3-7 my sweetie pie ⑪
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食事を終えて、ヒカルはロビーでリリカを待っていた。時刻は十八時半を過ぎていて、食事を終えた生徒から順に解散し部屋に向かっている。
やがてパラパラと歩いてくる生徒の中にリリカの姿を見つけると、ヒカルは彼女に向けて手を挙げた。それに気付いたリリカが、傍に居た友人になにかを託して、直ぐにヒカルの元へ駆け寄ってくる。
「よかった~。あっちじゃ全然会えなかったもん」
リリカは友人たちに手を振って先に行かせると、ヒカルの手をギュッと掴んだ。
「もうちょっと会えると思ってたのに」
「今日は、講習だったからね」
仕方ないよと返しながら、ヒカルはリリカの手を握り返した。
ロビーには、大勢の宿泊客の姿があった。山田は長山と土産物屋に行っていて、彼らの他にクラスメイトの姿は見えない。リリカの友人たちはエレベーターの傍まで行ったものの、部屋には戻らずに立ち話している。
ヒカルとリリカは手を繋いだまま、顔を見合わせて笑った。
「ねえ。アオ姉たちのお土産、どうする?」
「無難に、蕎麦かなと思って」
蕎麦という言葉で、リリカはアオイの手打ち蕎麦を思い出して笑った。ヒカルも直ぐにそれを察して、同じように笑う。アオイの手打ち蕎麦は、うどんのように太かった。
「そういえば、外でイベントやってるんでしょ? ヒカルたちは行くの?」
「どうだろ。部屋からも見えるっぽいしなあ」
リリカが笑うとヒカルも笑い、ヒカルが笑うとリリカも笑った。特別なことはないけれど、傍に居るだけで二人は不思議と笑顔になる。
ヒカルが、リリカの名前を呼ぶ。
なあにと、リリカも返した。
「あのさ、今日のそのリッ……」
「おーい! チッチマーイ!」
山田の声で、ヒカルは凍り付く。
「そこに居たのかよ、チチマイ!」
「そろそろ部屋に集合だぜ! チチマイ」
「急げよ、チチマイ!」
山田の後ろからは、クラスメイトがワラワラと湧いて出る。彼らは皆、いい笑顔だ。リリカの姿は見えているはずなのだが、彼らはヒカルに向かって激しくアピールを繰り返している。ワザとやっているのだ。
「チチマイって、なに?」
リリカが不思議そうに、首を傾げた。彼女にはそれが、タイ米のような米の種類に思えている。
ヒカルは喉元に剣を突き付けられたように、上手く声を出すことが出来なくなった。
「あ、え、後でね」
無理やり笑顔を作ってそう言うと、ヒカルはリリカに急いで部屋に戻るように促す。
しかしリリカは不思議そうに、まだ首を傾げている。
「おい、おっぱいマイスターが来なきゃマズいだろ!」
容赦ない追い打ちに、ヒカルは心臓が止まったように思った。むしろ、止まってくれた方がよかったのかもしれない。
「ああ……そういう……」
呟きが聞こえて、ヒカルは恐る恐るリリカの方を見た。
リリカは、ゴミを見るような目でヒカルを見ていた。
「……キモッ」
小さくそう言って、リリカは友人たちの元へ駆けていく。
ヒカルはショックで声が出ず、ただその背を見送った。
「あれ? ダーリン、もういいの~?」
「いいの! おっぱいの話するんだって!」
「なにそれ? どしたん?」
「知らない! もう行こ!」
遠くから聞こえてくる会話に完全に打ちひしがれて、ヒカルは膝から崩れ落ちる。
そんな彼の元に駆け寄って、クラスメイト達はヒカルの肩を交互に叩いた。元気を出せと、彼らはヒカルは鼓舞する。
「出るわけないだろ……」
もはやヒカルには、怒る気力もない。
そんなヒカルの耳元で、長山がある言葉を耳打ちした。
「え……マジで? 山代が?」
長山は真剣な表情で頷き、山田は親指を立てて笑顔を見せる。サッカー部の山代が、彼らの求めている完璧な組み合わせを発見したというのだ。
「行こうぜ! 東條」
クラスメイトに手を差し伸べられ、ヒカルは立ち上がった。彼はもちろん、その男子こそが先程最も辛辣な攻撃を放った相手だということを忘れてはいない。
タブレットPCを隠し持って来ただの、Wi-Fiがどうだのと真剣に話しながら、ヒカルとクラスメイトたちは階段を駆け上がっていく。彼らは四人一部屋と決められているが、夜はクラス全員で同じ部屋に集まり遊ぶ計画を立てていた。
その後姿を、眉間に皴を寄せた北上が無言で眺めていた。