4-2 愛のかたまり ③
*
十二時半。
「――ああ、アレね」
助手席でナゲットを口に運んで、アオイは指についたソースを舐めとった。
「アオイさん公認でしたか」
淡路は運転席でハンバーガーを頬張って、炭酸水を口に運ぶ。タンドリーチキンとレモンのバーガーは、癖になりそうな味わいだ。ショップの紙袋には、「ワールド・グルメ・バーガー」の文字とハンバーガー頭のキャラクターが描かれている。
アオイが期間限定のバーガーを食べたがったので、二人は職場から離れた公園に車を止めて昼食を摂っていた。職場の傍では人目が気になるというのもあるが、そもそも店が遠いのだ。
「公認ではないかな。でも、全員で頭下げにくるから。『今日だけは見逃してやってくれ』って」
佐渡はともかく国後と城ヶ島もかと、淡路は驚いたような、少し呆れたような表情を浮かべた。
アオイは、そんな淡路の表情を見て笑う。彼の考えていることが、分かるように思ったのだ。
「佐渡は年長者だし、主任だし、半分は仕事だと思ってるんじゃない? 城ヶ島は、元々そういうところがあるから。兄弟が多いからかな。サラッと言いに来るの。国後は……」
なにか思い出した様子で、アオイは笑みを溢す。
「ビクビクしながら来て、『言うぞ、絶対言うぞ!』って顔してね。それで、急に天気がどうとか言い出したりするの」
「でも、分かってて黙ってるんでしょう? 意地悪ですね。アオイさん」
「だって。国後ってば、仕事の時より真面目な顔するから」
楽しそうに笑いながら、アオイはコーヒーのカップに手を伸ばしている。
アオイの横顔を見て、淡路も口元に笑みを浮かべた。彼女が笑っている姿を見て、安心したというのもある。ここのところ、アオイは張りつめた表情を見せることが多かった。
アオイは彼女がルシエルと呼ぶ男――それは別の名を中林という――と向き合うことで、過去の清算を行うつもりでいた。しかし現実はそう上手くいくものではなく、過去は別の形で彼女に圧し掛かっている。
それでもアオイの心は、以前とは違っていた。進むべき道が見えている訳ではないが、なにかボンヤリとした、それでいて確かな兆しのようなものの存在を彼女は感じている。スキー場での一件以来、なにか吹っ切れたようですらあるのだ。
髪を耳に掛けて、アオイはハンバーガーを口に運んだ。
その耳に自分が贈ったピアスが光っているのを見て、淡路はそれを嬉しく思う。シンプルなデザインが、アオイの好みに合ったようだ。ただ彼女がそのピアスを着けている時、それは唯のファッション以外の意味があることにも淡路は気付いていた。
「――あ! そういえば」
演技掛かった、アオイの口調。
ほらなと、淡路は心の中で呟く。
「今日はちょっと、寄るところがあるから。先に帰ってね」
アオイは、淡路の方を見ようとしない。
淡路は残りのハンバーガーを口に押し込むと、包み紙をグシャグシャと丸めながらゴミ袋に放り込んだ。
「そうですよね。なんたって今日は、向島デイですもんね」
アオイのナゲットを一つ掴んで、淡路は口に放り込む。
アオイは淡路に言いにくいことを伝える時に、彼が贈ったピアスを着けることがある。ご機嫌伺いをするような性格ではないので、完全に無意識なのだろう。
淡路としては、そんなことくらいで機嫌を直すと思われたくはないのだが、事実として嬉しいものは嬉しい。彼が不貞腐れているのは、そんな単純な性格をした自分への苛立ちもあってのことだった。
「あのね。あの、あなたが考えているような……」
「分かってますよ。僕は、先に帰ります。一人で、寂しく、孤独に」
指を拭いて炭酸水を口に流し込むと、淡路はハンドルに腕を乗せて体を預けた。
昼休みも終わり間近の公園からは、小さなランチバッグを手にした女性たちがぞろぞろと会社に向かって歩いていくのが見える。
まだ二月だというのに、日差しは暖かく春を感じさせる陽気だ。しかし天気予報によれば、週末にかけて天気が崩れるようで雪予報の日もあった。まだまだ、冬のコートが手放せそうにない。
アオイが不意に、淡路のコートをぎゅっと掴んだ。
淡路はもうしばらく不貞腐れていようと思っていたのだが、アオイの表情が見たいという欲求には勝てず振り向いた。
しかしアオイは、照れるのでもなく、悲しそうにするのでもなく、淡路の予想に反して顔を青くしていた。
「ごめん……車、出して」
弱った様子で、アオイは窓の外を指す。そこには、歳の離れたカップルの姿があった。
アオイの友人のモモコが、一課の高田課長と腕を組んで歩いている。
「あれ? 高田課長って既婚……」
「いいから! 出して!」
見たくないと、アオイは顔を背けて隠れている。友人が不倫をしていることは薄々気付いていたが、まさかその現場を見ることになるとは――。
アオイに同情すると、淡路はオフィスに向かって車を走らせ始めた。