4-1 月下に咲く ⑤
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二〇×二年 二月 十三日 日曜日
深夜の街中。月光の下に、刀を携えた白装束の女がいた。女は顔をキツネ面で隠し、肩で切り揃えられた白髪のウイッグを身に着けている。
ビルの屋上に降り立って、キツネ――南城はアナザーが既に狩られた後だと知った。つい先程まで感じていた気配が、突然消失したのだ。
屋上のコンクリートの一部は焼け焦げていて、そこから酷い悪臭が風に乗って方々へ運ばれている。南城は辺りをぐるりと見回して核が残されていないことを確かめると、現場に背を向けた。
そうしてすぐに、今度は別の気配に気付く。
その気配は南城が空へ逃げるよりも早く、彼女の脚を掴んで地面に引き倒していた。
「――インドラ!」
南城の眼前には、ガスマスクを着けた男の顔があった。インドラと呼ばれるハンターだ。
インドラは左手で南城の両手を拘束し、右腕を彼女の首元に押し当てている。月光で輝く彼の両腕のガントレットは、キツネ面の上に鋭い光を投げていた。
南城の頭の上で拘束された両手には、刀が握られている。しかしインドラの力は強く、彼女はそれをピクリとも動かすことが出来ない。
「狩ったのは、お前か?」
インドラは応えない。それは、南城の言葉を否定している。
別のハンターによるものだということは、南城にも分かっていた。地面の焦げ跡はインドラの雷を思わせたが、彼がその力を使う時に発せられる音や光が見られなかったからだ。
インドラではない。しかしこれは、ヘカトンケイルと呼ばれる少年によるものとも思えない。
「……先日の質問を?」
南城の思考を遮るように、インドラが口を開いた。その声は相変わらず深くくぐもっていて、南城の耳には酷く遠く聞こえている。
南城は、答えなかった。意識は、脚に集中している。
インドラはそんな南城の様子に気付いたのか、彼女の両手を掴む左手に力を込めた。
ギリギリと万力で締め上げられるような痛みに、南城の手から刀の柄が離れる。それは淡い光を放ちながら、雪が解けるようにして消えていった。
「キツネ。何故、アナザーを狩る?」
「……お前は、最初の核を……どうやって手に入れた?」
痛みに堪えながら、南城は鼻で笑う。
再びインドラが力を込めると、南城は面の下で顔を歪ませた。
「質問は、俺がしている」
インドラの無機質な声。これまでの彼とは、なにかが異なっている。
「……核の力を取り込むことで、人を超えた存在になる。神に等しい力だ」
嘘だと、インドラは直ぐに南城の言葉を否定した。
「神になると、君は前にもそう言っていた。だが、それが本当の目的か?」
南城は、息を飲んだ。
「キツネ。君は人であるために、神を目指しているのではないか――?」
インドラの言葉は、南城の体を撃つようだった。
「お前は……女を組み敷くのが下手だな」
南城の声は、冷めていた。
そしてその声を合図とでもいうように、宙には幾本もの氷の刃が現れ、それらは一斉にインドラに向かう。
インドラは素早く立ち上がると、全ての刃を蹴り掃った。砕かれた氷の粒が、月に照らされて輝いている。彼が再び視線を戻した時、南城は既に遠くの空を跳んでいた。
今、南城の脳裏には、彼女が最初に狩ったアナザーの姿が浮かんでいる。それは人の形をしていなかったが、人間の言葉を理解するだけの理性と知性とを残していた。
南城が最初のアナザーを狩ったのは、ハンターとしてではない。雨の夜、ランニング中に偶然遭遇したことが切っ掛けである。あの日、家政婦たちに止められるのを振り切ってまで走りに出掛けなければ、彼女は今でも普通の人間でいられたのだ。
(私は……神になる……)
今にも届きそうな月に、南城はそっと手を伸ばした。