いの中に居るようにも見えた。


「――だから、ダメ。優しい人だから」


 アオイはグラスを空けると、笑顔を見せて席を立った。


「行くね。開店前にゴメン」


「ううん。いつでも来てよ。アオイちゃんの為なら、いつだって開けちゃうよ」


「ありがとう。それじゃあ。お誕生日、おめでとう」


 アオイは微笑む。


 ホマレはニッコリと笑って、いつもそうするように彼女を店の扉の前で見送った。


 悲しい二人だと、ホマレはアオイの背を見つめながら呟く。プライドの高い兄が、もっと自分の弱さを曝け出すことが出来れば。そして優しい彼女が、もっと小狡く生きることが出来たら――。


 ほんの少し自分を変えることが出来れば、あの二人は共に人生を歩んでいけるのだ。それを思う度、ホマレは不器用な二人を愛おしく思った。悲しい程、人間なのだ。


 駅までの道を歩きながら、アオイも同じことを考えていた。


 なにも知らないふりをして、気付かぬふりをしていれば、愛情を受け取ることが出来る。しかしそうすることは、誰よりも自分が許せなかった。相手の優しさにつけ込んで得た愛情に、溺れることは出来ない。


 アオイは空を見上げて、細く長く、息を吐く。


 前からやってきたカップルが、「寒いね」と言葉を交わしている。


 忙しく行き交う車のテールランプが、街の灯りに色を添えている。


 アオイは微笑むと、再び前を向いて歩き出した。



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